2006年07月08日
メモ67「あれこれ翻訳」
Apemanさんの「3つとも根っこは同じ」へのお返事など。
テキストの「翻訳」を記事に使う初実験もかねて。
テキストの「翻訳」を記事に使う初実験もかねて。
■「翻訳」について
他のブログやメモ65でも触れたように、Apemanさんの文章はとても読みにくいので誤読や定義のズレが起こる可能性が高い。
そこで、試験的に「翻訳」を行って相手方の意図を確認しながらコメントをするというやり方をしている。今のところ、彼から「誤訳」の指摘はなく上手くいっているようだ。
しかし、今回は難易度が高い……。
どうやら、僕とは全く関係のない場所で行われている議論の話題も混じっているらしいので、どう返事をしたらいいものか困惑した。彼が記事を後になって差し替える場合もあるだろうし、そうなったら文章のズレが面倒になる。
Posted: 金 - 7月 7, 2006 at 03:55 午前
とりあえず、上記の時点に掲載されていたテキストを「翻訳」したものとする。
以下「翻訳」を始めます――。全文引用は大変なので、気になる方はあちらの本文と比較してみてください。
------------------------------------------------------------------------------
「野良猫さんは『南京事件否定論に反論しようとするのなら、特定の歴史家の主張について触れなければならない」と主張されていたようですが、その理由を説明できなかったようですね。それは当然のことです。個々の主張を否定するうえで、それ自体とは直接関係ない持論や態度について語る必要などないからです。
次に、南京事件否定論者に再反論をする際にあたって、私がとっているやり方について説明させていただきます。なぜ、自分で考えている事件の全体像について語ろうとせず、否定論の破綻箇所を指摘するのみという方法をとるのか疑問に感じておられるでしょう。
もちろん、全体像について語るなど私のような素人の手には余る、という理由もあります。
そして、私にとっては、笠原十九司と秦郁彦のどちらが正しいのかという事は、両者と同じ程度の調査をしてみなければ判断できないのです(両者の著作を比較して、どちらに説得力があるかを比べる事はできますが)。
しかし、もう一つ理由はあります。つまり、都合の悪いことは無かったふりをするような人々と議論する時には、きちんと『全体像』なんてものを提示していてもきりがないからです。
たとえば、このところ野良猫さんが肩入れをしていたADON-Kさんの場合のケースです。青狐さんが「岡村寧次大将は南京事件に関する報告を受けていた。発見されたある史料によると明確に『約四万から五万の大殺戮』と記されていた」という説明をしました。
しかし、彼は『これは前からあった話』として別史料の話へとすり替えてしまいました。
ほかにも、野良猫さんの発言は十条さんや煙さんがまとめてくださっています。論点を絞ろうとしないのは、むしろ否定論者の方ではないでしょうか」
※(こちらに直接関係ない段落は省略)※
最後に、二つ引用させていただきます。『ホテル・ルワンダ パンフレット論争』という記事で頂いた、hpkushyuさんのコメントです。
『いわゆる「数の議論」というものについて語らせていただきます。これまでの歴史上、いろいろな虐殺事件というものがありました。しかし、正確な虐殺数が最後の一人まで確定するまで、私達はその事件に対して安易に語ってはならない、というような事はありません。
もしそうならば、当然アウシュビッツについて語る事は不可能になるからです。「数の議論」というものは、個々の人々にとっての事件……それぞれの死に結びつけられる場合にだけ意味を持ちうるからです。
たとえば、平和の礎や東京大空襲の名簿作成は確かに尊い作業です。しかし、あらゆる虐殺事件において一人一人の名前を正確に刻みこめる訳でもない。南京事件もそうだし、ホロコーストもそうだと言えます。
むしろ、20世紀に私達が経験したことは、そうした記録に刻まれる機会すら得られない圧倒的多数の死者に対して、どのように真摯に向き合うべきかという事ではなかったのでしょうか(hokusyu)』
