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noraneko

2004年12月17日

メモ31「読解能力について」

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極東プログさんの記事を読みながら考えてみる。
「日本人の基礎学力が下がった」と新聞が騒いでいるらしい。実際に下がったのかどうかは解らないが、「ゆとり教育」の発想は間違っていると思う。むしろ、専門的な学問を身につけるために必要な暗記物は、頭の柔らかい子供のうちにとことんやっておくべきだ。漢字の書き取り、算数から学べる数学的な思考など、大人になってからでは簡単に身につけられない。
 新聞屋が危機感を煽るのはいつものことだが、歴史教科書のや教育基本法の「愛国心」について揉めている件などを思うと、誰もが「基礎・基本」というものが解らなくなって右往左往しているのが現状らしい。教える側まで明確な方針を持てないのだとすれば、教わる子供達がかわいそうではないだろうか。
 仕事上でヘンテコな教師に会ったりすると、先生を選べない生徒達は気の毒極まりないと思う。
 
 話を戻す。
 あちらの記事に書かれた例題を読む限り、これはディベート試験であって、読解力を試すテストなどではない。現代文のテストや、作品の感想や解説を小論文として書かせる形式なら、日本学生の成績はもっと良かっただろう。
 日本人がディベートを苦手とする理由は2つある。まず、国内が暗黙の了解の通じる精神風土で衝突を好まないこと。そして、正解の無い議論をする事に意義を感じない気質にある(同じ趣味を持っている者同士なら別)。

 たぶん、欧米人にとって「ディベート」というものは、一種の会話テクニックなのだ。ルーツの異なる人種のるつぼで生きていくには、日本人のように「暗黙の了解」なんて期待していられない。暴論でも自らの正当性を主張し、居場所を確保するだけのテクニックが必要なのだろう。
 かつて「ああ言えば上佑」という言葉があった。TVでオウムの弁護を続ける彼の発言は見苦しかったが、予備知識の無い人々の警戒感を解く程度の効果は発揮していた。
「ディベート」そのものが悪なのではなく、道具の一種くらいに考えておけば腹も立たないと思う。ドライバーや針金のような物には何の罪もない。

 ディベートには、相手の主張を論理的に読み取って意図が伝わりやすいように話す技術もある。サービス業でお客さんに品物を薦めるのも一種のディベートと言える。上佑は醜かったと思う人でも、セールストークにまでは拒絶反応を示さないと思う。
 小手先の技術に終始せず、相手との発展的な関係を望む優しさがあれば、ディベートはもっと楽しいものになるはずだ。

 だが、基礎的な読解力がないとこうした技術を使いこなせない。今の時点で「技術」だけ教えるのは、百害あって一利無しだと僕も思います。

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Posted by noraneko at 01:15│Comments(0)一般/その他
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