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noraneko

2005年12月08日

メモ60「続々・日中戦争ほか(長文注意)」

いろいろレス。長文につき読まれる方はご注意を。
流れがよく解らない方はメモ57あたりから読んでみてください。

(12/02)「野良猫氏の方法論的倒錯について」について
野良猫氏の「続・日中戦争ほか(長文注意)」について
■ 南京事件の証明方法ほか ■

 前の記事で「単に『〜という可能性がある。疑いは晴れない』という青狐さんの論法はこういう事と同じ」と、たとえ話を書いてみた。別に個人的な思いまで否定する気はありませんが、主張にきちんと根拠が伴っていない場合に同意を求められても困るのです。
 
 すると、Apemanさんからこういうレスをいただきました。

>これは南京事件論争において「マボロシ」派が負うべき「立証責任」(野良猫氏
>自身が用いていることば)を根本的に履き違えた場合にのみ意味を持つ議論である。
>「マボロシ」説は「虐殺あった」説と対等な仮説ではない。
>「立証責任」は「マボロシ」派にこそある。

 それは「やってない証拠」を要求するという「悪魔の証明」になっていませんか。
 そもそも、僕は学者さんたちと議論しているのではなく、あなたと意見を交換しているのです。一応、分類上の「マボロシ派」になる持論ではありますが、東中野修道や小林よしのりの読者だからという訳でもない。何かの「派閥」に属している気はないので、歴史家たちがどうであるとか「権威」を出されてもちょっと困ります。

>野良猫氏:その日、私は1時から渋谷で映画を観ていました。だから私が犯人だと
>言うのは不可能です。
>裁判所:その映画が終わったのは3時、犯行現場は新宿で犯行推定時刻は4時なので
>不可能ではありませんね。
>野良猫氏:その反論に意味はありません。「可能性は否定できない」というだけ
>では、何でもありになってしまいますからね。

 この比喩も間違っています。元記事のは「予断と偏見を持った人の疑念からは逃れにくい。特定の『結論』を遮るアリバイや証人などは無視されてしまう」という内容です。
 そちらが書いているのは、単にアリバイが立証されていないケースに過ぎない。
 コメント欄で書いている青狐さんの例も同じ。

 グループの比喩を使うなら「構成員がどこで犯罪を犯したか警察はきちんと立証しろ」というだけの話です。

 さて、「南京事件」に関するこちらの定義としては──、

「南京では、一人も民間人が強姦や殺害などの被害を受けていない」と述べている訳ではない。南京攻略戦の流れ弾による被害・市街の制圧中による誤射・個人レベルでの犯罪などを否定はしない(個々のケースは軍法会議で裁かれている)。
 こうした攻防戦による犠牲者を指すのなら、国民党が起こした別の「南京事件」と区別するために「南京攻略戦・南京占領時の事件」という呼び方をすべき。また、民間人への意図的な大量虐殺は行っていないから「南京大虐殺」は存在しない。
 民間人の大量虐殺を有ったとする学説は、信頼の出来る史料を元に厳密な数字を出すべきだ。

 ──というところ。
 分析自体にはさまざまな説があってもいいはずなんですが、この手の議論になると「肯定派(大雑把な区分ですが)」の方々は、段々と感情を昂ぶらせていくようですね。
 倫理的にそんな事を考えるのが許せない、主流の持論に対して挑戦的とはけしからん。昔の感じで言うなら「暴支庸懲!!」。……そんな風にお考えなのかな、と想像中。

■ 知識人の過ちについて ■

>左翼知識人の中に朝鮮戦争は韓国が仕掛けたと信じた人間がいたこと、それが結果
>的に誤りであったことはその通りである。

 これが問題なのは、たぶん「歴史修正主義」だったところにある。出版された時期は、朝鮮戦争から二十年も経過している上に、戦争当事国ではない日本での不都合もあり得ない。
 ソ連と中国、そして共産主義を「平和勢力・解放勢力」と信じていた人々にとって、北朝鮮から戦争を始めたのは受け入れがたい事実だった。
 たぶん、藤原彰氏にとっては「真実」だったろうし、そうした「歴史観」を広めるべきというのも善意からだったのでしょうが、テキスト通信時代にも「朝鮮戦争は韓国側から仕掛けた」と書いている方を見かけました。知識人としての罪は重いと考えます。
 
 単純なミスは訂正していけば済みますが、確信犯によるものは始末に負えません。
 こうした指摘が出来るのも現在だからであって、出版当時だったら「反動右翼・親米保守」とレッテルを貼られるだけで終わっていたでしょう。
 今からほんの20〜30年前の事でも意外と知られていないようですね。
 誰もが失敗を犯す可能性はありますから、それを過度に責める気はありませんが、忘れてはいけないことだと思います。

■ ネット上での態度について ■

>藤原彰氏の名前が出たので、黒猫史お気に入りの

 前にも述べましたが、相手に理解されやすいように高コストをかけた文書でも、認めてもらえるとは限らないもので、そういう割に合わない行為がネット議論です。
 それに耐えられず、相手への悪意が各所へにじみ出るようになるくらいなら、テキストを書かない方がいいと思います。
 年齢相応の落ち着きを見せてください。

■ 南京の人口推移について ■

>攻防戦開始前に日本軍の手の届かないところに脱出した市民が相当数いたことは
>確かであるが、250万を越える人数、南京市に限っても100万を越える人数が難民区
>のみのわずか20万(プラス敗残兵?)になってしまうというのはそう簡単に肯首
>できるはなしではない。

 人口推移の検証に関してはグースさんの記事に丸投げさせていただきます。
 避難民の大多数は、南京市の下関から揚子江北岸に渡って避難しています。

>「まさか老人は殺すまい」と信じ、家財を護るために家に残った老人が殺害の対象と
>なることが少なくなかった(笠原前傾書、85頁、216頁など)。

「南京事件(笠原十九司)」が他の説と際立って見えるのは、こうした「虐殺」に関する描写の多さにありますね。本文では「牧原日記」や、中国側の「日軍侵占句容期間暴行録」「江浦抗日烽火」などが紹介されていますが、これらは終戦後に作られた史料ではないですか。
 また、本多勝一の「南京への道」も同種の資料としていますが、これらも裏付けがとれているのでしょうか?
 村落の焼き討ちと大量虐殺。これだけの事件を起こしていたなら、軍法会議にかけられているはずですし、BC級戦犯として裁かれていても不思議ではありませんが、追跡確認のとれた資料はあるでしょうか?

>「考えにくい」というのが唯一の根拠なのである。しかし災厄が迫ったからといって
>皆が皆避難するわけでないというのは、ハリケーン「カトリーナ」に際しても明らか
>になったことである。

 それは情報の有無の差ですね。南京政府の遷都宣言に伴う政府機関・軍隊の大移動、清野作戦を実施する際に、警官が各戸を訪問して立ち退かせている点などから、住民が知らずに留まる可能性はほとんど無い。

>・虐殺の多くは城外で行なわれたとされていること、
>・ほかならぬ「49人」という数字を挙げた板倉由明ですら、1万人程度の被害者が
>出たことを認めていること、

 前述の「南京事件」P.145には、追いつめられて軍装を脱ぎ捨てて「安全区」へ逃げ込んだ多数の国民党兵士が居た事が紹介されています。これらを掃討する過程で、民間人の巻き添えがどの程度出たのか……? 犠牲者の数字が異なるのは、それに対する解釈の違いにある。
 個々の強姦事件などに関しては、検証が必要。捜査の過程での誤認逮捕についても同様。責任は事態を招いた南京政府にあり、日本軍は必要な措置をとったという考えです。「虐殺」という区分とは異なります。
 ちなみに、上海戦では「安全区」に逃げ込んだ中国兵を安全委員会が武装解除させ、捕虜として引き渡している(後に宣誓させてから追放措置)。日本軍は安全区に一発の砲弾も落とさず、立ち入りもせずに戦闘終結させています。

>特に予備役・後備役兵にみられた軍紀弛緩のひどさを裏付ける史料は嫌というほど
>あり、どれを示せばよいか迷うほどである。とりあえず
>http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html
>http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html
>でもご覧になってはいかがか。

 ここの記事なら前に読んだことがあります。

 松井石根大将のコメントについて。元々、松井大将は日中友好論を唱えていて、日本軍の落ち度に過敏な立場だった。
 
 南京攻略終結後、日中合同の慰霊祭を実施しようとしたのは事実。しかし遺体の埋葬などが完了していなかったこと、日時の都合などもあり中国兵の慰霊は後回しになった。興亜観音を作ったのは、そうした経緯がある。
「兵の暴行」が何を指すのかは不明。日本軍人による物資取得に関しては、憲兵から少数の報告あり。ただし、司令部として不法行為を黙認したことはないし、組織的・集団的に行った事実はない。資材は既に持ち去られ、家屋もほとんどは無人。
 中国の戦場における略奪破壊の大半は支那軍に続いて闖入する窮民によるもの。これは略奪の被害者である支那人から直接聞いた、と証言を残している(中山寧人情報参謀の証言より)。

