2005年11月27日
メモ58「日中戦争と南京事件の責任論ほか」
http://apesnotmonkeys.cocolog-nifty.com/log/2005/11/post_092f.html
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/
C2009236313/E1664118641/index.html
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/
C1028182794/E162763804/index.html
三箇所の記事に関して、まとめレス(長文注意)。
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/
C2009236313/E1664118641/index.html
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/
C1028182794/E162763804/index.html
三箇所の記事に関して、まとめレス(長文注意)。
■「南京」という地区の定義について ■
>ちなみに、南京攻略戦以前の、平時の人口は
>2)南京城内、およびその周辺=約85万
>3)南京市全体=約100万
>4)南京市プラス周辺六県=約250万
>この、最大で250万(プラス、5万とも10万とも言われている中国軍兵士)の
>人々が戦乱のなかでどのように移動したかが正確に把握できない以上、まし
>て日本側の研究者が主張するより少ない犠牲者数(最大に見積もる論者で約
>20万)が決して荒唐無稽でないことは十分納得可能であるはずです。
南京攻略戦の当時、南京に住んでいた市民のほとんどは日本軍接近の報を聞いて自主避難しています。残っていたのはそんな資金もない貧困層のみで、これらが「安全区委員会」によって「安全区」に避難していた。それが「約20万人」という記録に残っているわけです。
なぜ「安全区」というものを設定したかというと、「ここに民間人が避難しているから攻撃しないでほしい」という意味です。この「委員会」も南京に駐在していた外国人が作った物で、南京政府が管理していたものではない。
日本側としては降伏勧告を送り、本来交渉すべき相手国政府ではない組織にも配慮した以上、ベストを尽くしたと言えるでしょう。
前にも述べたことですが、この手順を踏まえている以上、南京戦で民間人に死傷者が出たとしても、市民に対する責任を放棄した南京政府に責任があると考えます(「南京事件」を南京攻略中に起きた事件と解釈した場合)。
話を戻すと「もっと人口が居た。だから30万人もあり得なくはない」という説は通じないのです。
終戦後の「南京裁判」で裁かれたのは、南京攻略戦に際しての「虐殺」であって、笠原十九司らが述べているように「南京周辺の地区も含めた範囲で、数ヶ月にわたって続けられた虐殺総数」という意味ではありません。
たとえば「百人斬りは据えモノ斬りだったに違いない。だから事実だ」というように、日本側の知識人が辻褄合わせをするために作り出した、後付けの内容に過ぎない。
ここまで──、
「南京攻略戦に際して起きた民間人の死傷者に関しては、南京政府に責任がある。無防備都市宣言や、停戦して武装したままの退去という選択肢をとらなかった。
南京裁判は南京攻略時における『虐殺』について争われたもの。よって、35万人という現在の中国政府が述べている内容は間違っている」
──と、説明させていただきました。
話の元をたどっていけば、「中国の旅」や中国の抗日記念館で語られている「南京大虐殺」とは、南京裁判が正確な調査のもとに裁かれたものだという前提で成立しています。
もともと、「南京裁判」であげられた「虐殺」の定義や、証拠・証言の取り上げ方が曖昧なものであり、それを一部の日本人が「新解釈」を加えながら裁判の正当性を補強してきたのが現状となっています。
>「不当に殺害された中国人はただの一人もいなかったとお考えなのですか」と
>いう私の問いに対してはあくまで正面から答えることを避けていて、
そもそも、この質問自体に意味がない。「南京事件」というのは日本軍による数万・数十万に及ぶ民間人の虐殺疑惑であって、戦闘地域で偶発的に起きた誤射や敗残兵の捜索中に起きた誤認などは、個々の事件に過ぎない。
そうした状況を招いたのは、前述のように南京政府上層部の責任です。「熊本兵団戦史」などの攻略に参加した将兵の記録には、南京入城時に市街での人影は皆無と記されています(この時点で残った住民は安全区へ待避済み)。よって、市街制圧中に数千〜数万の民間人を殺害する必然性も存在しない。
最大限に想像しても、脱出しそこねて潜伏した国民党将兵の摘発(これはラーベ日記にも記されている)であり、これは合法。
つまり「南京事件」とは、こうした摘発時の戦闘などが伝聞で誇張されていき、それが敗戦時の裁判に利用され、さらに中国共産党が「南京大虐殺」として政治利用しているもの──、現時点ではこう解釈しています。
結果的に「戦勝国」になった国民党にとっては、首都を奪った日本軍の責任者を処断する事が、政治的正当性を得る上で必要だった(戦国時代の首実検に近い)。
そのために、司令官だった松井大将や、南京市街で戦闘をしても居ない谷中将(第六師団長)らが死刑となりました。先に政治的な都合というものがあるから、被告側の反論や反証などにほとんど意味はない。
こうした戦犯の取り調べについては「孤島の土となるとも」「北京収容所」などに詳しく記されています。
この問題は、南京の解釈だけにこだわっていると憲法の神学論争のようになる。戦犯裁判の「南京裁判」として調べないと、全体像は理解しにくいでしょう。
■ 南京事件の責任論とか ■
仮に「数百人、いや一人でも犠牲者がいたら虐殺だ。南京大虐殺だ!!」という反論があるとしましょう。それならば従来の主張を撤回した後に──、
「国民党の責任放棄と軍の無秩序化により、民間人を数百名規模で巻き込む事態が発生した。これを南京事件・南京大虐殺と呼ぶ」──と、定義を明確に定めるべきですね。
「南京事件」という名の虐殺事件は国民党軍も起こしているので、「南京攻略時の事件」というような呼び方がいいかもしれません。
>「本来」というのであれば旧日本軍自身が調査しておくべき事柄だったのである。
>要するに「戦争責任」を否定する人間が現われるからこそ中国は「謝罪」を外交
>カードとして使えるのだ、ということを指摘しておこう。
このように「事件は政治的に作り出されたもの」とする考えと、Apemanさんのように「事件は起きていたが日本軍が調査してなかった」という間には大きな隔たりがある。
ここを埋めていかない限り、平行線をたどるだけでしょうね。
こちらからですと「日本には戦争責任を否定している人間が居ます」と「善意」からご注進している方々こそが、事態を混乱させて中国側の「反日政策」を促進させているように見えてなりません。
基本的に、歴史観は民族や国家ごとにあるべきもの。むしろ、戦争した当事国同士が違う見解を持つのが当たり前であって、負けたから価値観を全否定する必要もない。
国際政治上の「現実主義」としても、反日記念館などの過剰な反日政策を続ける中国に対抗して、日本政府は積極的に意見表明していく必要があります。戦前・戦後の日本政府に欠けているのは、第三国の民衆へのアピールが足りない点です。
その際に「歴史認識」で衝突したとしても、それは外交交渉では当たり前の事であり、気にする必要はありません。
■ 立花隆さんの記事と帝国主義について ■
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/
C1028182794/E162763804/index.html
立花隆さんの引用記事を拝読。
ふむ……、当時5歳の子供に「特権階級」という自覚や意味なんて解るものだろうか……?