もうひとつは、この記事のコメント欄に寄せてくださったseabass さんの発言です。
「歴史上の事件を判断する際に、裁判の基準を持ち込む歴史修正主義者をよく見かけます。それは『百人の罪人を逃すとも一人の無実の人を作る事なかれ』という裁判の格言があるからではないでしょうか。
つまり『百個の歴史の真実を葬り去る事になっても、一個の間違いはあってはならない』という考え方だろうと思います(その『百個の歴史の真実』が旧日本軍の悪行だとすれば、彼らにとって都合がよいのでしょう)。
それくらいの都合のいい基準を持ち込まないと、歴史の『修正』などという事は出来ないのでしょうね。
実際の学問では、95%検定なんていうものがまかり通っています。つまり、20箇所につき1箇所程度ならば『冤罪』があっても良いというやり方です。ですから、過去に日本がやった悪行に関してだけ『絶対に冤罪があってはならない』という彼らに対して、可能ならば理由を求めたいところです(seabass)」
以上です。
得られた結論がはっきりと断言できないような場合、そこで保留したり判断を停止させてしまうのが、倫理的な振る舞いとは限らない。
たとえば、水俣病のようなケースでは「はっきりした結論が出ていない」という口実で、見捨てられた被害者が大勢いるからだ。
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――自分に直接関係あるのはここまでですね。この「翻訳」で合っているでしょうか? 間違っている箇所があれば、コメントをどうぞ。
長くなったので返事は次の記事にまわします。
他のブログやメモ65でも触れたように、Apemanさんの文章はとても読みにくいので誤読や定義のズレが起こる可能性が高い。
そこで、試験的に「翻訳」を行って相手方の意図を確認しながらコメントをするというやり方をしている。今のところ、彼から「誤訳」の指摘はなく上手くいっているようだ。
しかし、今回は難易度が高い……。
どうやら、僕とは全く関係のない場所で行われている議論の話題も混じっているらしいので、どう返事をしたらいいものか困惑した。彼が記事を後になって差し替える場合もあるだろうし、そうなったら文章のズレが面倒になる。
Posted: 金 - 7月 7, 2006 at 03:55 午前
とりあえず、上記の時点に掲載されていたテキストを「翻訳」したものとする。
以下「翻訳」を始めます――。全文引用は大変なので、気になる方はあちらの本文と比較してみてください。
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「野良猫さんは『南京事件否定論に反論しようとするのなら、特定の歴史家の主張について触れなければならない」と主張されていたようですが、その理由を説明できなかったようですね。それは当然のことです。個々の主張を否定するうえで、それ自体とは直接関係ない持論や態度について語る必要などないからです。
次に、南京事件否定論者に再反論をする際にあたって、私がとっているやり方について説明させていただきます。なぜ、自分で考えている事件の全体像について語ろうとせず、否定論の破綻箇所を指摘するのみという方法をとるのか疑問に感じておられるでしょう。
もちろん、全体像について語るなど私のような素人の手には余る、という理由もあります。
そして、私にとっては、笠原十九司と秦郁彦のどちらが正しいのかという事は、両者と同じ程度の調査をしてみなければ判断できないのです(両者の著作を比較して、どちらに説得力があるかを比べる事はできますが)。
しかし、もう一つ理由はあります。つまり、都合の悪いことは無かったふりをするような人々と議論する時には、きちんと『全体像』なんてものを提示していてもきりがないからです。
たとえば、このところ野良猫さんが肩入れをしていたADON-Kさんの場合のケースです。青狐さんが「岡村寧次大将は南京事件に関する報告を受けていた。発見されたある史料によると明確に『約四万から五万の大殺戮』と記されていた」という説明をしました。
しかし、彼は『これは前からあった話』として別史料の話へとすり替えてしまいました。