 また、安全区委員会は、日本軍に関する抗議を日本領事館に行っていた。その連絡が日本政府に「虐殺」という内容で届き、中支派遣軍司令部に確認を求めている。畑俊六日記もそうした経緯を書いたもの。岡村日誌も同様。
 中国兵の捕虜に関しては、揚子江の北岸に追放処分を行っただけで安易な殺害は否定。第六師団の記録には、故郷から無理矢理徴兵されてきた中国兵を送り届けるエピソードも紹介されている。
 当時の高官・軍人には中国に親近感を持つ者が多く、支那事変には心を傷めています。それぞれの日記からは、そうした心情しか読み取ることができません。

>軍法会議にかけられたケースは氷山の一角に過ぎない。
>大規模な性的暴行が「混血児」の誕生によって明らかになるには以下の条件が
>満たされねばならない。

 そこを「氷山の一角」と解釈できるかで見方が分かれるんでしょう。笠原説を認めるかどうか、とも言い替えられるかな。証言=真実というのでは、従軍慰安婦の時と同じパターンになってしまいますから、正確な検証が必要です(さもないと、前述の青狐さん連続強姦魔疑惑と同じことになる)。

>中支那方面軍の戦闘序列が解かれたのが38年2月14日なので、3月末までを事件の
>時間的範囲とする笠原氏の解釈も「南京攻略時における」事件として決して突飛
>ではなく、

 正確には「南京事件」P.214に書かれている通り、3/28の中華民国維新政府(後の汪兆銘政府)が出来るまで、と解釈されたいんですね?
 グースさんの所でも触れている人口推移・年が明けてからのスマイス調査による人口調査(最大でも25万人)、という状況をご覧になってください。日本軍兵士ですら自由には出入り出来なかったはずの「安全区」への常習的な出入りによる犯罪行為か、避難から戻ってきた住民を後のソ連軍のように襲撃しない限り、笠原説の支持は難しいでしょう。

■ 百人斬りとか ■

>この件に関する研究者で新聞記事通りのことがあったと主張しているひとは
>いませんから。しかし二人の被告が虐殺を行なったことは元部下らの証言で
>明らかになってますがなにか?

 元々、彼らは米軍司令部で取り調べを受けた際「報道被害」という事で釈放されています。「孤島の土となるとも」には、目撃者も証人もない状態で11月の第一回訊問から一ヶ月程度でのスピード判決だったと記されています。
 ですから、裁判に関する詳細な内容が載っている本や「元部下の証言」などを説明していただけると助かりますので、どうかよろしくお願いします。

■ 南京攻略の責任論とか ■

>青狐さんのところで論破されて、そのことを私も指摘したのにまた性懲りもなく
>同じ議論を繰り返しますか? 「停戦交渉が成立するまで継続されるもの」という
>のは戦争の「開始」についてはなんの説明になっていませんね? 

 すみませんが、本当に意味不明です。上海の租界に攻撃をかけてきたのは国民党軍ですし、停戦条約が締結されるまでは戦争は続きます。第十軍は当初の作戦計画だと損害が増す危険性があるので、迂回攻撃を打診したというのが流れです。
 暫定的な停戦なども全く成立していなかったのですから、日本側の不備ではない。

>さて、問題は和平交渉が成立しなかったのはなぜか,です。蒋介石は12月2日に
>和平条件をのむ意向をトラウトマンに伝えていますね? 和平案を蹴ったのは
>日本側です。その理由は他ならぬ野良猫氏が語っている

 いえ、12/22に前述の条件をベースとする案を提出し、来年1/5ごろまでに返答するようにと日本政府は要求しています(日満中の経済協定・非武装地帯の設定・反日政策の停止と反共政策への協調など)。

 しかし、明確な回答が得られなかったので打ちきりとなっています。ブリュッセル会議の不調・南京の陥落という痛手を受けながらも、蒋介石は譲歩をしてこなかった。そういう点では日本は失敗しましたが、停戦が成立したとして約束が遵守されていたか?
 また、交渉が成功する可能性に賭けて、上海周辺に軍を留めておく方が良かったとも考えにくい。汪兆銘のような現実主義者が南京政府の指導者に就かない限り、日中関係の安定化は難しかったでしょう。

■ 歴史観と外交について ■

>「当たり前」ではありません。単に「よくあること」というだけです。事実と
>当為とを混同しないでください。
>滑稽ですね。私はむしろ「歴史観」を「国家」という軛から解き放つことを主張して
>いるのですが。

 戦争はそれぞれの「正義」や「国益」に基づいて行われるものです。物理的事実は一つでも評価が異なるのが「当たり前」。明確な善悪二原論で区別できるようなものではありません。単に他国の歴史観に迎合するのは「国家から解き放つ」とは言いませんし。
 やるとしたら、中韓の「歴史観」を「国家」というくびきから解放するのが先ではないでしょうか?

■ 立花隆さんとか ■

>>……。雇用主の家族に丁寧に接するのは、使用人として当たり前のことでしょうに。
>はい、でましたねこども騙しのスリカエが! 
>いったいなにを根拠にこう断言するのですか? 自分の気に入らない歴史解釈はすべ
>て「東京裁判史観」だとしているだけではありませんか。
>で、だからどうだと言うのですか?

 ですから、前にも述べたように朝鮮半島や満州・租界などで働いた経験のある世代でない限り、検証材料にする価値はありません(汗)。戦前と戦後という価値観がガラリと変わった時期を冷静に判断するには、それが最低条件でしょうに。
 終戦時5歳の子供が持つ記憶から、植民地支配を断罪できると本気でお考えならそれはそれでいいんじゃないでしょうか(^_^;)。

■ 大東亜戦争の「運命論」とか ■

>この文章自体のうちに大きな矛盾が含まれていて意味不明なのですが…つまり
>真珠湾攻撃を考えたのは偽物の「軍国主義者」だったとおっしゃりたいのですか?

「軍国主義」が軍事力行使を優先させる主義ならば、日本はそうではなかったという事です。ハルノートすら受諾して時間稼ぎをしつつ、事態の改善をはかるという手もある。または、アメリカと戦いたいならば蒋介石と和平を結んでからにする。軍事は現実主義でないと扱いきれません。

>>……? 日本がわざわざそうした事態を招いたのは、どんな理由だとお考えですか。
>あの戦争が「運命的」だったと主張しているのは野良猫氏なのですから、あなた
>こそが「理由」を示すべきではないのですか? 私は「非合理的」だった、つまり
>筋の通った理由はないと言っているのです。

 つまり、日本政府や軍高官が愚かだったから日米戦になって自業自得で負けた、という考え方でしょうか。それこそが「東京裁判史観」なんですが……。

>質問への答えになっていませんね。それはさておき、「日本人居留民の安全が守ら
>れていない」のはなぜか? 彼らが歓迎されていなかったからでしょう。ではそれ
>はなぜか? …と「歴史的経緯」を辿るおつもりはないのでしょうか? またソ連
>との間に「緩衝地帯」をつくるうえで満州国建国が唯一の手段であったことを論証
>しなければ、あなたの主張は維持できません。

 日本人が歓迎されてなかったのではなく、外国人全体が排撃の対象になってただけ。その原因は、中華思想と清国政府からの伝統で失政を外国人のせいにしていたため。領土や従属国を失っていったのも、諸外国が「悪」だったからではなく、戦争に負けたからに過ぎません(主に中国側からのもの)。無理にとは言いませんが、感情移入抜きで年表を調べてみてください。
 そこが解らないから「観念論」なんです。

>清と中華民国の法的連続性をどう考えるかという問題が絡みますが、清はほかな
>らぬ「満州族」がつくった帝国です。清に続いた国家がその領土を引き継いだ際に
>「漢民族固有の領土ではない」などという論理が直ちに通用するわけではありません。

 それは「中国」という国が昔から一つという前提ですね。実際は何度も分裂して領土も変化している上に、異民族が統治する王朝の方が多かったくらい。ヨーロッパの諸国家だって分裂と統廃合を繰り返している。
 昔から領土がほとんど変化しなかった、日本のようなケースこそ少数派。全ての国家が自然に誕生したものでもなく、グレーゾーンなものも世界中にある。満州国もそうした分類にあるものと考えています。
 状況によって領土が減るというのも当然のことで、世界中の国家が最大領土を主張し出したら地球はパンクしてしまうでしょうね(^_^;)。この点で中国側を支持する必要性を感じません。

>単に「他の選択肢はなかった」と言える事こそ、当時の世代を軽く考えている証拠
>ではありませんか。
>これも野良猫氏があちこちで指摘されている、「相手の主張を捏造する」事例の一
>つですね。誰がアメリカが「世界一の大国」であったことを否定しましたか?