その根拠が「使用人が居た・自分に現地人の態度が丁寧だった」というようなレベルなら、中国に住んでいた外国人家族の平均像に過ぎない(インフラが貧弱なので、人を使わないと家事をこなしきれなかった為。人件費も安かった)。
この世代は、終戦後にGHQの教育を受けた第一世代といえる立場で、彼自身が実生活での体験や思索の末に「日本は間違っていた」と悟ったわけではない。
田原総一郎・野坂昭如・筑紫哲也など当時「少国民」だった世代は、価値観の激動に翻弄された被害者と言えるのかもしれません。
本当に「戦前」と「戦後」を比較したいなら、戦前に朝鮮半島や満州・租界などで働いていた経験のある、もっと上の世代から聞くべき。そういう本もたくさんある。
「わたしが朝鮮半島でしたこと」がおすすめ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794211058/
qid=1133046354/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-9105443-3172265
>>第2次世界大戦を勝者の立場で終えていたら、日本は戦後世界において、世界
>>有数の超大国の一つになっていただろう。
>当時の日本人が“合理的に”振る舞っていれば敗戦によって広大な領土を失う
>こともなく、多くの臣民を死なせることもなく、貴重な資源を浪費することも
>なかったわけである。
それならば「合理的な振る舞い」とはどのような選択だったのでしょう?
Apemanさんは「人間には無限の可能性と選択肢がある」と信じる若者なのかもしれませんが、現実に生きる私たちの力はたかの知れたもので、選択肢も限られている。
ある時点での状況のなかで、持ち合わせている力量を越えた選択肢を選ぶことは出来ないのです。
アマ初段の将棋指しが、プロの四段と戦わねばならないような事が起こるのが「現実」であり、負けた理由の「分析」は必要ですが、その当時に「勝てる手」を選べなかった人間を断罪して悦に浸るような気にはなれません。
大東亜戦争に関して「やむを得なかった」と考える人々の多くは、そうした個人や一国の限界というものを理解した上で近代史を調べ、「その時点なりに手を尽くしたが至らなかったのだ」と結論を出している。それが「運命的」と語る理由でもある。
これが「だらしのない思考」であり、周囲の状況に関係なく、日本側の努力だけで当時の状況が全て打破出来たはずとお考えならば、それこそが「独善的」な観念論そのものでしょう。
最近の事例でいうなら「イラク戦争は、イラク側の努力のみで戦争を回避できたはずである」と述べているようなものです。
■ 日中戦争とか ■
>「日中戦争を「自衛戦争」とする見地にしがみついておられるのでしょうが、
>そのために「歴史的経緯」を恣意的に構成していることはすでに指摘した通りです。
すみませんが、まだ具体的な指摘を頂いていません。たとえば「日本軍は戦争がしたくてしょうがなかったので、国民党軍に戦争を仕掛けた」というようなもの。もしくは「租界や在中邦人を守るという理由を錦の御旗にして、何ら計画もないままに日中戦争を始めた」でも結構です。
日本が得ていた権益は、他国と同様に国際条約によって結ばれたものであり、それ自体は「侵略」でも何でもありません。それらの多くも中国側が条約破りをした結果、新たにペナルティとして加えられたものが大半であり、同情の余地はありません。
失地回復をはかる中国側が「侵略」と呼ぶのは自由ですが、日本側がそれに合わせる必要はないのですからね。むしろ、日本側としては「日本が条約改正にこぎつけたように、近代化を進めた上で外交交渉による解決をはかるべきだった」と述べるべきところ。
>>徴兵された一般兵は被害者であり、動員を決定した政府関係者は加害者という
>>考え方があるんですか?
>「という考え方があるんですか?」っていまさらなにを。むしろきわめてポピュ
>ラーな考え方でしょう。
いいえ、戦争終結後も一定の友好関係を維持したいという、政府関係者のリップサービスに過ぎません。支那事変よりずっと以前から、国民党上層部と日本軍高官の交流は続いていましたし、政治を抜きにすれば友好関係は悪くなかったのです(辛亥革命も日本が支援している)。
戦前の世代にはそうした繋がりがあった事を知らないと、発言を誤解してしまうのかもしれませんね。終戦後に起きた内戦でも、国民党や共産党の依頼に応じて旧日本軍人や技術者が活躍しています。
前述の通り、支那事変は条約で結ばれた権益の保護による、地方紛争が拡大したものに過ぎない。
「外国に軍隊を派遣して戦ったから悪」というのは、少々乱暴すぎるかと思います。
「上海事変」のように、租界を攻撃しようとした南京政府側こそが条約破りだという点を忘れてはいけません。
>>在中邦人は日本企業の関係者・炭坑などの単純労働者(現地企業と数年単位
>>での契約)・租界のビジネスチャンスに期待した移住組などが挙げられます。
>「現在の中国ではたらいている日本人とほとんど違いはありません」ですか、
>やれやれ。歴史的経緯をふまえろと主張しておられたのは野良猫さんでは
>なかったですか?
……? すみませんが、意味がよくわかりません。日本企業が日本軍の助けを借りて工場の工員を強制連行したとか、農地を奪い取ったようなイメージでもお持ちでしょうか。もう少し具体的にお願いします。
>だから、「日本は中国を占領・支配する計画などもっていなかった」などと
>言うことを持ち出してきたのはなぜなのですか? とうかがっているのです。
>関係ないことを持ち出したのは他ならぬ野良猫さんですから。
「侵略戦争」と言うならば、戦争目的や占領計画というものが日本側に必要です。南京政府を打倒して中国全土を領土化するような、具体的なプランが無ければならない。
そういう意図のない地域紛争だったから「事変」なのです。
あなたは中華民国=被害者、日本=加害者と固定化させていて、南京事件・支那事変に関してもその構図を当てはめているように窺えます。
国民党側から軍事的挑発を繰り返した末に、国民党軍の攻撃から始まった支那事変ですが、それがいつの間にか「日本軍=侵略者」という結論になるのが不思議でなりません。長期化した責任も両国政府にあるはずで、もう少し客観的になるべきかと思います。
■ ロシアと植民地支配とか ■
>まずもってこの手の主張はロシアの軍事力を過大評価していると私は考えます
>朝鮮併合が結果的に失敗であったことをお認めになるのでしょうか?
