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noraneko

2006年07月06日

メモ66「論点を絞らないやり方について」

メモ65の続き。
こちらの質問に関する「肯定派」な人達の返答について。
■ 現在の進行状況

 あちらのコメント欄で6/23の時点で質問したものの「青狐グループ」の方々からは、具体的な回答は得られていません。(書いた場所は「Posted by 野良猫 at 2006年06月23日 20:30」で検索可能)。
 具体的な要求も今までされてはいない。たとえば、ADON-Kさんへの記事撤回要求などがある訳でもなく、議論をわざわざ挑んできた理由も今のところよく分からない。仮にブログの管理者へいわゆる「説得(南京事件肯定派への転向)」を望んでいたとしたら、中途半端にコメント欄でのやりとりを打ち切るはずもない。
 どうやら、ここに限らず他の「南京」の話題がされているブログにも、彼らは関っているようだ。

 こういう風にいろいろなブログで「南京」の議論を続けた末に何が残るだろうか。その辺りが自分にはよく解らない。

■ 煙さんの記事について――その1

 まずはこれで「証拠」を提示したつもりなんですかねを拝見。
 二人のコメントには微妙な言い回しがあるのだが、ADON-Kさんが「あったと証明出来ないことは少なくとも『ある』とは言えない。クロと証明出来ないものは少なくとも灰色に過ぎない」と答えていれば、ここで流れを断ち切れたかもしれない。

 もう少し厳密に言うなら、確定的な証拠が揃わない場合は「シロ」と判断しても構わない。しかし、研究家や犯罪捜査に関るような人間ならば、評価を「保留(灰色でもいい)」として調査を続けるべきだろう。
 もちろん、対象を「クロ」と認定するには具体的ではっきりとした証拠固めが要る。結局のところ「肯定派」は持論を具体的に説明しなければならない。
 また、東京大空襲に話が流れた意図がよく解らない。考えつくとすれば――、

「戦争での死傷者数は統計によって変化するもの。つまり、中国が30万人説(最近では35万人という話もあるらしいが)を唱えていても間違っているとは言い切れない。合っている可能性もある。
 だいたい、日本の東京大空襲にしたって数値が曖昧ではないか。だからお互い様だ」

 ――というところだろうか(かなり苦しいとは思うが)。しかし、さすがにその数値が実情とかけ離れているのは「肯定派」も解っているはずだ。別に中国の主張を支持するならそれでもいい。しかし、日本国内の学者を信頼しているのなら、それを明確にして「中国の説は違う」と訴えるべきだろう。
 たとえば、僕が見てきた「肯定派」の人達は漠然とこういう主張をしているケースが多い。
「中国側の主張は否定しない。日本国内の『肯定派』の説もどれも信用できる。だから『否定派』は嘘をついている」

 これには無理がある。なぜなら、その説のなかには「日本軍が延々と民間人を虐殺し続けた上に街を焼き払った」というものから「占領後の捕虜に関する取扱いやゲリラの取り調べで不手際があったのみ」というように、内容に幅が有りすぎるからだ。
 死傷者数にしても、数千人〜数十万人と分かれているものを一緒くたには出来ない。

 しかし、青狐さん達はそういう事をしている。
 たとえば、ここでは、

>この点についてはその通りです。秦郁彦「南京事件」を何人に薦めたやら(笑)

 このように青狐さんは語っているが、こちらのメモ60では「大虐殺派」と言われる笠原十九司の本を取り上げている。これはApemanさんも同様だ。この記事で、

>というのも、手軽に新書で読むことのできる「虐殺あった」論の文献、秦郁彦の
>『南京事件』(中公新書)か笠原十九司の『南京事件』(岩波新書)でも読んで
>いれば、「伝聞ばかり」などという認識は抱きようがないからだ

 ……と触れている。いったい彼らは、いわゆる「大虐殺派」と「中間派」のどちらを信じているのだろうか? そうした疑問に関して今まで回答された事もないのが残念だ。
「肯定派」として主張を今後も続けていくのならば、こうした疑問点を早く説明してほしいところだ。
 この続きに関しては、また後日。

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この記事へのコメント
細かいところで恐縮ですが、

>このように青狐さんは語っているが、こちらのメモ60では「大虐殺派」と言われる笠原十九司の本を取り上げている。


実際にメモ60を読んでみましたところ、青狐さんが笠原氏の本を取り上げているとは読めません。野良猫さんが笠原氏の本を誤って引用し、青狐さんはそれに対し引用が間違いと言っているだけで、これを「青狐さんが笠原氏の本を取り上げている」と表現するのは、理解に苦しむところです。
Posted by ゲスト at 2006年07月07日 19:19
 はじめまして、ですか?>鳥さん 該当のコメント欄を読み直してみました。
 なるほど……。こちらとしては「南京事件(笠原十九司)」の内容を信頼しているからこそ、ああいう議論になったと考えていました。しかし、青狐さんが「私は笠原説を信じている。彼の説をベースにした持論を語っているのです」と、直接述べている訳ではない。だから、該当箇所を指摘しただけという見方も成り立ちますね。
 こちらで推察出来る範囲では、彼は自分のブログで「タラリ」さんや「ゆう」さんのサイトをたびたび薦めていること。記事で笠原氏の別著を紹介している事(別の記事でも紹介している)。そして、秦氏の本を紹介している事。
 これらから、分類的には「大虐殺派」「中間派」をベースにしているのは解る。

 ここに矛盾点が生じているのは前述の通り。犠牲者のカウント方式や日本軍の振る舞いへの解釈に大きな隔たりがあるため、この二つの説を同時に信じるのは難しいからです。
 ですから、青狐さんは厳密に答えてくれなくてもいい。
 たとえば「心情的には『中間派』なんですけど『大虐殺派』の可能性も捨て切れないので調べてます」くらいの現時点での「ポジション」を語ってほしいのです。

 自分のブログで語るぶんにおいてはまだしも、直接は「南京」の話題をしていないところでまで議論を望むのならば、それが最低限の相手に対する礼儀ではないでしょうか。
Posted by 野良猫 at 2006年07月07日 23:48
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メモ66「論点を絞らないやり方について」
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