 ここまで来ると言葉遊びですね。ならば、具体的に「他の選択肢」を述べてください。どうすれば日米交渉は成功して開戦を避けられたのか……? 興味が尽きません。
 また「当時は現在の米国のような超大国はなかった。イラク戦争を太平洋戦争の比喩にするのは間違っている」と反論したのはご自分です。

>……これも面白いご意見ですね。第一次大戦の時点で五カ国の戦略物資を賄い続
>けた米国は、既に世界一の大国となっていました。

 そこでこのような反論を受けたのですから、きちんと前後の文脈を思い出してみてください。

■ 侵略の定義とか ■

>侵略:ある国が他国の主権・領土・政治的独立を侵すために武力を行使すること。
>(『大辞林第二版』より)
>侵略:他国に侵入してその領土や財物を奪いとること。(『広辞苑 第四版』より)
>別に具体的な占領計画など必要ありませんね? 正当な理由なく他国の領土で軍事
>行動を行なえば「侵略戦争」と批判されて当然だと思いますが?

 それでは、支那事変は「侵略戦争」ではありませんね(汗)。国民党側から起こした地域紛争が長期化したものであって、日本側が資源や領土を求めて起こしたものではないのですから。悪くても喧嘩両成敗。
 スターリンのバルト三国併合やフィンランド侵攻とは別物とすべきでしょう。または、中国共産党のチベット併合・中越戦争なども同類に出来ますね。
 結果的に深く攻め込んだ側が「侵略者」だとすれば、国民党軍が各国の租界を占領したり満州国内に侵攻していれば、彼らがその名をさずかっていた事になりますが、この判断でよろしいでしょうか?>Apemanさん。

>もしそうなら「東京裁判史観」とか「反日左翼」(例えばここのコメント欄)なんて
>言葉を使うのはオッケーなんですか? って、これもすでに指摘されていたことなん
>ですがね(ここのコメント欄で)。ほんとに懲りない人ですね。

 すみませんが、これは「評価」というものなので簡単には変えられません。議論が進むにつれて攻撃的になる傾向・徒党を組みたがる性質・反米や反日ではあっても等質の視線で中国や朝鮮を見られない点……、長年の経験を元にしていますからね。
 保守にもヘンテコな人は居ましたが、左翼傾向な方々の方が圧倒的に多かったんです。現在の議論にしても、ちょっとまともな形で進んでいるとは言い難い。
 結局、こうしたやりとりの積み重ねが、中間層や味方になってくれそうだった人々の反発を買ってしまい、現在のネット世論を作り出してしまった事を解らない人が多いのかもしれません。

 現在の「ネット右翼(保守でもいいが)」を作り出したのは、実社会にいる左翼や片仮名のサヨクである事に気づこうともしない。Apemanさんや青狐さんのようなタイプが、旧軍で幅を効かせていたから日本は負けたのかもしれません(^_^;)。
 自分からは以上です。資料的に面白そうな情報があればレスするかもしれませんが、これ以降は確約できませんのでご了承ください。

参考資料:


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この記事へのコメント
ところで、「南京城外の半径16キロを焼き払ってしまっています」という記述が笠原氏の『南京事件』、120頁に書かれている…という件はスルーなのですか? 私のエントリのどこに言及してどこに言及していないかを比較するとなかなか興味深いですね。
Posted by ゲスト at 2005年12月08日 09:23
>自分からは以上です

野良猫さんは議論の終了を意図されているわけですね。前回の「メモ59」での笠原「南京事件」120頁の内容を歪曲・捏造したことには一言も言及すらせず、さらに今度の「メモ60」でも新たな歪曲・曲解をされているようですが、こういう「歪曲・曲解・捏造の繰り返し」はもはや野良猫さんの「議論手法」になっているようですね。

今回の「メモ60」での一例。

>>特に予備役・後備役兵にみられた軍紀弛緩のひどさを裏付ける史料は嫌というほどあり、どれを示せばよいか迷うほどである。

>安全区委員会は、日本軍に関する抗議を日本領事館に行っていた。その連絡が日本政府に「虐殺」という内容で届き、中支派遣軍司令部に確認を求めている。畑俊六日記もそうした経緯を書いたもの。岡村日誌も同様。

…岡村寧次大将の認識のキモは上海で宮崎少将や原田中将らから聴取した以下の部分で、ここをばっさり無視して語ってはいけませんね。
「上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある 」

原田熊吉少将は「中支那方面軍」の特務部長で、ラーベ日記にも登場します(後に中支那派遣軍の特務部長)。第十一軍参謀の宮崎周一少将も事件後の現地に入っています。
つまり、岡村大将の認識は「現地日本軍の特務部長」や「現地入りした日本軍参謀」の報告を情報源とした「軍紀弛緩のひどさを裏付ける」日本軍の内部情報なのですが、野良猫さんはこれを「国際委からの抗議文書」をソースとするかのように論じているわけですね。

そして、「メモ59」にはこんな記述が。

>当時、岡村大将や松井大将が「日本軍の軍紀が緩んでいる」と嘆いているのはこうした内容であって、民間人への虐殺や強姦ではありません。

これが、原田や宮崎への聴取に基づく「南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である」という記述に対する、野良猫さんの解釈ですか。
同じ「メモ59」コメント欄で

>テキストを書く場合にしても、内容を推敲して漏れがないように注意するものです。掲示板はチャットボードではありません。

と述べられている野良猫さんのことですから、充分推敲のうえで発言されたことでしょう。となると、野良猫さんは「確信犯」的に歪曲・曲解・捏造を繰り返す人間という汚名を免れないように思われますが、まあ議論を終了したいのならやむをえないかもしれませんね。
Posted by ゲスト at 2005年12月09日 01:11
それから、同じ「メモ60」に、

>清野作戦を実施する際に、警官が各戸を訪問して立ち退かせている点などから、住民が知らずに留まる可能性はほとんど無い。

「立ち退かせた」という史料を提示できないのなら、これも野良猫さんの「捏造」ですね。
…単に警官が「警告して歩いた」という史料しか提示できないとしたら。

少なくとも、田中正明の著書にある「下関地区の宝塔橋街の数千人の難民と約2万の市民」は「警告」を受けたが「立ち退かなかった」、渡江しなかったということのようですね。(それともそもそも「警告」を聞いていなかったか)

では、もしよろしかったら警官が実際に「立ち退かせた」という史料的根拠をご呈示ください。
Posted by ゲスト at 2005年12月09日 01:47
 ご指摘ありがとうございます。そのおかげで「南京事件」をきちんと読み返しながら、この記事を書くことが出来ました。
 笠原説や本多勝一の著書を認識の基本としているか、参加した将兵の証言や当時の記録を元にした主張に目を通しているかによって、支那事変や南京事件への評価はガラリと変わるようです。
 トラックバック先の記事について、簡単に。

>中国人が独立を達成しようとして努力するのはけしからん”という前提をおく時に
>限り理解可能なものとなるからだ。
>中国の独立を侵した結果日本は自滅したのだから。

 たぶん、Apemanさんの内部では「中国」という一つの国民国家があり、抗日テロや国民党軍の攻撃は「独立戦争としての聖戦」のような解釈をなさっている。
 ですが、それは分析というよりは願望であって、あなたの歴史観に近いものでしょう。 近代化による国力の充実と、外交交渉による外国に渡した権益の奪還という、日本が出来た選択肢をとれなかったのは彼ら自身の責任です。本当に中国に対して共感を感じるのならば、もう少し客観的になられるべきですね。

>モニターが通訳を訂正しているため分かりにくいが、城内には最低30万人、安全区
>には少なくとも20万人ということなら差し引き10万人が安全区外にいたことになる。

 人口の推移に関しては先のグースさんの記事をどうぞ。スマイス調査では20万人〜25万人となっていますから、ダーディン記者が陥落直前の時点(12月11日)に語っていた「5万人」が安全区に移ってきたという話。矛盾はありません。
 マギー神父もこの調査を元に漠然と証言しているだけで、裏付けるデータはありませんね。人口を調べるのなら「多い」という証言だけでなく、当時の記録と比較しながら検討しなくてはなりません。

>私がカトリーナを例に出したのは、「災厄がやってくるという情報を保有していても
>避難できずに留まる人々が少なからずいる」ことを示すためである。二重の意味で的
>外れな反応であろう。
>「南京事件」という名称が気に入らないのなら「南京大虐殺」でいいじゃないですか。

 さて、国民党軍が清野作戦を実施する際、「退去しないものはスパイとみなす」という警官の勧告をしています。つまり、城外の市民は揚子江北岸に避難したが、遠くに避難する交通費もない貧困層だけが「安全区」に避難しているのが流れです。
 Apemanさんの信じる笠原説は、多数の市民が居残った上で殺害されたという前提ですから、ここに無理が生じている。
 むしろ、自然災害と戦場になる危険性を同一視する事に無理がありますね。

 その「南京大虐殺」という定義が問題だと語り合ってきたのに、こういう返答をされても困ります。また「南京事件は数の問題ではない」という論に、中村氏のテキストを引用するのは不適切です。
 この文章は、日本人居留民が虐殺された件についての反論であって「南京大虐殺」という名称の肯定ではありません。あべこべに引用なさらないでください。ここまでの流れでは、笠原説をベースとなさってきたのですから「南京大虐殺」という言葉の定義もそれに合わせるべきですね。そうでないと「南京大虐殺」という名称だけを守りたいかのように「誤解」されかねませんからね。

 また、安全区委員会に届けられた「日本兵の暴行」が、ほとんど全て「伝聞」に過ぎないことも明記すべきかと考えます>スマイス調査について語る場合。

>それから、野良猫氏はいったいなにを根拠に「段々と感情を昂らせて」などと言って
>いるのであろうか? 