当時、世界一の陸軍規模を持つロシアに対し、周辺に軍事同盟を結べるような国家もなかった日本が脅威を感じるのは当然です(日英同盟が『外交努力』で結ばれたのはご存じですね?)。当時の時代背景や地政学を無視して「ほかの選択肢」を口にしても意味がありません。
韓国は保護国としておき、経済発展と近代化を進めるプランでしたが、それが伊藤博文の暗殺と韓国政府の経済破綻によって潰えたのもご存じのはずです。
日本統治時代も朝鮮総督府は常に赤字続きで、朝鮮統治で日本は全く儲かっていません(毎年、日本政府から資金を出していた)。そういう意味で、日韓併合は失敗だったと言わざるを得ません。
このあたりも「歴史を偽造する韓国」ほか、たくさん本が出版されているのでご覧になってみてください。
■ 歴史観とか ■
>「多くの歴史家たちが討議する中で練り上げられてゆく歴史観」というものを
>野良猫さんは認めないわけですか?
その「多くの」とは、誰の事なのでしょうか? 歴史観というものは長い年月をかけて育まれていくもので、知識人の意見を参考にすることはあっても、与えられて丸暗記するようなものではありません。
家族や親戚・生まれ育った地域などの「土着感覚」をベースにしてから、歴史教科書などで国レベルの範囲を学び取る。そして、その過程で「理論と実際」の差を補完し合いながら自分なりの歴史観を作っていくのです。
また、それは常に刷新され続けていくものでもあります。Apemanさんと僕の歴史観が違うのもそういうことです。
個々の分析に関する議論なら受けて立ちますが、どちらの歴史観が正しいのかというような争いはあまり実にはなりません。ただし、今の自分に欠けている視点がないか、という疑いの目は持っていてもらいたいと思います。
■ 歴史修正主義とか ■
>特にファシズム時代に関する分野において、学問的な研究方法を無視したり軽ん
>じたりするやり方で「ホロコーストはなかった」などの主張をする人々がおり、
>このような人々を特に「歴史修正主義者」と呼ぶこともあります。私が今回の
>エントリで述べた「歴史修正主義者」は、後者の意味で用いています。
ホロコーストと南京を比較することは、ユダヤ人に対する侮辱になります。民族浄化と戦争犯罪という違いを理解していないと受け止められるからです。ですから、そういう例えを使うのではなく「分析に私情や願望をはさむこと」と述べた方が無難です。
分析が間違っていれば、普通にそれを指摘すればいいのであって「歴史修正主義」という確信犯のような例え方はよくありません。
どうしても使いたいならば、「あなたは日本を肯定するために、私情を分析に優先させていませんか? それは歴史修正主義ですよ」と付け加えればいいでしょう。
そもそも、そういう言葉を使う事自体「私はあなたに比べれば『真の歴史』を知っている」という前提になるわけですから、あまり気分のよいものでもありません。
こういう指摘をするのは心苦しいのですが、全く気づかないというのも議論以前にどうかと思います。「歴史修正主義」という言葉を誰かに使う事自体が、自らの観念論を正当化させるレッテル貼り行為ではないでしょうか。
確認すべきことは「分析」が正しいのかどうかであって「歴史修正主義」の有無ではありません。議論の内容をそれぞれが持つ歴史観の優劣にしたいならば、その旨を明言すべきです。
また、トラックバックに関してはIBLOGの仕組み上、該当URLを見つけられなかった為です。そちらもこちらのサイトURLを見落とされていたようですし、これに関しては「おあいこ」としておきましょう(^_^)。
Apemanさんがここまでの歴史観を培ってきた、参考資料などを紹介していただけると助かります。
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>ちなみに、南京攻略戦以前の、平時の人口は
>2)南京城内、およびその周辺=約85万
>3)南京市全体=約100万
>4)南京市プラス周辺六県=約250万
>この、最大で250万(プラス、5万とも10万とも言われている中国軍兵士)の
>人々が戦乱のなかでどのように移動したかが正確に把握できない以上、まし
>て日本側の研究者が主張するより少ない犠牲者数(最大に見積もる論者で約
>20万)が決して荒唐無稽でないことは十分納得可能であるはずです。
南京攻略戦の当時、南京に住んでいた市民のほとんどは日本軍接近の報を聞いて自主避難しています。残っていたのはそんな資金もない貧困層のみで、これらが「安全区委員会」によって「安全区」に避難していた。それが「約20万人」という記録に残っているわけです。
なぜ「安全区」というものを設定したかというと、「ここに民間人が避難しているから攻撃しないでほしい」という意味です。この「委員会」も南京に駐在していた外国人が作った物で、南京政府が管理していたものではない。
日本側としては降伏勧告を送り、本来交渉すべき相手国政府ではない組織にも配慮した以上、ベストを尽くしたと言えるでしょう。
前にも述べたことですが、この手順を踏まえている以上、南京戦で民間人に死傷者が出たとしても、市民に対する責任を放棄した南京政府に責任があると考えます(「南京事件」を南京攻略中に起きた事件と解釈した場合)。
話を戻すと「もっと人口が居た。だから30万人もあり得なくはない」という説は通じないのです。
終戦後の「南京裁判」で裁かれたのは、南京攻略戦に際しての「虐殺」であって、笠原十九司らが述べているように「南京周辺の地区も含めた範囲で、数ヶ月にわたって続けられた虐殺総数」という意味ではありません。
たとえば「百人斬りは据えモノ斬りだったに違いない。だから事実だ」というように、日本側の知識人が辻褄合わせをするために作り出した、後付けの内容に過ぎない。
ここまで──、
「南京攻略戦に際して起きた民間人の死傷者に関しては、南京政府に責任がある。無防備都市宣言や、停戦して武装したままの退去という選択肢をとらなかった。
南京裁判は南京攻略時における『虐殺』について争われたもの。よって、35万人という現在の中国政府が述べている内容は間違っている」
