2004年12月12日
メモ29「政治の話題をする難しさ」
いろいろと雑感。政治の話題をする難しさについて少々。
前にこちらでも書いたことなんですが、政治の話題はやっかいなもののようです。自分を厳しく律しつつも他人の主張への寛容と、自らの政治的主張にこだわり過ぎず、一度頭の中をゼロにして考えられる心理的余裕が無いと議論も成立しない。
「実社会でも政治の話題をもっとするべき」と主張する方々を見かけるけれど、彼らは自分の論理構成で足りない部分を補強していくのではなく、自らに同調するモノを増やす方向に邁進する。「政治」というものは一般人にとっては話題の一つ──言ってみれば「趣味」に過ぎないのだが、彼らはそれを他のものより高尚なものと規定している。こんなに素晴らしいものを理解できないはずがない、みんなで共感するべきだ。彼らはそう信じて普段の「生活の場」、職場や友人関係で「政治」を自由に語る。
しかし、人間関係を重んじる場所では一定の反応を得られるかもしれないが、ネット上のようにしがらみのない空間では、そうしたやり方はしばしば破綻する。彼らは論理の盲点を突かれたり、情緒的な主張の欠陥を指摘され苦い思いを経験させられる。
本来なら、そこで足りない部分を再検証して「次」に臨めばいい。自分の主張の誤りを指摘されたからといって、その人の全存在が否定された訳でもないし、主張全てが間違っていたとは限らないのだから。だが、そういった事に彼らは堪えられないのかもしれない。ある者は沈黙し、数日後に同じ主張を繰り返す。またある者は中傷をもって返答とする。そんな姿勢に誠実さを感じ取ることは出来ない。
おそらく、彼らの周囲にいる人達はそんな「弱さ」を知っているから、あえて反論や指摘はせずに軽く受け流しているのだろう。もしも、商売上の付き合いや仕事場で似たような話題を振られたら、僕だって「そうですね」と受け答えする。人間関係にヒビを入れる覚悟までして、政治討論をするメリットなどあるはずもない。
それが「他人の趣味に口出しをしない」というごく初歩的な処世術というものだ。
以前、歴史教科書問題を調べていた頃に「この本は日本の歴史を肯定している! 慰撫史観だ」という主張をよく見かけた。物理的事実に関する議論をさんざんやって彼らに通じなかったのだが、今になって考えれば「自己肯定」という部分に彼らは固執していたのかもしれない。
つまり、人間は誰だって「自己肯定」しなければ自我を保てないのだが、日本という国家や民族という共同体を否定し破壊することで「批判者」という立場を獲得し、コミュニティを得ていた者達にとって、あの本は「自己否定」する存在だったのだ。
論理性の欠陥からくる反論だったのではなく、心理的な反発心からくる行動だったのだとすれば、反対運動のヒステリックさについても納得できる。あの当時、自己否定を突きつけられて、自己の再検証と再構築が出来なかった弱い者達が過激な運動にはしった。だが、同じ政治思想のコミュニティーで固まるというのも、「国家」に依存する一般人とどれほど違うのだろうか。
自分なりの論理原則や心情を保ちつつ、他者の主張を柔軟に聞き入れる相対主義を持つことは出来るはずだ。PCのOSにアップデートがあるように、個人の脳内OSも変化していくのが自然ではないだろうか。
自分の「弱さ」と限界を知りつつも、そのなかで出来る事を考えていけば、あまりみっともない姿をさらさずに済むだろう。
他人に甘えたり頼ったりすることは恥ずかしいことだと思います。
「実社会でも政治の話題をもっとするべき」と主張する方々を見かけるけれど、彼らは自分の論理構成で足りない部分を補強していくのではなく、自らに同調するモノを増やす方向に邁進する。「政治」というものは一般人にとっては話題の一つ──言ってみれば「趣味」に過ぎないのだが、彼らはそれを他のものより高尚なものと規定している。こんなに素晴らしいものを理解できないはずがない、みんなで共感するべきだ。彼らはそう信じて普段の「生活の場」、職場や友人関係で「政治」を自由に語る。
しかし、人間関係を重んじる場所では一定の反応を得られるかもしれないが、ネット上のようにしがらみのない空間では、そうしたやり方はしばしば破綻する。彼らは論理の盲点を突かれたり、情緒的な主張の欠陥を指摘され苦い思いを経験させられる。