 ……ログから一つずつ引用された方がよろしいでしょうか? そこまではやりたくありませんが。冷静なまま書いていたならば、敵意や悪意をむきだしにしている大人げない人物という事になりそうです。

>当時の日本軍の軍紀を憲兵はどう認識していたか。

「南京事件48人の証言」では、上砂勝七氏「憲兵三十一年」に関する質問がいくつかされていますが、略奪や強姦に関する証言は得られていません。「1937南京攻略戦の真実」ではこんなエピソードも紹介されています。食料の調達をしようとした日本兵が憲兵の貼った封印テープを知らずに破ってしまい、軍法会議にかけられそうになったというものです。当時の軍紀レベルに関する傍証にもなるでしょう。
 残りの二つに関しては、南京事件とは無関係。個々のエピソードに関しては要検証。井上源吉氏の記事は「伝聞」なので、逮捕した記事などがあれば確認したいところ。
 弾薬が欠乏していた陸軍にとって、面白半分で発砲する余裕はありません(食用などのケースは例外)。

 これらを読む限りでは、個々の悪質なケースには憲兵が機能していたという内容しか読み取れません。

>「元部下の証言」についてはこちらをどうぞ。

 ふむ、志々目証言は講演時の伝聞ですね。望月五三郎氏は南京裁判の証言に立たれたのでしょうか? また、同じ部隊から複数の証言は確認されていますか?
 かつてETV特集で「うさぎ狩り作戦」を告白した日本兵が、同じ部隊の戦友達から「そんな作戦をしてないだろう」と問いただされ「日中友好に必要だから、嘘だと解っていても語るのだ」と本音を語った番組がありました。有名な「撫順帰り」の方でした。
 ですから、裁判ではどのように検証されていったのか、被告はどのように答えているか、証拠資料とされるものの信憑性は確かなのか、そういった確認が必要なのです。

「百人斬り」を訴えていた人達にも立場はあるでしょうが、立件して死刑にするには根拠が薄弱です。当時「報道被害」として釈放した米軍司令部の判断が妥当だったと考えます。

>満州国建国の時点で、住民の多数派は漢人でした。

 人口の多寡はあまり問題にはなりません。重要なのは歴史的経緯です。バルト三国のように、ロシア人が半数近くを占めているケースも珍しくない。満州は満州族の土地であって漢民族固有の領土ではありません。また、漢民族が移住したのも解禁された清国末期からのこと。先住権は満州族にあります。

>要するに「逃げる」ということですね?

 そう思われるのはあなたの自由ですし、あなたの「歴史観」を否定したり説得しようという気は元々ありません。
 そちらが何か貴重な資料や書籍の情報を記事にされた場合は、また何らかの感想を書くかもしれません。そういう機会がありましたらよろしくお願いします。
Posted by 野良猫 at 2005年12月09日 02:26
>では、もしよろしかったら警官が実際に「立ち退かせた」という史料的根拠を
>ご呈示ください。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page016.html

↑こちらのミニボートリン日記を参照。「清野作戦」で家屋を破壊するのだから、住民に説明して立ち退かせるのは当然のことですね。
「下関地区の宝塔橋街の数千人の難民と約2万の市民」の経緯に関しては不明。

http://nankinrein.hp.infoseek.co.jp/page007.html

↑人口調査に関する特務機関の報告について。
 日本軍は良民証を安全区外の住民にも発送していたようなので、このグループが揚子江北岸に去ったのでもない限り、人口にはカウントされているでしょう。
 笠原説の強化を望むのでしたら、「清野作戦」で焼き払われた地域などに数万規模の住民が残っていた、という資料が必要になります。「南京事件(笠原十九司)」P.92を読む限りでは、ほとんど避難してなかったという解釈のようですね。
 この差をどう埋めるのかが、青狐さんの課題となりますので頑張ってください。
Posted by 野良猫 at 2005年12月09日 03:03
>「南京事件」をきちんと読み返しながら、この記事を書くことが出来ました。

ということは、「きちんと読み返しながら」同書の120頁の内容を歪曲・捏造して、その後もシラを切り続けているわけですね。いやあ、やっぱり「歪曲・曲解・捏造」は野良猫さんの議論手法なのですね。

いやはや、困ったものですね。
Posted by ゲスト at 2005年12月09日 03:10
>>>清野作戦を実施する際に、警官が各戸を訪問して立ち退かせている点などから、

>>警官が実際に「立ち退かせた」という史料的根拠をご呈示ください。

>こちらのミニボートリン日記を参照

質問への答えになっていないですよ。ヴォートリン日記に「警官が」立ち退かせている」という記述、ありますか?リンク先を見る限りではありませんね。
結局「メモ60」での「警官が立ち退かせている」という記述は、野良猫さんが脳内で創作されたわけですね。

どうやら、このブログを読む人は、野良猫さんの記述一つ一つについて「事実」なのか「野良猫さんの脳内事実」なのか、さらには「歪曲・曲解・捏造」ではないか、注意深く読まないといけないようですね。
Posted by ゲスト at 2005年12月09日 03:32
>このグループが揚子江北岸に去ったのでもない限り、人口にはカウントされているでしょう。

確かに「事件発生後の人口」にはカウントされているかもしれませんね。でも議論になっていたのは「事件発生前の人口」が20万人という説の信憑性ですから、事件発生後の人口(生き残った人の数)は関係ないのですけど。

何が論点になっているのか、(ご自分で主張されながら)お忘れになったのですか。困ったものですね。
Posted by ゲスト at 2005年12月09日 04:11
前々から不思議に思っていたのですが、野良猫さんは“双方のエントリを読み比べる第三者”の存在を想定しておられないんでしょうかね。ちょっと読み比べればすぐにばれるスリ替え、ごまかしにあふれていて、「南京事件はなかった」とあらかじめ信じている人間以外の読者にはまったく通用しない議論です。かく言う私が、もともと青狐さんや jimusiosaka さんとのやりとりをギャラリーとして眺めていた期間が長かったのでよくわかるんですが。

>  笠原説や本多勝一の著書を認識の基本としているか、参加した将兵の証言や当時の記録を元にした主張に目を通しているかによって、

いったいなにを根拠にこんな二分法を主張するのでしょうか? 私はむしろ秦郁彦を積極的に援用していたはずですが? だいたい私は『南京への道』も読んでないし(つい先日買いました)笠原氏の著作も『南京事件』をもってただけで、ちゃんと読んだのはこの2週間のことです。
他方、野良猫さんがどこまで「選り好み」せずに「当時の記録」に目を通したのか、はなはだ疑問ですね。「なかった」と主張するために使えそうな資料だけとりあげればなんとでも言えてしまうわけです。

>  Apemanさんの信じる笠原説は、多数の市民が居残った上で殺害されたという前提ですから、ここに無理が生じている。

いつ私が「笠原説を信じる」といいましたか? また捏造ですか? 私が笠原説に言及したから「信じている」ということなら、私は同時に秦郁彦説も信じている、という珍妙なことになってしまいますが…。

> むしろ、自然災害と戦場になる危険性を同一視する事に無理がありますね。

野良猫さんの「安全区にいかなかったとは考えにくい」という勝手な推測よりはよほど合理的な類推だと思いますが。

>  その「南京大虐殺」という定義が問題だと語り合ってきたのに、こういう返答をされても困ります。また「南京事件は数の問題ではない」という論に、中村氏のテキストを引用するのは不適切です。

どこが不適切なんでしょうかね? 南京事件の被害者は1万人ほどと主張する論者が「12人」を「大量虐殺」と主張しているのですから、「大虐殺」という用語の使い方に関しては十分参考になる事例です。

>  ふむ、志々目証言は講演時の伝聞ですね。望月五三郎氏は南京裁判の証言に立たれたのでしょうか? また、同じ部隊から複数の証言は確認されていますか?