──と、説明させていただきました。
話の元をたどっていけば、「中国の旅」や中国の抗日記念館で語られている「南京大虐殺」とは、南京裁判が正確な調査のもとに裁かれたものだという前提で成立しています。
もともと、「南京裁判」であげられた「虐殺」の定義や、証拠・証言の取り上げ方が曖昧なものであり、それを一部の日本人が「新解釈」を加えながら裁判の正当性を補強してきたのが現状となっています。
>「不当に殺害された中国人はただの一人もいなかったとお考えなのですか」と
>いう私の問いに対してはあくまで正面から答えることを避けていて、
そもそも、この質問自体に意味がない。「南京事件」というのは日本軍による数万・数十万に及ぶ民間人の虐殺疑惑であって、戦闘地域で偶発的に起きた誤射や敗残兵の捜索中に起きた誤認などは、個々の事件に過ぎない。
そうした状況を招いたのは、前述のように南京政府上層部の責任です。「熊本兵団戦史」などの攻略に参加した将兵の記録には、南京入城時に市街での人影は皆無と記されています(この時点で残った住民は安全区へ待避済み)。よって、市街制圧中に数千〜数万の民間人を殺害する必然性も存在しない。
最大限に想像しても、脱出しそこねて潜伏した国民党将兵の摘発(これはラーベ日記にも記されている)であり、これは合法。
つまり「南京事件」とは、こうした摘発時の戦闘などが伝聞で誇張されていき、それが敗戦時の裁判に利用され、さらに中国共産党が「南京大虐殺」として政治利用しているもの──、現時点ではこう解釈しています。
結果的に「戦勝国」になった国民党にとっては、首都を奪った日本軍の責任者を処断する事が、政治的正当性を得る上で必要だった(戦国時代の首実検に近い)。
そのために、司令官だった松井大将や、南京市街で戦闘をしても居ない谷中将(第六師団長)らが死刑となりました。先に政治的な都合というものがあるから、被告側の反論や反証などにほとんど意味はない。
こうした戦犯の取り調べについては「孤島の土となるとも」「北京収容所」などに詳しく記されています。
この問題は、南京の解釈だけにこだわっていると憲法の神学論争のようになる。戦犯裁判の「南京裁判」として調べないと、全体像は理解しにくいでしょう。
■ 南京事件の責任論とか ■
仮に「数百人、いや一人でも犠牲者がいたら虐殺だ。南京大虐殺だ!!」という反論があるとしましょう。それならば従来の主張を撤回した後に──、
「国民党の責任放棄と軍の無秩序化により、民間人を数百名規模で巻き込む事態が発生した。これを南京事件・南京大虐殺と呼ぶ」──と、定義を明確に定めるべきですね。
「南京事件」という名の虐殺事件は国民党軍も起こしているので、「南京攻略時の事件」というような呼び方がいいかもしれません。
>「本来」というのであれば旧日本軍自身が調査しておくべき事柄だったのである。
>要するに「戦争責任」を否定する人間が現われるからこそ中国は「謝罪」を外交
>カードとして使えるのだ、ということを指摘しておこう。
このように「事件は政治的に作り出されたもの」とする考えと、Apemanさんのように「事件は起きていたが日本軍が調査してなかった」という間には大きな隔たりがある。
ここを埋めていかない限り、平行線をたどるだけでしょうね。
こちらからですと「日本には戦争責任を否定している人間が居ます」と「善意」からご注進している方々こそが、事態を混乱させて中国側の「反日政策」を促進させているように見えてなりません。
基本的に、歴史観は民族や国家ごとにあるべきもの。むしろ、戦争した当事国同士が違う見解を持つのが当たり前であって、負けたから価値観を全否定する必要もない。
国際政治上の「現実主義」としても、反日記念館などの過剰な反日政策を続ける中国に対抗して、日本政府は積極的に意見表明していく必要があります。戦前・戦後の日本政府に欠けているのは、第三国の民衆へのアピールが足りない点です。
その際に「歴史認識」で衝突したとしても、それは外交交渉では当たり前の事であり、気にする必要はありません。
■ 立花隆さんの記事と帝国主義について ■
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/
C1028182794/E162763804/index.html
立花隆さんの引用記事を拝読。
ふむ……、当時5歳の子供に「特権階級」という自覚や意味なんて解るものだろうか……?
その根拠が「使用人が居た・自分に現地人の態度が丁寧だった」というようなレベルなら、中国に住んでいた外国人家族の平均像に過ぎない(インフラが貧弱なので、人を使わないと家事をこなしきれなかった為。人件費も安かった)。
この世代は、終戦後にGHQの教育を受けた第一世代といえる立場で、彼自身が実生活での体験や思索の末に「日本は間違っていた」と悟ったわけではない。
田原総一郎・野坂昭如・筑紫哲也など当時「少国民」だった世代は、価値観の激動に翻弄された被害者と言えるのかもしれません。
本当に「戦前」と「戦後」を比較したいなら、戦前に朝鮮半島や満州・租界などで働いていた経験のある、もっと上の世代から聞くべき。そういう本もたくさんある。
「わたしが朝鮮半島でしたこと」がおすすめ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794211058/
qid=1133046354/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-9105443-3172265
>>第2次世界大戦を勝者の立場で終えていたら、日本は戦後世界において、世界
>>有数の超大国の一つになっていただろう。
>当時の日本人が“合理的に”振る舞っていれば敗戦によって広大な領土を失う
>こともなく、多くの臣民を死なせることもなく、貴重な資源を浪費することも
>なかったわけである。
それならば「合理的な振る舞い」とはどのような選択だったのでしょう?