本来なら、そこで足りない部分を再検証して「次」に臨めばいい。自分の主張の誤りを指摘されたからといって、その人の全存在が否定された訳でもないし、主張全てが間違っていたとは限らないのだから。だが、そういった事に彼らは堪えられないのかもしれない。ある者は沈黙し、数日後に同じ主張を繰り返す。またある者は中傷をもって返答とする。そんな姿勢に誠実さを感じ取ることは出来ない。
おそらく、彼らの周囲にいる人達はそんな「弱さ」を知っているから、あえて反論や指摘はせずに軽く受け流しているのだろう。もしも、商売上の付き合いや仕事場で似たような話題を振られたら、僕だって「そうですね」と受け答えする。人間関係にヒビを入れる覚悟までして、政治討論をするメリットなどあるはずもない。
それが「他人の趣味に口出しをしない」というごく初歩的な処世術というものだ。
以前、歴史教科書問題を調べていた頃に「この本は日本の歴史を肯定している! 慰撫史観だ」という主張をよく見かけた。物理的事実に関する議論をさんざんやって彼らに通じなかったのだが、今になって考えれば「自己肯定」という部分に彼らは固執していたのかもしれない。
つまり、人間は誰だって「自己肯定」しなければ自我を保てないのだが、日本という国家や民族という共同体を否定し破壊することで「批判者」という立場を獲得し、コミュニティを得ていた者達にとって、あの本は「自己否定」する存在だったのだ。
論理性の欠陥からくる反論だったのではなく、心理的な反発心からくる行動だったのだとすれば、反対運動のヒステリックさについても納得できる。あの当時、自己否定を突きつけられて、自己の再検証と再構築が出来なかった弱い者達が過激な運動にはしった。だが、同じ政治思想のコミュニティーで固まるというのも、「国家」に依存する一般人とどれほど違うのだろうか。
自分なりの論理原則や心情を保ちつつ、他者の主張を柔軟に聞き入れる相対主義を持つことは出来るはずだ。PCのOSにアップデートがあるように、個人の脳内OSも変化していくのが自然ではないだろうか。
自分の「弱さ」と限界を知りつつも、そのなかで出来る事を考えていけば、あまりみっともない姿をさらさずに済むだろう。
他人に甘えたり頼ったりすることは恥ずかしいことだと思います。
Posted by noraneko at 19:32│Comments(4)
│政治/戦争責任
この記事へのコメント
ざっと流し読みしてましたが、まさにカエサルの言う「見たいと欲する現実しか見えない」人たちなんだなぁ、と思ったりもします<彼ら
Posted by ゲスト at 2004年12月12日 20:37
●野良猫さんへ
ごめんな。本当はもっともっとまじめにお話したいんだけど、危機感が先にたってしまって、「やるしかねぇべや!」になってしまうよ。中立を装うこともできず、まっすぐに戦闘的になるってのが自分の生き方そのものなので、もはや、ゆるゆるとお話できないです。本当にごめんな。私は今、41で、あと20年ぐらいは生きるつもりなので、そのうち、いやぁー、あの日は悪かったとわびる日もきっと来るよ。野良猫さんの先が短いようなら、早急に宴席でも設けようか?
> 前にこちらでも書いたことなんですが、政治の話題はやっかいなもののようです。自分を厳しく律しつつも他人の主張への寛容と、自らの政治的主張にこだわり過ぎず、一度頭の中をゼロにして考えられる心理的余裕が無いと議論も成立しない。
ご存知の通り、前の俺は、逆らう者は皆殺し路線全開でした。政治(外交)の延長線上に軍事(戦争)があるって、平気で言ってくれる人を見つけて、うれしかったんだよ。それが、あなたや彼だよ。逆らう者は皆殺し路線推進の人がいてくれたんだ。俺は孤独だったんだ。逆らう者は皆殺し路線を公言してくれる人が少なくてね。今、逆らう者は皆殺し路線を総括しているよ。ゼロにしてるんだけどね。ベースに逆らう者は皆殺し路線が今でもあるんだろう・・・20年来信じてきたんだから、すぐに捨て去るのは無理だよ。
>「実社会でも政治の話題をもっとするべき」と主張する方々を見かけるけれど、彼らは自分の論理構成で足りない部分を補強していくのではなく、自らに同調するモノを増やす方向に邁進する。
これは政治運動の基本でしょう。政治運動自体を否定したいわけ?
