さぽろぐ

文化・芸能・学術  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
noraneko

スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2006年10月31日

メモ80「大東亜戦争の関連史跡メモその2」

前にしたメモの続き。ブログの設定が変わっているので、後ほど再編集の予定です。

  続きを読む

Posted by noraneko at 04:13Comments(1)歴史資料

2006年10月22日

メモ79「マスコミ報道にある負の連鎖」

Scott's scribbleさんのところで医療事故に関する記事を拝見したのでメモ。

新小児科医のつぶやき」と「元検弁護士のつぶやき」は必見。

 そろそろ、安易な過熱報道と糾弾行為が何も生み出さない事に私たちは気づくべきだ。義憤・公憤・私憤といった憤りの感情は「正当性」の得られる快楽を生み出してくれる。そして、しばしば問題の解決よりも何かを破壊する快楽の方が目的化してしまう。
 しょせん、人間は気持ちいい事をしたがる本性があり、誰かから気持ちいいことをして貰えれば喜ぶという単純な生き物に過ぎないのだ。

 読者は義憤を感じられる「素材」を求めていて、新聞業界は要求に応じた「エサ」を投げ与えるという共生関係はいま現在も順調に機能している。この状況では、個人が新聞業界に何か反論したとしても「私たちは欲しいモノを提供しているだけ」と悪意もなく受け流されるだけだろう。

 なぜなら、彼らにとって記事にしたあとの対象がどうなろうと一切関係が無い。諸問題は現場が何とかするべき事であり、記事による社会的影響などはどうでもいいと思っているからだ。
 つまり、彼らに場当たり的に読者たちを扇動する意志はあっても、諸問題を解決するための一勢力として関わる気が無い。また、記事を鵜呑みにした人達が何らかの損害を被っても、彼らは何か補償してくれるわけでもない。
 その程度の存在に過ぎないのだとを再認識すべきじゃないだろうか。

 叩くだけで満足して何もしない連中より、現場で苦闘し続けている人達に対してもっと目を向けていかないと、負の感情を煽る彼らに社会そのものが破壊されてしまうかもしれない。  

Posted by noraneko at 03:34Comments(0)一般/議論