Apemanさんは「人間には無限の可能性と選択肢がある」と信じる若者なのかもしれませんが、現実に生きる私たちの力はたかの知れたもので、選択肢も限られている。
ある時点での状況のなかで、持ち合わせている力量を越えた選択肢を選ぶことは出来ないのです。
アマ初段の将棋指しが、プロの四段と戦わねばならないような事が起こるのが「現実」であり、負けた理由の「分析」は必要ですが、その当時に「勝てる手」を選べなかった人間を断罪して悦に浸るような気にはなれません。
大東亜戦争に関して「やむを得なかった」と考える人々の多くは、そうした個人や一国の限界というものを理解した上で近代史を調べ、「その時点なりに手を尽くしたが至らなかったのだ」と結論を出している。それが「運命的」と語る理由でもある。
これが「だらしのない思考」であり、周囲の状況に関係なく、日本側の努力だけで当時の状況が全て打破出来たはずとお考えならば、それこそが「独善的」な観念論そのものでしょう。
最近の事例でいうなら「イラク戦争は、イラク側の努力のみで戦争を回避できたはずである」と述べているようなものです。
■ 日中戦争とか ■
>「日中戦争を「自衛戦争」とする見地にしがみついておられるのでしょうが、
>そのために「歴史的経緯」を恣意的に構成していることはすでに指摘した通りです。
すみませんが、まだ具体的な指摘を頂いていません。たとえば「日本軍は戦争がしたくてしょうがなかったので、国民党軍に戦争を仕掛けた」というようなもの。もしくは「租界や在中邦人を守るという理由を錦の御旗にして、何ら計画もないままに日中戦争を始めた」でも結構です。
日本が得ていた権益は、他国と同様に国際条約によって結ばれたものであり、それ自体は「侵略」でも何でもありません。それらの多くも中国側が条約破りをした結果、新たにペナルティとして加えられたものが大半であり、同情の余地はありません。
失地回復をはかる中国側が「侵略」と呼ぶのは自由ですが、日本側がそれに合わせる必要はないのですからね。むしろ、日本側としては「日本が条約改正にこぎつけたように、近代化を進めた上で外交交渉による解決をはかるべきだった」と述べるべきところ。
>>徴兵された一般兵は被害者であり、動員を決定した政府関係者は加害者という
>>考え方があるんですか?
>「という考え方があるんですか?」っていまさらなにを。むしろきわめてポピュ
>ラーな考え方でしょう。
いいえ、戦争終結後も一定の友好関係を維持したいという、政府関係者のリップサービスに過ぎません。支那事変よりずっと以前から、国民党上層部と日本軍高官の交流は続いていましたし、政治を抜きにすれば友好関係は悪くなかったのです(辛亥革命も日本が支援している)。
戦前の世代にはそうした繋がりがあった事を知らないと、発言を誤解してしまうのかもしれませんね。終戦後に起きた内戦でも、国民党や共産党の依頼に応じて旧日本軍人や技術者が活躍しています。
前述の通り、支那事変は条約で結ばれた権益の保護による、地方紛争が拡大したものに過ぎない。
「外国に軍隊を派遣して戦ったから悪」というのは、少々乱暴すぎるかと思います。
「上海事変」のように、租界を攻撃しようとした南京政府側こそが条約破りだという点を忘れてはいけません。
>>在中邦人は日本企業の関係者・炭坑などの単純労働者(現地企業と数年単位
>>での契約)・租界のビジネスチャンスに期待した移住組などが挙げられます。
>「現在の中国ではたらいている日本人とほとんど違いはありません」ですか、
>やれやれ。歴史的経緯をふまえろと主張しておられたのは野良猫さんでは
>なかったですか?
……? すみませんが、意味がよくわかりません。日本企業が日本軍の助けを借りて工場の工員を強制連行したとか、農地を奪い取ったようなイメージでもお持ちでしょうか。もう少し具体的にお願いします。
>だから、「日本は中国を占領・支配する計画などもっていなかった」などと
>言うことを持ち出してきたのはなぜなのですか? とうかがっているのです。
>関係ないことを持ち出したのは他ならぬ野良猫さんですから。
「侵略戦争」と言うならば、戦争目的や占領計画というものが日本側に必要です。南京政府を打倒して中国全土を領土化するような、具体的なプランが無ければならない。
そういう意図のない地域紛争だったから「事変」なのです。
あなたは中華民国=被害者、日本=加害者と固定化させていて、南京事件・支那事変に関してもその構図を当てはめているように窺えます。
国民党側から軍事的挑発を繰り返した末に、国民党軍の攻撃から始まった支那事変ですが、それがいつの間にか「日本軍=侵略者」という結論になるのが不思議でなりません。長期化した責任も両国政府にあるはずで、もう少し客観的になるべきかと思います。
■ ロシアと植民地支配とか ■
>まずもってこの手の主張はロシアの軍事力を過大評価していると私は考えます
>朝鮮併合が結果的に失敗であったことをお認めになるのでしょうか?
当時、世界一の陸軍規模を持つロシアに対し、周辺に軍事同盟を結べるような国家もなかった日本が脅威を感じるのは当然です(日英同盟が『外交努力』で結ばれたのはご存じですね?)。当時の時代背景や地政学を無視して「ほかの選択肢」を口にしても意味がありません。
韓国は保護国としておき、経済発展と近代化を進めるプランでしたが、それが伊藤博文の暗殺と韓国政府の経済破綻によって潰えたのもご存じのはずです。
日本統治時代も朝鮮総督府は常に赤字続きで、朝鮮統治で日本は全く儲かっていません(毎年、日本政府から資金を出していた)。そういう意味で、日韓併合は失敗だったと言わざるを得ません。
このあたりも「歴史を偽造する韓国」ほか、たくさん本が出版されているのでご覧になってみてください。
■ 歴史観とか ■
>「多くの歴史家たちが討議する中で練り上げられてゆく歴史観」というものを
>野良猫さんは認めないわけですか?