ほかにも、野良猫さんの発言は十条さんや煙さんがまとめてくださっています。論点を絞ろうとしないのは、むしろ否定論者の方ではないでしょうか」
※(こちらに直接関係ない段落は省略)※
最後に、二つ引用させていただきます。『ホテル・ルワンダ パンフレット論争』という記事で頂いた、hpkushyuさんのコメントです。
『いわゆる「数の議論」というものについて語らせていただきます。これまでの歴史上、いろいろな虐殺事件というものがありました。しかし、正確な虐殺数が最後の一人まで確定するまで、私達はその事件に対して安易に語ってはならない、というような事はありません。
もしそうならば、当然アウシュビッツについて語る事は不可能になるからです。「数の議論」というものは、個々の人々にとっての事件……それぞれの死に結びつけられる場合にだけ意味を持ちうるからです。
たとえば、平和の礎や東京大空襲の名簿作成は確かに尊い作業です。しかし、あらゆる虐殺事件において一人一人の名前を正確に刻みこめる訳でもない。南京事件もそうだし、ホロコーストもそうだと言えます。
むしろ、20世紀に私達が経験したことは、そうした記録に刻まれる機会すら得られない圧倒的多数の死者に対して、どのように真摯に向き合うべきかという事ではなかったのでしょうか(hokusyu)』
もうひとつは、この記事のコメント欄に寄せてくださったseabass さんの発言です。
「歴史上の事件を判断する際に、裁判の基準を持ち込む歴史修正主義者をよく見かけます。それは『百人の罪人を逃すとも一人の無実の人を作る事なかれ』という裁判の格言があるからではないでしょうか。
つまり『百個の歴史の真実を葬り去る事になっても、一個の間違いはあってはならない』という考え方だろうと思います(その『百個の歴史の真実』が旧日本軍の悪行だとすれば、彼らにとって都合がよいのでしょう)。
それくらいの都合のいい基準を持ち込まないと、歴史の『修正』などという事は出来ないのでしょうね。
実際の学問では、95%検定なんていうものがまかり通っています。つまり、20箇所につき1箇所程度ならば『冤罪』があっても良いというやり方です。ですから、過去に日本がやった悪行に関してだけ『絶対に冤罪があってはならない』という彼らに対して、可能ならば理由を求めたいところです(seabass)」
以上です。
得られた結論がはっきりと断言できないような場合、そこで保留したり判断を停止させてしまうのが、倫理的な振る舞いとは限らない。
たとえば、水俣病のようなケースでは「はっきりした結論が出ていない」という口実で、見捨てられた被害者が大勢いるからだ。
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――自分に直接関係あるのはここまでですね。この「翻訳」で合っているでしょうか? 間違っている箇所があれば、コメントをどうぞ。
長くなったので返事は次の記事にまわします。
104:中国人と日本人の歴史議論(テスト投稿)
メモ85「反日写真への動き」
メモ70「Apemanさんとの議論打ち切りについて」
メモ69「Apemanさんの記事について」
メモ68「南京と議論について」
メモ66「論点を絞らないやり方について」
メモ85「反日写真への動き」
メモ70「Apemanさんとの議論打ち切りについて」
メモ69「Apemanさんの記事について」
メモ68「南京と議論について」
メモ66「論点を絞らないやり方について」
Posted by noraneko at 08:51│Comments(5)
│戦争責任/南京事件
この記事へのコメント
無意味である、というのが私のコメントです。
野良猫さんは独自の日本語解釈をおこなう方のようですので、いわゆる「翻訳」をここに提示されても野良猫さんがそれをどう「解釈」しているのか、私には想像もつきません。それゆえ「正確」かどうかはこれだけでは判定しかねます。あなたが私の問いにどう答えるか、私の主張に対してなにを書いているかを通じて判定するしかなさそうですね。
野良猫さんは独自の日本語解釈をおこなう方のようですので、いわゆる「翻訳」をここに提示されても野良猫さんがそれをどう「解釈」しているのか、私には想像もつきません。それゆえ「正確」かどうかはこれだけでは判定しかねます。あなたが私の問いにどう答えるか、私の主張に対してなにを書いているかを通じて判定するしかなさそうですね。