またスリ替えですか。「百人斬り=マボロシ」説を唱える人は必ず「南京裁判の事実認定」、「新聞報道」、「事の真相」の三つを意図的に混同して論じますね。私はちゃんと「南京裁判の事実認定には問題があっただろう」としたうえで、「しかし新聞報道以上に悪質な殺害を行っていたことの証言がある」と書いたでしょ? それから早く私の質問に答えてくださいよ。新聞記事「だけ」が証拠だというのが野良猫さんの主張だと理解してよろしいのですね? あとから「いやそれは…」などと言い出しませんね?
Posted by ゲスト at 2005年12月09日 08:27
> ご指摘ありがとうございます。

これはひょっとして、笠原氏の『南京事件』を歪めて援用したことをしぶしぶ認めたということなのでしょうかね? なにしろ清野作戦の規模が問題になっているときにあれほど重要な語句を省略してしまうんだから、野良猫さんの文章に引用がある時には原典の参照が欠かせませんね。

>  人口の多寡はあまり問題にはなりません。重要なのは歴史的経緯です。バルト三国のように、ロシア人が半数近くを占めているケースも珍しくない。満州は満州族の土地であって漢民族固有の領土ではありません。

もう支離滅裂ですね。「中国の領土はしょっちゅう変化していた」と主張しつつ「満州は漢民族の土地じゃない」と主張するわけですか。満州族の王朝である清の後に続く政権が満州を自国の領土だとみなすのは至極当然のことだと思いませんか?

>  たぶん、Apemanさんの内部では「中国」という一つの国民国家があり、抗日テロや国民党軍の攻撃は「独立戦争としての聖戦」のような解釈をなさっている。

また勝手な捏造を…。私は野良猫さんのように「善か悪か」という単純化された見方をしてませんので。だいたい「一つの国民国家があって」と「独立戦争」という二つの認識は矛盾してるじゃないですか。勝手にそんな矛盾した認識を押し付けないでください。

> ですが、それは分析というよりは願望であって、あなたの歴史観に近いものでしょう。 近代化による国力の充実と、外交交渉による外国に渡した権益の奪還という、日本が出来た選択肢をとれなかったのは彼ら自身の責任です。

あたかも日本は自分の力だけで「近代化による国力の充実と、外交交渉による外国に渡した権益の奪還」を達成できたかのように考えるのは「分析というよりは願望であって、あなたの歴史観に近い」でしょう。むろん清にも他の選択肢はあったしその意味で多くの過ちを犯したわけですが、そこから「だからその失敗につけこんでもよいのだ」と考えるかどうかはまた別のはなしです。
Posted by ゲスト at 2005年12月09日 08:40
> そちらが何か貴重な資料や書籍の情報を記事にされた場合は、また何らかの感想を書くかもしれません。

「やっていない」という証言にはすぐ飛びつくのに「やった」という証言は「撫順帰りだから」といった理由で斥けてしまう方にはどんな「資料」を提示しても無駄かもしれませんね。なにしろ、エスピー報告書にある「しかしながら、日本軍が南京に入城するや、秩序の回復や混乱の終息どころか、たちまち恐怖政治が開始されることになった。十二月十三日夜、十四日朝には、すでに暴行が行われていた」や「あるアメリカ人が数えたところ、アメリカ人所有の建物で、一夜に三〇件の強姦があったことが認められた」といった記述を無視してこの報告書を南京事件否定の根拠とした人物が現われたとき、野良猫さんはそれを「自らの主張を説明する際には、趣旨に合った分かりやすい資料を引用・提示する」のはかまわないのだ、としてかばったくらいですから。
常識的に考えて、「やった」と述べる証人と「やってない」と述べる証人のうち、どちらが嘘をつく動機をもつかと言えばこれはもう自明であるわけです。もちろん、強要や誘導による自白というのもありますから「やった」という証言の吟味が必要なのは事実ですが、野良猫さんは「やってない」という証言の方にはそうした吟味を行なわないわけです。これは野良猫さんのスタンスが歴史研究者のそれではなく弁護人のそれだ、と考えれば腑に落ちます。しかし歴史的事実を追求しようとするなら、「検事」の視点をとってはならないのと同じくらい「弁護人」の視点をとってもならないはずです。

自説に不利な資料は決して認めようとしない人物に対しては、その議論の内在的な破綻を指摘するのがもっとも有効ということになります。例えば上海事件に関して私が「日本人僧侶襲撃事件の演出」に言及したとき、野良猫さんは

> その田中隆吉少佐(当時)は、東京裁判で連合国側の証人となって日本側の戦争責任を追及したとして有名な方。天皇陛下への戦争責任追及を避ける事を条件として、裁判の進行に一役買っていただけ。

とまたしてもアド・ホミネムな議論に訴えたわけですが、よく考えてみるまでもなくこれは反論にもなんにもなってないわけです。むしろ「そんな人物なら謀略に手を貸してもおかしくないだろう」と考えることだってできるからです。
Posted by ゲスト at 2005年12月10日 12:15
それから、こういうのは野良猫さんにとって「貴重な資料や書籍の情報」になりますでしょうか。

>「南京事件48人の証言」では、上砂勝七氏「憲兵三十一年」に関する質問がいくつかされていますが、略奪や強姦に関する証言は得られていません。

とおっしゃってたわけですが、これは正しくは『「南京事件」日本人48人の証言』のことですよね? グース氏もこの本については「学術的な価値は高い」と評しておられるわけですが、山本弘氏は次のように言っています。

> この『「南京事件」日本人48人の証言』の中にも、ちゃんと虐殺の目撃証言は
>出てくるんですよ。27・51・119〜121・194・276ページに。あと、直接の目撃では
>なく伝聞なら、54・98・112・282〜283ページにあります。
> 中には捕虜を数人ずつ並べて銃剣で突いたとか、刀で首を斬ったという話も出て
>きます。
> それと、民間人が兵士と間違われて連行されたという話も、(伝聞ではあります
>が)261ページの重村実大尉の証言に出てくるんです。
>
>>「(前略)中には指摘された者の家族が、うちの人は兵隊ではない、ということも
>>あったようです。また、新聞記者から聞いた話ですが、新聞社で使っていた中国人
>>が連れて行かれたので、憲兵隊にそのことを言って、危うく助けてもらったという
>>ことです。いいかげんに連れていったことがあったようです。
>
> あったんじゃんか!
> やっぱり隠してるじゃんか、あんた!
> 重村氏の証言にはさらに続きがありまして、
>> まだ上海にいた時のことですが、一度こういうことがありました。陸軍の兵隊が
>>支那人をつかまえてきましたので、どうするんだときくと、怪しかったらやります
>>と答えてました。どうして怪しいのがわかるのか、と聞くと、面構えでわかると言
>>ってました。
>
> 面構えで判断してたんかよ〜!
(http://d.hatena.ne.jp/claw/20041028#p4)
いかがですか?
Posted by ゲスト at 2005年12月10日 21:28
re:青狐さん

>これが、原田や宮崎への聴取に基づく「南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦
>等の大暴行があったことは事実である」という記述に対する、野良猫さんの解釈
>ですか。

 本当に、いろいろと質問してくるものですねぇ……(^_^;)。
 この文書には略奪強姦の主語がない。南京陥落までの数日間は、国民党軍が自国の市民に略奪や暴行を行っているのは別URLにも記されている。また、兵站が乏しかった日本軍にとって、大量の捕虜を長期間養うのは困難だったので、武装解除の上で追放していた。
 戦闘中に、国民党兵士が個人単位でバラバラに手を上げてくるケースはあったが、日本軍側も半数が戦士するような状況下で、収容する余力が無く追い返している。降伏したと見せかけて手榴弾を投げてくるケースなどもあったので、彼らの自業自得とも言える。
 先述の通り、日本政府には安全委員会からの苦情が届いていたので、疑惑払拭に後任の岡村大将が励んでいたのは自然なことですね。

>質問への答えになっていないですよ。ヴォートリン日記に「警官が」立ち退かせて
>いる」という記述、ありますか?リンク先を見る限りではありませんね。

 ふむ? 意味がよく解りません。警官や国民党軍が立ち退かせている描写ならありますが。「南京事件(笠原十九司)」P.93には「日本軍が農村から食料を奪った上に家々を焼き、農民を殺戮した。難民と化した村民達は、部落掃討にやってきた別の日本軍に虐殺された」と書いてありますね。

 この記事や「清野作戦」の風景を調べる限り、国民党軍が退却時に道路沿いの施設を使えないように焼き払ったり、略奪したようにしか読み取れないのですが(もちろん日本軍も食料調達は行っていて、敗残兵たちと散発的な戦闘も起きている)。
 前に紹介したこちらと比較していただければ、整合性はとれているように思うのですがいかがですか?