その「多くの」とは、誰の事なのでしょうか? 歴史観というものは長い年月をかけて育まれていくもので、知識人の意見を参考にすることはあっても、与えられて丸暗記するようなものではありません。
家族や親戚・生まれ育った地域などの「土着感覚」をベースにしてから、歴史教科書などで国レベルの範囲を学び取る。そして、その過程で「理論と実際」の差を補完し合いながら自分なりの歴史観を作っていくのです。
また、それは常に刷新され続けていくものでもあります。Apemanさんと僕の歴史観が違うのもそういうことです。
個々の分析に関する議論なら受けて立ちますが、どちらの歴史観が正しいのかというような争いはあまり実にはなりません。ただし、今の自分に欠けている視点がないか、という疑いの目は持っていてもらいたいと思います。
■ 歴史修正主義とか ■
>特にファシズム時代に関する分野において、学問的な研究方法を無視したり軽ん
>じたりするやり方で「ホロコーストはなかった」などの主張をする人々がおり、
>このような人々を特に「歴史修正主義者」と呼ぶこともあります。私が今回の
>エントリで述べた「歴史修正主義者」は、後者の意味で用いています。
ホロコーストと南京を比較することは、ユダヤ人に対する侮辱になります。民族浄化と戦争犯罪という違いを理解していないと受け止められるからです。ですから、そういう例えを使うのではなく「分析に私情や願望をはさむこと」と述べた方が無難です。
分析が間違っていれば、普通にそれを指摘すればいいのであって「歴史修正主義」という確信犯のような例え方はよくありません。
どうしても使いたいならば、「あなたは日本を肯定するために、私情を分析に優先させていませんか? それは歴史修正主義ですよ」と付け加えればいいでしょう。
そもそも、そういう言葉を使う事自体「私はあなたに比べれば『真の歴史』を知っている」という前提になるわけですから、あまり気分のよいものでもありません。
こういう指摘をするのは心苦しいのですが、全く気づかないというのも議論以前にどうかと思います。「歴史修正主義」という言葉を誰かに使う事自体が、自らの観念論を正当化させるレッテル貼り行為ではないでしょうか。
確認すべきことは「分析」が正しいのかどうかであって「歴史修正主義」の有無ではありません。議論の内容をそれぞれが持つ歴史観の優劣にしたいならば、その旨を明言すべきです。
また、トラックバックに関してはIBLOGの仕組み上、該当URLを見つけられなかった為です。そちらもこちらのサイトURLを見落とされていたようですし、これに関しては「おあいこ」としておきましょう(^_^)。
Apemanさんがここまでの歴史観を培ってきた、参考資料などを紹介していただけると助かります。
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104:中国人と日本人の歴史議論(テスト投稿)
メモ85「反日写真への動き」
メモ70「Apemanさんとの議論打ち切りについて」
メモ69「Apemanさんの記事について」
メモ68「南京と議論について」
メモ67「あれこれ翻訳」
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Posted by noraneko at 09:01│Comments(4)
│戦争責任/南京事件
この記事へのコメント
トラックバック先をご覧にならない方のために、とりあえず一点のみ。
そもそも「安全区で30万人虐殺された」と主張している人間など存在せず、また虐殺の大半は城外で行なわれたとされているのだから、安全区に退避した人口がどれくらいだったかはほとんど虐殺の有無、規模に関係ないはなしです。あとは推して知るべし。
そもそも「安全区で30万人虐殺された」と主張している人間など存在せず、また虐殺の大半は城外で行なわれたとされているのだから、安全区に退避した人口がどれくらいだったかはほとんど虐殺の有無、規模に関係ないはなしです。あとは推して知るべし。
Posted by ゲスト at 2005年11月28日 08:24
野良猫氏の思考法について
野良猫氏の「マボロシ」説の背後にあるのは非常に単純化された「白か黒か」思考であると思われます。それが如実に現われているのが、私が「日中戦争は運命的なことではなく、当時の日本には別の選択肢もあった」と主張したのに対する、「人間には無限の可能性と選択肢がある」と考えているのか、という反論です。
そもそも南京攻略は、第二次上海事変の時点で日本政府・日本軍の計画にはなかったことでした。上海の「居留民保護」を目的として派遣された現地軍の独走を追認するかたちで、南京攻防戦の数日前になってようやく正式な命令が出されたに過ぎません。したがって、「南京攻略はせずに済ませることもできた」と想像するうえで「人間には無限の可能性と選択肢がある」と考える必要などまったくないのです。むしろ、現地軍が軍中央の命令に従ってさえいれば実現しなかったことなのです。にもかかわらず南京攻防戦が「運命」であるなどと主張するのはほとんど理解不可能なことです。野良猫氏の主張が理解可能となるのは、「歴史においては実際に起きた通りのことしか可能でなかった/歴史においてはあらゆることが可能であった」という荒唐無稽な二者択一を前提とした場合のみです。繰り返します。上海事変が本格的な日中戦争に発展するのを防ぐには、単に現地派遣軍が中央の命令に従いさえすればよかったのです。
同様の極端な二者択一は、野良猫氏の(一般的には「南京事件=マボロシ」派の)主張のいたるところにみられます。そもそも「南京事件は中国が主張する通りの事件である/南京事件はまったくのマボロシである」という二者択一がナンセンスです。常識的に考えるなら、「中国側の主張には誇張があるが、そのベースとなる事実は確かにあった」という第三の選択肢があることは明白でしょう。また、「マボロシ」派は自説を維持するために、ほんの少しでも瑕疵のある証言・文書は全面否定するという戦術をとります。しかしよく考えてみれば、「南京事件にはろくな証拠がない」という「マボロシ」派の主張は「南京事件は中国の謀略だ」という自分の主張を裏切っているのです。もし南京事件が中国の謀略だったのなら、もっともらしい証拠、証言がぞろぞろでてこなければおかしいのです。他方、戦時の混乱の中で生じた事件について、証言や証拠文書の中に各種の矛盾や混乱があるのはむしろあたりまえのことです。そうした矛盾や混乱が訂正されずに残っていること自体が、南京事件はでっちあげではなく事実であったことを強く示唆しているのです。真っ当な歴史学者は、様々な矛盾や混乱を含む膨大な資料をつきあわせて真実に迫ろうとするのであって、少しでも瑕のある証拠を全面否定したりはしません(そんなことをすれば明治維新の存在さえ否定することができるでしょう)。「マボロシ」派の態度は、裁判における弁護人の方針としては妥当だとしても、歴史研究の方法としては落第なのです。
犠牲者の数はともかくとして、いわゆる南京事件の存在は日本軍の将校、兵士が残した文書だけからも確実に論証されています。南京事件に関する資料にはそれだけの厚みがあるのです。その厚みを全てチャラにしてしまう「マボロシ」派の議論は、真っ当な歴史家なら相手にしないようなものでしかありません。イデオロギー的には「つくる会」や東中野修道と非常に近い秦郁彦でさえ「マボロシ」説をきっぱり否定しているのは、彼の歴史家としてのプライドのなせるわざなのです。