Posted by ゲスト at 2006年07月08日 13:38
それではコメント欄の文章を「翻訳」します。
「この『翻訳』という作業は無意味である、と述べさせていただきます。野良猫さんは独特な日本語の解釈を行う方のようですね。いわゆる『翻訳』を示されても、野良猫さんがどう読み取っているのか私には解りません。そういう理由から、正確な内容かはこれだけでは判定しかねます。
あなたが私の問いにどう答えるか、私の主張に対して何を書いているか。そうした本文の内容を通して判定するしかないと思います」
――この「翻訳」で合っているでしょうか? 違う場合は別途コメントをどうぞ。無い場合は問題ないものと判断させていただきます。
この「翻訳」作業が必要な理由は再三にわたって説明した通りです。Apemanさんの文章をそのまま見てレスをつけようとしても、意味が理解できなかったりするケースがあったからですね。
ですから「こう読み取ったけれど、これでいいのか?」と確認させていただいています。
これが「悪意」からでないというのも既に説明済みですから、ご理解をおねがいいたします。
それが不満ということでしたらそちらから議論を打ち切るか、比喩を減らして分かり易い文章を書くように努力すべきでしょう。そのどちらもする気がない、という場合は単なる「わがまま」とみなします。
さて、そちらが書いた文章をこちら側で書き直して「こういう意図でいいのか?」と確認を求めているのに、『判定しかねる』というのは不思議なことですね。いつもの議論でなさっているように、間違っている箇所を指摘されて正確な意図を説明されればいいのです。別に難しい事ではありませんね。
ご自分で書かれたテキストなのですから、その真意を知るのはApemanさんお一人です。御自由にどうぞ。
こちら側としては、指摘がない場合は問題ないものと判断させていただきます。
「この『翻訳』という作業は無意味である、と述べさせていただきます。野良猫さんは独特な日本語の解釈を行う方のようですね。いわゆる『翻訳』を示されても、野良猫さんがどう読み取っているのか私には解りません。そういう理由から、正確な内容かはこれだけでは判定しかねます。
あなたが私の問いにどう答えるか、私の主張に対して何を書いているか。そうした本文の内容を通して判定するしかないと思います」
――この「翻訳」で合っているでしょうか? 違う場合は別途コメントをどうぞ。無い場合は問題ないものと判断させていただきます。
この「翻訳」作業が必要な理由は再三にわたって説明した通りです。Apemanさんの文章をそのまま見てレスをつけようとしても、意味が理解できなかったりするケースがあったからですね。
ですから「こう読み取ったけれど、これでいいのか?」と確認させていただいています。
これが「悪意」からでないというのも既に説明済みですから、ご理解をおねがいいたします。
それが不満ということでしたらそちらから議論を打ち切るか、比喩を減らして分かり易い文章を書くように努力すべきでしょう。そのどちらもする気がない、という場合は単なる「わがまま」とみなします。
さて、そちらが書いた文章をこちら側で書き直して「こういう意図でいいのか?」と確認を求めているのに、『判定しかねる』というのは不思議なことですね。いつもの議論でなさっているように、間違っている箇所を指摘されて正確な意図を説明されればいいのです。別に難しい事ではありませんね。
ご自分で書かれたテキストなのですから、その真意を知るのはApemanさんお一人です。御自由にどうぞ。
こちら側としては、指摘がない場合は問題ないものと判断させていただきます。
Posted by 野良猫 at 2006年07月08日 19:44
私には「翻訳」後の文章の方が読みにくいです。
なぜわかりにくい文章に「直す」必要があるのでしょうか。
なぜわかりにくい文章に「直す」必要があるのでしょうか。
Posted by ゲスト at 2006年07月09日 02:06
>DENさん