 また、下関北部の宝塔橋街には、12/14に砲艦「比良」の乗組員が上陸して治安を回復。中国軍に略奪暴行の限りを尽くされ、困窮していた難民たちを見かねた土井艦長は、第三艦隊司令部に食料の配給を要請。司令部もこれに応えて相当数の物資を難民に供給。
 これを感謝した市民の代表らは「比良」に感謝状を贈呈。さらには、宝塔橋街は日本軍による治安回復を記念して、「平和街」という名前に変わったというエピソードがありました。(「仕組まれた南京大虐殺」大井満より)

 第十六師団の佐々木旅団が下関で戦闘開始したのは、12/13の午後1時半からのこと。彼らが宝塔橋街に行ってないアリバイとして併記しておきます。この佐々木到一少々は、中佐時代に国民党軍の軍事顧問として、蒋介石の北伐を助けた経歴の持ち主でもあります。

>でも議論になっていたのは「事件発生前の人口」が20万人という説の信憑性です
>から、事件発生後の人口(生き残った人の数)は関係ないのですけど。

 いえ、とても大事なことです。笠原・藤原説のような大量虐殺説を立証するには、人口増減の確認が必要になるのですから。笠原説では「もっと大勢の難民が居たはず」とされているようですが、こちらの知る限り当時の外国人資料からそれを裏付けるものは無いようです。
 そういう資料があれば、そちらのブログから改めてトラックバックをどうぞ。

re:Apemanさん

>前々から不思議に思っていたのですが、野良猫さんは“双方のエントリを読み
>比べる第三者”の存在を想定しておられないんでしょうかね。

 前にも書いた気がしますが、読んでくれている人の支持を得ようというつもりは有りません。見落としを指摘して貰えれば、こちらにとっても助かりますし「分析」したい他の方々のたたき台にもなるでしょう。それで充分なんじゃないでしょうか。

>いったいなにを根拠にこんな二分法を主張するのでしょうか?
>どこが不適切なんでしょうかね? 南京事件の被害者は1万人ほどと主張する論者が
>「12人」を「大量虐殺」と主張しているのですから、「大虐殺」という用語の使い方
>に関しては十分参考になる事例です。

「南京事件(笠原十九司)」をよく引き合いに出していたからですよ? 秦郁彦の説を信じているならば、そこから人数について論じなくてはいけません。
「南京大虐殺」は「人数はともかく何万・何十万と虐殺された」という意味で使われているのですから、この事例では不適切です。そうでないと「通州大虐殺」のように「大虐殺」のオンパレードになってしまいますからね。「旅順大虐殺」というのもあるかな。

 つまり、笠原説を信じているならともかく、秦郁彦説をベースにしているならそういう論法では非常にまずいと思います。

>それから早く私の質問に答えてくださいよ。新聞記事「だけ」が証拠だというのが
>野良猫さんの主張だと理解してよろしいのですね?

 はい、自分の知る限りでは、南京裁判で証拠とされたのは例の新聞記事だけです。他に裁判で使用された有力証拠や、同じ部隊の証言者が居たのなら是非教えていただきたい。志々目証言の元になった「講演」では「そんな内容は聞いていない」という別の証言者も居るようですし、望月五三郎氏は南京裁判で証言されたのでしょうか。
「据えモノ斬り」という内容が、一体どこから付け足されたのかも気になります。

 このあたりの問題は、BC級戦犯がどのようにして裁かれていったかを調べた方が解りやすいはずです。

1.裁判で死刑になったのだから、ある程度は信憑性のおける審理がされたのだろう。
2.裁判そのものは疑わしいが講演内容にウソはないはず。だから「百人斬り」はあった。
3.裁判や講演内容は疑わしいが、手記があるのだから間違いない。
4.どれにも全幅の信頼は出来ないけど、たぶんあったと思う。

 大体、このパターンに分類出来ると思うんですが、僕は4の変形パターンで「疑わしい内容が、宣伝が重ねられていった結果信じられるようになった」と考えています。

>満州族の王朝である清の後に続く政権が満州を自国の領土だとみなすのは至極
>当然のことだと思いませんか?

 ……えーと(汗)。清国という女真族の国と、明国という漢民族主体の国は別の国家ですよね。それから明が滅ぼされて一つの帝国となる。その後、清国が滅亡して中華民国が出来た際に、別民族の彼らが別の国家を作ったとしても別に不思議はありませんよね?
 似たような経緯で独立しようとした東トルキスタンは、すぐに滅びてしまいましたが。
 ロシアの属領だったフィンランドも、革命の混乱を利用して独立していますし、似たようなケースはいくらでもあると思うんですけど。他民族の国家を併合した帝国が衰退期に分裂するのは珍しいことではないはずです。
 もちろん、漢民族の側がどう思うかは勝手ですが、それが独立する側の認識と違うのはユーゴの内戦などで実証されています。

>そこから「だからその失敗につけこんでもよいのだ」と考えるかどうかはまた別の
>はなしです。

 当時も今も、国際外交が「食うか食われるか」という世界なのに変わりはありません。失政や判断ミスを犯した国家が苦況に追い込まれるのは当然であり、日本や米国だって例外ではない。むしろ、そういう考察に中国だけ特別視してしまう意識こそ、ある種の「ひいき」かと思います。

>とまたしてもアド・ホミネムな議論に訴えたわけですが、よく考えてみるまでも
>なくこれは反論にもなんにもなってないわけです。

 それはあなたの「気持ち」であって、南京事件や東京裁判で使われた記録が正しいという証明ではありません。また、アド・ホミネムという言葉の意味も解りません(汗)。
 感想文と反論文は区別していただきたいと思います。

>それから、こういうのは野良猫さんにとって「貴重な資料や書籍の情報」になり
>ますでしょうか。

 はい、そこの引用文にもあります通り「伝聞」です(汗)。「あれが虐殺と言われているのかなあ?」というコメントはいくつかありますが、下関の追撃戦で残された国民党兵士の死体や捕虜の連行などのこと。自分が虐殺に関わったと語る人は居なかったはずです。……と書いても納得していただけないと思いますので、amazonかセブンアンドワイで取り寄せてみてください。一冊630です。

 もともと、議論に限らずどんな会話でもそうですけど、他人に自分にとって納得のいく「答え」を求めようとすると、果てしなく泥沼になるものです。
 そこで適当に切り上げられるかどうかが、自制心をはかる目安なのかもしれません。
Posted by 野良猫 at 2005年12月13日 05:31
なにか勘違いされているようですが、野良猫さんから“納得のいく「答え」”をいただけるなどと期待してはいませんよ。また、野良猫さんが幾重もの自己欺瞞を脱して事実に直面することを期待しているのでもありません。「心理的な面まではフォロー」するつもりはありませんので。これまでもそうであったように、野良猫さんが“納得のいく「答え」”を返すことができない、という点を明らかにできればこちらの目的は達成されるわけです。
Posted by ゲスト at 2005年12月13日 09:03
それにしても今回の"言い訳”は凄いですね。

> この文書には略奪強姦の主語がない。

では、問題の「文書」から、「守護」に関係する部分をもう一度引用してみましょう。
________________
 私は、従来書物によって日清戦争、北清事変、日露戦争当時における我軍将兵の軍、風紀森厳で神兵であったことを知らされ、(…)(…)関東軍参謀副長および第二師団長として満州に出動したが、至るところ戦場における軍、風紀は昔時と大差なく良好であったことを憶えている。それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に努力しなければならないと覚悟し、(…)。

 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。

一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
(…)

 七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、(…)同師団長稲葉中将は云う。わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。
(http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#okamura)
________________

どう読んだところで、ここで問題にされている「略奪強姦」の行為者は旧日本軍兵士です。そして、この認識は中国政府のものでも、欧米人のものでも、「東京裁判史観」に染まった人間のものでもなく、当時の日本軍将校の報告をもとに日本軍将校が抱いた認識なのです。

もう一つ。

> はい、そこの引用文にもあります通り「伝聞」です(汗)。

山本弘氏が「目撃証言」と「伝聞」とを区別して両方を挙げていることは「引用文」から明白なんですが、「目撃証言」からは目をそむけるわけですか。それとも東中野式史料分類法では目撃証言も「伝聞」になるんでしょうかね。

ここをご覧になっている、あるいは将来ご覧になるであろう皆様へ。「南京事件=マボロシ」説が、どれほどむちゃくちゃなロジックの上に成り立っているかが、この二例だけからもよく分かると思います。嘘に嘘を重ねたあげく、それを指摘されるとこんなつまらない強弁までしなければならなくなっているわけです。これほどの詭弁を弄さねば擁護できない主張が一体どれほどの真実を含んでいるか、常識を備えた方であればこれ以上の説明は不要かと思います。

それにしても、一体何のために野良猫さんはこんな無茶を言い出すんでしょう。これならだんまりを決め込んでいた方がよっぽどましだったでしょうに。とりあえず青狐さんや私に何か言い返せたという事実でもってご自分を慰めたかったのでしょうか…。
Posted by ゲスト at 2005年12月13日 10:39
訂正
「守護」→「主語」
Posted by ゲスト at 2005年12月13日 10:41
「百人斬り」について

野良猫さんが本当にはなしを理解できていないのか、それとも理解できないふりをしているのかよくわからないのですが、とりあえず前者であると仮定してはなしを進めます。

>望月五三郎氏は南京裁判で証言されたのでしょうか。

望月五三郎氏の証言が両少尉の遺族が起こした損害賠償請求訴訟の過程で発掘されたものである(南京軍事法廷における証言ではない)ことは、「百人斬り」問題に関心を持っている人間にとっては常識だと思うんですけどね。私が

>「百人斬り=マボロシ」説を唱える人は必ず「南京裁判の事実認定」、「新聞報道」、「事の真相」の三つを意図的に混同して論じますね。

と書いたのにまた同じ台詞を繰り返してますね。望月証言は「事の真相」にかかわる証言であって、「南京裁判の事実認定」、「新聞報道」にかかわる証言じゃありません。そもそも野良猫さんの