野良猫氏の「マボロシ」説の背後にあるのは非常に単純化された「白か黒か」思考であると思われます。それが如実に現われているのが、私が「日中戦争は運命的なことではなく、当時の日本には別の選択肢もあった」と主張したのに対する、「人間には無限の可能性と選択肢がある」と考えているのか、という反論です。
そもそも南京攻略は、第二次上海事変の時点で日本政府・日本軍の計画にはなかったことでした。上海の「居留民保護」を目的として派遣された現地軍の独走を追認するかたちで、南京攻防戦の数日前になってようやく正式な命令が出されたに過ぎません。したがって、「南京攻略はせずに済ませることもできた」と想像するうえで「人間には無限の可能性と選択肢がある」と考える必要などまったくないのです。むしろ、現地軍が軍中央の命令に従ってさえいれば実現しなかったことなのです。にもかかわらず南京攻防戦が「運命」であるなどと主張するのはほとんど理解不可能なことです。野良猫氏の主張が理解可能となるのは、「歴史においては実際に起きた通りのことしか可能でなかった/歴史においてはあらゆることが可能であった」という荒唐無稽な二者択一を前提とした場合のみです。繰り返します。上海事変が本格的な日中戦争に発展するのを防ぐには、単に現地派遣軍が中央の命令に従いさえすればよかったのです。
同様の極端な二者択一は、野良猫氏の(一般的には「南京事件=マボロシ」派の)主張のいたるところにみられます。そもそも「南京事件は中国が主張する通りの事件である/南京事件はまったくのマボロシである」という二者択一がナンセンスです。常識的に考えるなら、「中国側の主張には誇張があるが、そのベースとなる事実は確かにあった」という第三の選択肢があることは明白でしょう。また、「マボロシ」派は自説を維持するために、ほんの少しでも瑕疵のある証言・文書は全面否定するという戦術をとります。しかしよく考えてみれば、「南京事件にはろくな証拠がない」という「マボロシ」派の主張は「南京事件は中国の謀略だ」という自分の主張を裏切っているのです。もし南京事件が中国の謀略だったのなら、もっともらしい証拠、証言がぞろぞろでてこなければおかしいのです。他方、戦時の混乱の中で生じた事件について、証言や証拠文書の中に各種の矛盾や混乱があるのはむしろあたりまえのことです。そうした矛盾や混乱が訂正されずに残っていること自体が、南京事件はでっちあげではなく事実であったことを強く示唆しているのです。真っ当な歴史学者は、様々な矛盾や混乱を含む膨大な資料をつきあわせて真実に迫ろうとするのであって、少しでも瑕のある証拠を全面否定したりはしません(そんなことをすれば明治維新の存在さえ否定することができるでしょう)。「マボロシ」派の態度は、裁判における弁護人の方針としては妥当だとしても、歴史研究の方法としては落第なのです。
犠牲者の数はともかくとして、いわゆる南京事件の存在は日本軍の将校、兵士が残した文書だけからも確実に論証されています。南京事件に関する資料にはそれだけの厚みがあるのです。その厚みを全てチャラにしてしまう「マボロシ」派の議論は、真っ当な歴史家なら相手にしないようなものでしかありません。イデオロギー的には「つくる会」や東中野修道と非常に近い秦郁彦でさえ「マボロシ」説をきっぱり否定しているのは、彼の歴史家としてのプライドのなせるわざなのです。
Posted by ゲスト at 2005年11月28日 21:53
もう一つ、野良猫氏が「歴史的経緯」をきわめて恣意的にピックアップしていることを指摘しておきます。
野良猫氏は上海事変について
> 「上海事変」のように、租界を攻撃しようとした南京政府側こそが条約破りだという点を忘れてはいけません。
と主張しています。しかしその際、日本軍の田中隆吉少佐(当時)らが「日本人僧侶襲撃事件」を演出し、軍事行動の口実を作ったことについてはまったく言及しません。ある意味では、これも歴史を「一方的な加害者/一方的な被害者」という単純きわまりない図式でしか考察できない野良猫氏の思考方法のなせる業なのでしょう。「日本軍は一方的な加害者ではない。それゆえ、一方的な被害者である(全ては南京政府のせいである)」というわけです。しかしこれまた常識的に考えるなら、日中戦争に関しては日本側にも中国側にもそれぞれ原因があり、問題はどちらの責任が大きいかであって「どちらに全ての責任があるか」ではない、ということは明白でしょう。
野良猫氏は上海事変について
> 「上海事変」のように、租界を攻撃しようとした南京政府側こそが条約破りだという点を忘れてはいけません。
と主張しています。しかしその際、日本軍の田中隆吉少佐(当時)らが「日本人僧侶襲撃事件」を演出し、軍事行動の口実を作ったことについてはまったく言及しません。ある意味では、これも歴史を「一方的な加害者/一方的な被害者」という単純きわまりない図式でしか考察できない野良猫氏の思考方法のなせる業なのでしょう。「日本軍は一方的な加害者ではない。それゆえ、一方的な被害者である(全ては南京政府のせいである)」というわけです。しかしこれまた常識的に考えるなら、日中戦争に関しては日本側にも中国側にもそれぞれ原因があり、問題はどちらの責任が大きいかであって「どちらに全ての責任があるか」ではない、ということは明白でしょう。
Posted by ゲスト at 2005年11月28日 22:02
ふむ、コメント欄にも書かれていましたか。
「南京攻略の是非」に関しては、新しい記事で答えているので省略。予想以上に国民党の抵抗が弱かったので、第十軍からの意見具申を中央部が受け入れたというだけの話。
>証言や証拠文書の中に各種の矛盾や混乱があるのはむしろあたりまえのことです。
>犠牲者の数はともかくとして、いわゆる南京事件の存在は日本軍の将校、兵士が残
>した文書だけからも確実に論証されています。
ごもっともです。確度の高い内容をまとめ上げて、ご自分の納得いく主張をなさってください。それに説得力があるかどうかは、主張する人がどれだけ丁寧に手順を踏んで説明するかにかかっています。
前にも述べたことですが、意見を主張する自由と同意してもらえる保証を混同しないでください。肩書きのある人間だからといって、説得力にハクが付くわけでもないし「真っ当な歴史学者」がどうであれ、あなたの主張内容が受け入れられるかとは一切関係ありません。
そもそも「マボロシ派はすぐに史料を否定する」なんて泣き言を言う前に、違う意見の人にどうやって言葉を届かせるかに心をくだくべきでしょう。
>犠牲者の数はともかくとして、いわゆる南京事件の存在は日本軍の将校、兵士が
>残した文書だけからも確実に論証されています。
>秦郁彦でさえ「マボロシ」説をきっぱり否定しているのは、彼の歴史家としての
>プライドのなせるわざなのです。
だったら、そういう内容をもっと早い時点できちんと説明すればよかった。史料を紹介し、それを自分がどのように読み取って判断を下したのか。観念論ばかりで同意を求められても赤の他人に理解されるはずもないでしょう。
秦郁彦が何の説をとっているか、そんな事を例に出す意図も不明瞭。自分が「マボロシ派」な考えに至ったのは、自分なりに調べてたどり着いた結果であって、知識人の肩書きにすがったり「信者」の派閥に加わっている訳でもないから。
「つくる会」や東中野修道がどうであるかも、同様に関係ない。
もしかすると、Apemanさんは権威主義者だったりするのでしょうか?