元の文章が読みやすいのなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。元のテキストを違和感なく読めるとしたら、以前からApemanさんのブログを読んできた人。あるいは、彼の考え方を理解している人だろうと思います。
書いている側にとって自明の理であっても、読む側にとってそうだとは限りません。僕はApemanさんのブログを普段は読んでいませんから、彼の意図が解りにくかった。そこで単体の文書でも理解しやすいように「翻訳」したのです。そして「こういう意図でいいか?」と確認を求めている。
ちゃんと意志の疎通をする気があるなら応じてくれると思ってましたが、そうでなかったのは残念です。
「翻訳」が嫌味からなどでは無い事は何度も説明してきた通りです。たぶん、必要なら政治ネタ以外の時でもやるだろうと思います。
Apemanさんの主張や考え方が理解できる方がいたら、彼が不必要に相手を罵倒する欠点をたしなめていただきたい。近い考え方の人間からなら、理解もされやすいでしょうからね。
それは「南京大虐殺」について語ろうとする人達のイメージ低下を防ぐ事にもなります。
元の文章が読みやすいのなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。元のテキストを違和感なく読めるとしたら、以前からApemanさんのブログを読んできた人。あるいは、彼の考え方を理解している人だろうと思います。
書いている側にとって自明の理であっても、読む側にとってそうだとは限りません。僕はApemanさんのブログを普段は読んでいませんから、彼の意図が解りにくかった。そこで単体の文書でも理解しやすいように「翻訳」したのです。そして「こういう意図でいいか?」と確認を求めている。
ちゃんと意志の疎通をする気があるなら応じてくれると思ってましたが、そうでなかったのは残念です。
「翻訳」が嫌味からなどでは無い事は何度も説明してきた通りです。たぶん、必要なら政治ネタ以外の時でもやるだろうと思います。
Apemanさんの主張や考え方が理解できる方がいたら、彼が不必要に相手を罵倒する欠点をたしなめていただきたい。近い考え方の人間からなら、理解もされやすいでしょうからね。
それは「南京大虐殺」について語ろうとする人達のイメージ低下を防ぐ事にもなります。
Posted by 野良猫 at 2006年07月09日 02:48
まず、前回のコメントが必要以上にきつい表現であったことをお詫びします。
また、丁寧なご回答に感謝申し上げます。
さて、ひとつ誤解があるようなので、その点についてだけ申し上げます。
私の上のコメントは、単純に「文章としての読みやすさ」について述べたまでです(私もApeman氏のブログを普段から読んでいるわけではないので、『彼の考え方を理解している』わけではありません)。
ささやかながら文筆業に携わった経験から、「文章がわかりにくい」と言われることのショックを私は多少知っています。そこで貴兄の「翻訳」を見てみると、原文よりもわかりにくかった。これでApeman氏の文章をわかりにくいなどと言うのはあんまりだと思い、つい書き込んでしまいました。
重ね重ね、感情的になったことはお詫びいたします。
私が言いたいことは以上です。お騒がせいたしました。
また、丁寧なご回答に感謝申し上げます。
さて、ひとつ誤解があるようなので、その点についてだけ申し上げます。
私の上のコメントは、単純に「文章としての読みやすさ」について述べたまでです(私もApeman氏のブログを普段から読んでいるわけではないので、『彼の考え方を理解している』わけではありません)。
ささやかながら文筆業に携わった経験から、「文章がわかりにくい」と言われることのショックを私は多少知っています。そこで貴兄の「翻訳」を見てみると、原文よりもわかりにくかった。これでApeman氏の文章をわかりにくいなどと言うのはあんまりだと思い、つい書き込んでしまいました。
重ね重ね、感情的になったことはお詫びいたします。
私が言いたいことは以上です。お騒がせいたしました。
Posted by ゲスト at 2006年07月09日 04:36
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