>1.裁判で死刑になったのだから、ある程度は信憑性のおける審理がされたのだろう。
>2.裁判そのものは疑わしいが講演内容にウソはないはず。だから「百人斬り」はあった。
>3.裁判や講演内容は疑わしいが、手記があるのだから間違いない。
>4.どれにも全幅の信頼は出来ないけど、たぶんあったと思う。

という分類がずいぶんと欺瞞的です。南京事件「肯定派」が主張しているのは“新聞報道は誇張・歪曲された戦時プロパガンダで事実を反映していないが、記事そのものは両少尉の談話をベースにしていたし、また事実は白兵戦での殺害ではなく捕虜や非戦闘員の殺害だった可能性が極めて高い(人数は不明)”ということに過ぎません。
ところで野良猫氏はようやく私の質問に答えてくれました。

>はい、自分の知る限りでは、南京裁判で証拠とされたのは例の新聞記事だけです。

ここにおいて南京事件否定論の内的な破綻がまたしても明らかになります。問題の新聞報道では両少尉は白兵戦のなかで殺害数を競っているとされていたわけです。いうまでもなく、戦闘中に敵兵を殺害してもそれは戦争犯罪ではありません。したがって、その新聞記事だけを証拠にして戦犯として処刑されるなどという事はあり得ない事です。野良猫さんは
http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/comment?date=20050928#c
において kemu-ri さんから「新聞報道だけを証拠に有罪とされた」という認識の誤りを指摘されておきながら、懲りもせず同じはなしを蒸し返したわけです。
さてここで予想されるのが「南京軍事法廷は政治的茶番だったから平気でデタラメな判決を下したのだ」という反論です。しかしながら、これは「南京事件は中国の情報戦によりでっち上げられたマボロシだ」という否定論のもう1つの主張と著しく矛盾します。もし中国(というがそれは国民党なのか? 共産党なのか?)が南京事件をでっち上げたのだとすると、新聞記事などではなくそれらしい証人なり物証なりを当然でっち上げたはずです。戦闘中の殺害を報じた新聞を証拠とするなどといったずさんな事をするはずがありません。目先の弁解ばかりに気を取られているとこういう根本的なところで破綻してしまうわけですね。
Posted by ゲスト at 2005年12月13日 21:48
>これまでもそうであったように、野良猫さんが“納得のいく「答え」”を返す
>ことができない、という点を明らかにできればこちらの目的は達成されるわけです。

 ……。つまり「質疑応答」をApemanさんが納得いくまで続けないとダメだということですか? そして、僕がいつか未知の質問をされた時に答えられなければ、Apemanさんの持論の方が「正しい」ことになって「目的達成」となるのですね?
 それは「議論」じゃなくて、ただの「わがまま」のようにしか見えませんが。あまりにもストレートな本音をありがとうございます(^_^;)。

 もしも、ご自分の「正しさ」を他の読者さん達に証明されたいのでしたら、笠原説や秦郁彦説をベースにして「マボロシ派」の欠点を埋める形の「Apeman説」を書かれればいい。専門家や知識人でもない僕をどうこうしたところで、否定的な人達の意見が変わるわけでもないんですけど……。やっぱり男の意地とか、一種の「代理戦争」みたいな気分なんでしょうか。そのへん、よく解りませんけど。

>どう読んだところで、ここで問題にされている「略奪強姦」の行為者は旧日本軍
>兵士です。

 ですから「伝聞」です。南京攻略戦の当時、中央に居て領事館経由で聞いた「虐殺の噂」を聞いて、綱紀粛正に務めようとしているという話です。具体的にどうだったのかまでは触れられていません。南京城西部にある湿地帯や下関での戦闘では、数千の死体が残されているのでこうした話が広まっていった可能性はある。
 ちなみに、南京攻略終了時に憲兵によって物資略奪など数十件の処罰がありましたが、第六師団からは一件の処罰者も出ていません(熊本兵団戦史より)。後任の稲葉中将も騎兵集団として攻略戦に参加している立場なので、その経緯は知っているはず。
 発言した意図を探るには、資料不足としか言いようがありません。

>山本弘氏が「目撃証言」と「伝聞」とを区別して両方を挙げていることは「引用
>文」から明白なんですが、「目撃証言」からは目をそむけるわけですか。

 ですから、買って読んでみてください(^_^;)。一件ごとに説明する必要性はありません。中国兵を追撃しているシーンなどを「虐殺かなあ?」と述べているだけで、自分で捕虜の首を斬ったとか、命乞いをする捕虜達を独断で射殺したとか、そういうコメントは載っていません。伝聞で「そんな話を聞いた。あったかも」というのなら、数件書かれていますけれどね。
 たぶん、僕が何と説明してもムリでしょうから、ご自分で630を出して確かめてみてください。

>ここをご覧になっている、あるいは将来ご覧になるであろう皆様へ。
>嘘に嘘を重ねたあげく、それを指摘されるとこんなつまらない強弁までしなければ
>ならなくなっているわけです。

 ログをどう判断するかは、読む人次第です。わざわざ訴えかけるまでもなく、それぞれが評価を下せばいいんじゃないでしょうか。

>kemu-ri さんから「新聞報道だけを証拠に有罪とされた」という認識の誤りを指摘
>されておきながら、懲りもせず同じはなしを蒸し返したわけです。
>したがって、その新聞記事だけを証拠にして戦犯として処刑されるなどという事は
>あり得ない事です。

 彼は「違います」と述べているだけで、具体的な裁判の流れや参考書籍を説明してくれた訳ではありません。ですから、Apemanさんがご存じならばとお尋ねしたのです。
 松井大将に関しては手元にありますが、南京裁判の「百人斬り」に関するものは無い。ですから、そこが聞きたい。
 たぶん、ApemanさんはBC級戦犯がどのように裁かれていったのかを、ほとんどご存じないのでしょう。簡単に手に入る本なら「戦争論2(小林よしのり)」、「BC級戦犯」。絶版本なら「北京収容所」、たびたび紹介している「孤島の土となるとも」が参考になります。興味があればご覧になってみてください。

 Apemanさんが「野良猫の主張はデタラメだ。破綻していると思いたい」とお考えらしいのは、一応理解させていただきました。ですが、他の方がどのように捉えるかは人それぞれであって、強制できるような事ではありません。無論、僕もそうです。
 前にも述べました通り、僕にはあなたの気持ちを満足させてあげる事は出来ません。
「分析」ではなく、ある種の「安心・納得」を求めるのならば、ご自分の場所でなさってください。冷たいようですが、ネット上の議論とはそういうものです。

 お疲れ様でした。
Posted by 野良猫 at 2005年12月14日 07:21
う〜ん、また捏造ですか。

> ……。つまり「質疑応答」をApemanさんが納得いくまで続けないとダメだということですか?

誰がそんなこと言いましたか?

> そして、僕がいつか未知の質問をされた時に答えられなければ、Apemanさんの持論の方が「正しい」ことになって「目的達成」となるのですね?

いや別に「いつか未知の質問」なんて待つまでもなく、ここでも他所でも野良猫さんはすでに「答えられずに沈黙した」「追求されてむちゃくちゃを言い出した」という状態に何度も陥っているわけです。そうした事例をさらに積み重ねることができればいっそうよい、というだけのはなしです。

>ですから「伝聞」です。南京攻略戦の当時、中央に居て領事館経由で聞いた「虐殺の噂」を聞いて、綱紀粛正に務めようとしているという話です。

「ですから」って、前回は「伝聞だ」などという主張してなかったじゃないですか。「噂」で判断したのではなく、「噂」を聞いたのでちゃんと事情聴取を行なったというはなしです。

> 発言した意図を探るには、資料不足としか言いようがありません。

テクストそのものから明らかです。

>自分で捕虜の首を斬ったとか、命乞いをする捕虜達を独断で射殺したとか、そういうコメントは載っていません。

そういうのは「目撃談」とは言いませんね。山本弘氏も「自分でやったという自白が行なわれている」などとは主張していません。

>彼は「違います」と述べているだけで、具体的な裁判の流れや参考書籍を説明してくれた訳ではありません。

別に参考書籍などひもとくまでもなく、予断なしに考えれば「新聞報道だけを証拠に有罪にされた」などということはあり得ない、とわかります。また、一つ前のコメントの

>「据えモノ斬り」という内容が、一体どこから付け足されたのかも気になります。

というのも恥知らずとしか言いようがありません。あなたはすでに青狐さんに「んなこともわからないのですか。それがわからないということは、つまり本多勝一が何を論拠に何を述べているのか、その一番肝要な点を知らない、基本的に理解できていない、ということです」と指摘されていたのに
http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/comment?date=20050928#c
まだ同じことを言い続けているのですか。「選り好みせず」「自腹を切って」本を読めと他人に説教する方のおっしゃることとは思えませんね。