>しかしその際、日本軍の田中隆吉少佐(当時)らが「日本人僧侶襲撃事件」を
>演出し、軍事行動の口実を作ったことについてはまったく言及しません。
その田中隆吉少佐(当時)は、東京裁判で連合国側の証人となって日本側の戦争責任を追及したとして有名な方。天皇陛下への戦争責任追及を避ける事を条件として、裁判の進行に一役買っていただけ。「日本人僧侶襲撃事件」の真相裏付けはありません。
かつての同僚や上官を敵国の裁判に売り渡したとして、寂しい晩年を送っています。
あんまり目新しい話でもない。
>これも歴史を「一方的な加害者/一方的な被害者」という単純きわまりない図式で
>しか考察できない野良猫氏の思考方法のなせる業なのでしょう。
ふむ、それってApemanさんの歴史観だとばかり思ってました。東京裁判や南京裁判をベースにした東京裁判史観をもって、日本が中国に対して行った「侵略戦争」について触れていたんだから。こっちはかの国の落ち度について触れただけで、善悪二元論なんか唱えていませんぞ。
日中双方に責任があるとお考えなら、日本側の責任ばかり書いていないできちんと姿勢を明記すればよかった。双方の過失を認めつつも「やはり日本側が悪い」と書くのは、最近の流行でしょうか。「戦争に負けたから悪い。好き放題にされてしまった」というのならごもっともですが。
改行すら満足に入れていないようですが、ちゃんと推敲して書いているかどうかも怪しく見えますよ。
一番最初の方でも触れましたけど「言いたい気持ち」を制御出来ないなら、書かない方がましかと思います。一度、誰かに発してしまった言葉が無かったことにならないのは、実社会もネットも変わらない。
いろいろ練り直した方がいいんじゃないですか?
「南京攻略の是非」に関しては、新しい記事で答えているので省略。予想以上に国民党の抵抗が弱かったので、第十軍からの意見具申を中央部が受け入れたというだけの話。
>証言や証拠文書の中に各種の矛盾や混乱があるのはむしろあたりまえのことです。
>犠牲者の数はともかくとして、いわゆる南京事件の存在は日本軍の将校、兵士が残
>した文書だけからも確実に論証されています。
ごもっともです。確度の高い内容をまとめ上げて、ご自分の納得いく主張をなさってください。それに説得力があるかどうかは、主張する人がどれだけ丁寧に手順を踏んで説明するかにかかっています。
前にも述べたことですが、意見を主張する自由と同意してもらえる保証を混同しないでください。肩書きのある人間だからといって、説得力にハクが付くわけでもないし「真っ当な歴史学者」がどうであれ、あなたの主張内容が受け入れられるかとは一切関係ありません。
そもそも「マボロシ派はすぐに史料を否定する」なんて泣き言を言う前に、違う意見の人にどうやって言葉を届かせるかに心をくだくべきでしょう。
>犠牲者の数はともかくとして、いわゆる南京事件の存在は日本軍の将校、兵士が
>残した文書だけからも確実に論証されています。
>秦郁彦でさえ「マボロシ」説をきっぱり否定しているのは、彼の歴史家としての
>プライドのなせるわざなのです。
だったら、そういう内容をもっと早い時点できちんと説明すればよかった。史料を紹介し、それを自分がどのように読み取って判断を下したのか。観念論ばかりで同意を求められても赤の他人に理解されるはずもないでしょう。
秦郁彦が何の説をとっているか、そんな事を例に出す意図も不明瞭。自分が「マボロシ派」な考えに至ったのは、自分なりに調べてたどり着いた結果であって、知識人の肩書きにすがったり「信者」の派閥に加わっている訳でもないから。
「つくる会」や東中野修道がどうであるかも、同様に関係ない。
もしかすると、Apemanさんは権威主義者だったりするのでしょうか?
>しかしその際、日本軍の田中隆吉少佐(当時)らが「日本人僧侶襲撃事件」を
>演出し、軍事行動の口実を作ったことについてはまったく言及しません。
その田中隆吉少佐(当時)は、東京裁判で連合国側の証人となって日本側の戦争責任を追及したとして有名な方。天皇陛下への戦争責任追及を避ける事を条件として、裁判の進行に一役買っていただけ。「日本人僧侶襲撃事件」の真相裏付けはありません。
かつての同僚や上官を敵国の裁判に売り渡したとして、寂しい晩年を送っています。
あんまり目新しい話でもない。
>これも歴史を「一方的な加害者/一方的な被害者」という単純きわまりない図式で
>しか考察できない野良猫氏の思考方法のなせる業なのでしょう。
ふむ、それってApemanさんの歴史観だとばかり思ってました。東京裁判や南京裁判をベースにした東京裁判史観をもって、日本が中国に対して行った「侵略戦争」について触れていたんだから。こっちはかの国の落ち度について触れただけで、善悪二元論なんか唱えていませんぞ。
日中双方に責任があるとお考えなら、日本側の責任ばかり書いていないできちんと姿勢を明記すればよかった。双方の過失を認めつつも「やはり日本側が悪い」と書くのは、最近の流行でしょうか。「戦争に負けたから悪い。好き放題にされてしまった」というのならごもっともですが。
改行すら満足に入れていないようですが、ちゃんと推敲して書いているかどうかも怪しく見えますよ。
一番最初の方でも触れましたけど「言いたい気持ち」を制御出来ないなら、書かない方がましかと思います。一度、誰かに発してしまった言葉が無かったことにならないのは、実社会もネットも変わらない。
いろいろ練り直した方がいいんじゃないですか?
Posted by 野良猫 at 2005年12月02日 01:33
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。