> たぶん、ApemanさんはBC級戦犯がどのように裁かれていったのかを、ほとんどご存じないのでしょう。

拙ブログの8月17日のエントリで『BC級戦犯裁判』という本のレビューを書いていますよ。よかったらご一読ください。

「分析」ではなく「安心」を求めているというのはまさに南京事件否定論にあてはまることですね。
Posted by ゲスト at 2005年12月14日 08:50
岡村大将の発言は
(1)東京で、南京では大暴行が行われたとの噂を聞く
(2)上海で、原田・宮崎・萩原・稲葉らから聴取する

この2つで構成されていて、原田が事件当時特務部長として南京に居たことは(青狐が)12 月 09 日 01:11:12に指摘済みなのですが、にもかかわらず「まとめレス最終版」の野良猫さんは

>南京攻略戦の当時、中央に居て領事館経由で聞いた「虐殺の噂」を聞いて、綱紀粛正に務めようとしているという話

見事に(2)を欠落させたままの発言を繰り返してますね。
こういう「史料の曲解」によって保持されている「マボロシ説」にどんな意味があるのでしょうね。
Posted by ゲスト at 2005年12月16日 00:57
> 従軍慰安婦や南京事件の議論っていうものは、基本的に数年前にほぼ終結している。強制連行説を掲げる本や、30万人説や戦後補償を訴える本は書店ではまず見かけない。理由は単純で、新規に出版される本がほとんどない為でウヨクの陰謀などではない。
(http://ch.kitaguni.tv/u/6508/%c0%af%bc%a3/%c0%ef%c1%e8%c0%d5%c7%a4/0000180733.html)

と主張され、かつ「資料的に面白そうな情報があればレスするかもしれませんが」と語っておられる野良猫さんに新刊情報です。
笠原十九司、『体験者27人が語る南京事件』、高文研

文献を「選り好みせずに自腹を切って」購入するという野良猫さんのことですから、きっとお買いになるのでしょうね。
Posted by ゲスト at 2006年01月10日 23:20
 お久しぶりです。新刊情報をありがとうございます。書店で立ち読みしてみて面白そうだったら購入することにします。Apemanさんもよかったら『「南京事件」日本人48人の証言』に目を通してみてください。持論と反対側の本を読むことも検証には必要ですからね。
 トラックバックのお返事については、またそのうちに。
Posted by 野良猫 at 2006年01月14日 06:28
安全区20万人=南京市の人口20万人説は、「安全区以外は無人」説を立証しなければ成立しません。そこで野良猫さんは当初「城外は清野作戦で無人」だと断定したのですが(メモ59)、宝塔橋街の史料によってこの説は破綻します(同コメント欄)。そこで彼はグースさんの説に「丸投げ」します。

で、グースさんの「安全区以外無人」説は「避難希望者30万人」説、「避難希望者の避難完了」説で構成されているわけですが、「避難希望者の避難完了」説の論拠は(アメリカ大使館報告に「警察官が避難完了と思われる記述がある」「避難民の記述がない」これだけなんですね。

で、ところが、元史料のアメリカ大使館報告を見ると…
(引用始め)
受信:1937年12月11日午後8時9分
ワシントン国務長官宛
第1036号 12月11日午後6時
3、今日の午後、市外との陸上電話の回線が破壊された。電気と水道の業務は機能するのを止めていると報告されている。
今日の午後、パナイ号が移動する前に我々は、警察官が川岸で渡江して避難する準備をしているのを見た。その後、数百人の警察官が同じ目的で下関区へなだれ込むのを目撃したから、もはや市内に警察官はいないのではないかと思われる。
(引用終わり)

たったこれだけの記述しかないのですが、この史料に対するグースさんの解釈が

>警察官が渡河を企図している描写はありますが、渡河を待つ避難民の記述がないということから、すでに避難民の渡河は終了していたと考えてよいと思われます。

この短い報告に記述がないから「避難民の渡河が終了していた」?
報告からは、12月11日(陥落の前々日)に警察官が対岸への避難を準備していた、ということしかわかりません。警察官の避難と民間人の避難は独立した事象ですから、この短い記述からは民間人避難の進捗状況は読み取れないはずですが、グースさんはここから「すでに避難民の渡河は終了していた」と解釈されるのです。これこそ野良猫さんの言葉を借りれば「それは分析というよりは願望」の典型でしょう。

この程度の「それは分析というよりは願望」に丸投げするしかなかったのですかね、野良猫さんは。
Posted by ゲスト at 2006年02月01日 19:19
> やるとしたら、中韓の「歴史観」を「国家」というくびきから解放するのが先ではないでしょうか?

なんでじゃ?
んなこと中韓に任せとけばいいじゃない。

 小市民たる私にとっては、「日本こそ大事!」「日本だけ大事!」「昔のヒトは偉かった!」って言い募る、恥ずかしい同族をぶん殴る方が先なんだけど。
Posted by ゲスト at 2006年03月04日 23:03
>青狐さん

>この短い報告に記述がないから「避難民の渡河が終了していた」?

 現時点ではそう判断するのが妥当です。これに反論するならば「数万単位で取り残された住民が居たこと」、そして「彼らが日本軍人に不法に殺害された」という二点を立証する必要がある。
 また「暗黒大陸中国の真実」や「憲兵物語」にもあるように、当時の国民党政権は治安維持能力は低かった。租界の外に行くビジネスマンには危険手当が出るくらい。地方政府は外国人を守ろうとしない上に、現地住民からも信頼されていない状態。結局、村落の単位で「自警団」を作って身を守らねばならなかった。言ってみれば「戦国時代」です。
 たとえば「日本がアヘンを栽培した」という建前になっていますが、中国軍閥が広大なアヘン畑を管理していたという写真も残っています。

 さらには、日本憲兵の「情報提供者」として働いた中国人が、嫌いな隣人を通報したり釈放の際に密かに「礼金」を請求していたケースもある(これが後々、憲兵が戦犯として厳しい判決を受けた一因でもある)。それは「乱世の知恵」というものでしょう。善意を信じる日本人と現実主義の中国人という対比では、現在とよく似ているかもしれない。

 話を戻すと、そういう状況下のなかで日中両軍が戦闘状態に入ったというのに、政府の避難勧告や隣人の口コミを無視して住居に留まる人間がどれほど居るのか? 避難できない貧困層は「安全区」へ行ったのは先述の通り。こうした現地の事情を含めて考えないと、あまり意味がないと思います。
 まあ、青狐さんがどのようにお考えでも構いませんが、ここを読んでいて話の流れが理解できる人は少ないと思います。本来なら、細部の水掛け論にならないように早い段階で「虐殺は確実だ」という論証を固めるべきでした。

 自分の「信じたい」ものを信じるのは個人の自由。また、異論に対して不満を感じたり反論をするのも同様。しかし、持論に同意してくれるかは内容の出来と相手次第で、保証されている訳ではない。
 もっと割り切るべきかと思います。
Posted by 野良猫 at 2006年03月08日 00:49
 はじめまして。「自国中心」という観点からすれば、中韓の方がバランスを欠いていて深刻だからです。深刻なものから改善していこうというのは、現実対処としては当然のことですね。国家や民族が「歴史観」から解放されるべき・国境を越えて指摘し合うべきとするなら、ごく自然ではありませんか。

>小市民たる私にとっては、「日本こそ大事!」「日本だけ大事!」「昔のヒトは偉
>かった!」って言い募る、恥ずかしい同族をぶん殴る方が先なんだけど。

「家族が大事・親戚や隣人が大事・郷土が大事・国が大事」というのは、世界共通の価値観です。利害が対立した時、身近な側を守ろうとするのも当然。祖先を敬うのも同様。
 このブログを作った当時から何度も述べてきたことですが、「恥ずかしい同族をぶん殴る」という考えが本当に正しいか、書く前に自分でよく考えましたか? 後で自分が間違っていた場合に、迷惑をかけた人達にきちんと謝る覚悟はありますか。発言した事実は削除しても消えないし、あなた自身が忘れても言われた側は忘れないでしょうね。

 何かを弾劾するのはカタルシスのある行為ですが、自分で振るってきた刃がやがて自分自身に突き立てられる覚悟がないなら、止めておいた方がいい。これはネット上に限ったことではありませんね。良くも悪くも、自らの行いは返ってくるものですから。

 そもそも「恥ずかしい同胞」と、誰かを語れるだけのものを自分は持てているのか……、なんて考えたりしませんか?>シュライクさん。はたしてそれだけの言葉を書ける資格が自分にあるだろうか、と(こういう話題に限ったことではなく)。
 政治ネタっていうのはやたらと「過熱」するものですけど、水でも一杯飲んでからエディターを眺めてみれば、思い返すところもあるんじゃないかと思います。それでも突っ走りたいなら、それもいいでしょう。頑張ってみてください。

 堅苦しい話ばかりなのも疲れるでしょうから、おまけをひとつ。

http://www.egogram-f.jp/seikaku/sin-d.htm

 気分転換にどうぞ。
Posted by 野良猫 at 2006年03月08日 01:32
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メモ60「続々・日中戦争ほか(長文注意)」
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