>「政治」というものは一般人にとっては話題の一つ──言ってみれば「趣味」に過ぎないのだが、彼らはそれを他のものより高尚なものと規定している。こんなに素晴らしいものを理解できないはずがない、みんなで共感するべきだ。彼らはそう信じて普段の「生活の場」、職場や友人関係で「政治」を自由に語る。
俺には趣味の一環だよ。写真撮るのとバイク乗るのと馬主やるのと歌を歌うのとテレビゲームするのと同列にあるぜ。基本的に自分の中では有機的に結合しているけど?今度出るライブでは、赤いヘルメットに「蝦夷」と書いた被って出るぜ。俺の存在スタイルだもん。
> しかし、人間関係を重んじる場所では一定の反応を得られるかもしれないが、ネット上のようにしがらみのない空間では、そうしたやり方はしばしば破綻する。彼らは論理の盲点を突かれたり、情緒的な主張の欠陥を指摘され苦い思いを経験させられる。
俺は逆だけどね。情緒的な面を理論付けられる。しがらみのない世界の方が好きなことが言えることを知らないのかい?マイナーな立場ほど、こっそり同調してくれる人がいるんだぜ?キミにはそういう仲間も少ないのかな?幸せにニヒルになっていればいいんじゃないの?キミは幸せだね。
>本来なら、そこで足りない部分を再検証して「次」に臨めばいい。自分の主張の誤りを指摘されたからといって、その人の全存在が否定された訳でもないし、主張全てが間違っていたとは限らないのだから。だが、そういった事に彼らは堪えられないのかもしれない。ある者は沈黙し、数日後に同じ主張を繰り返す。またある者は中傷をもって返答とする。そんな姿勢に誠実さを感じ取ることは出来ない。
そうやって、自分を慰めても仕方あるまい?
> おそらく、彼らの周囲にいる人達はそんな「弱さ」を知っているから、あえて反論や指摘はせずに軽く受け流しているのだろう。もしも、商売上の付き合いや仕事場で似たような話題を振られたら、僕だって「そうですね」と受け答えする。人間関係にヒビを入れる覚悟までして、政治討論をするメリットなどあるはずもない。
それが「他人の趣味に口出しをしない」というごく初歩的な処世術というものだ。
だからさぁ、お前、口出すなよ。俺の趣味でやっていることなんだから。匿名だから口出せるんだべ?恥を知れよ・・・この辺の無責任性がイヤだね。彼の逃げ口上もこんなのだったね(大笑)実名と住所公開してやれっての!クズはクズであり続けるんだね。
> 以前、歴史教科書問題を調べていた頃に「この本は日本の歴史を肯定している! 慰撫史観だ」という主張をよく見かけた。物理的事実に関する議論をさんざんやって彼らに通じなかったのだが、今になって考えれば「自己肯定」という部分に彼らは固執していたのかもしれない。
つまり、人間は誰だって「自己肯定」しなければ自我を保てないのだが、日本という国家や民族という共同体を否定し破壊することで「批判者」という立場を獲得し、コミュニティを得ていた者達にとって、あの本は「自己否定」する存在だったのだ。
論理性の欠陥からくる反論だったのではなく、心理的な反発心からくる行動だったのだとすれば、反対運動のヒステリックさについても納得できる。あの当時、自己否定を突きつけられて、自己の再検証と再構築が出来なかった弱い者達が過激な運動にはしった。だが、同じ政治思想のコミュニティーで固まるというのも、「国家」に依存する一般人とどれほど違うのだろうか。
お前、歳はいくつで、どんな自己否定ごっこしてきたんだ?おいおい、勝手な自己肯定論はやめてくれよ。国家に依存する一般人って何?一般人は国家に依存してるの?電波強いよ。
>自分なりの論理原則や心情を保ちつつ、他者の主張を柔軟に聞き入れる相対主義を持つことは出来るはずだ。PCのOSにアップデートがあるように、個人の脳内OSも変化していくのが自然ではないだろうか。
それは自然だよ。そのとおり。お前も実践しろって。相変わらず、結論や具体性がない文章を書くな。相対主義者の最悪の弱点なんだって!答えを出せないだろ?結局、何が言いたいの?何を目的に何を書いてるの?お前は、政府論調を無批判に流すNHKみたいな存在?望みは何?お前自身が言っているだろう?「心情を保ちつつ」って。お前の心情って何なんだよ?
>自分の「弱さ」と限界を知りつつも、そのなかで出来る事を考えていけば、あまりみっともない姿をさらさずに済むだろう。
他人に甘えたり頼ったりすることは恥ずかしいことだと思います。
自分の弱さと限界を知れって。それを乗り越えるために他人に甘えたり頼ったりしろって!恥ずかしくないって!「あまりみっともない姿」をさらしたくないとがんばってるお前が一番、みっともないっての!
ごめんな。本当はもっともっとまじめにお話したいんだけど、危機感が先にたってしまって、「やるしかねぇべや!」になってしまうよ。中立を装うこともできず、まっすぐに戦闘的になるってのが自分の生き方そのものなので、もはや、ゆるゆるとお話できないです。本当にごめんな。私は今、41で、あと20年ぐらいは生きるつもりなので、そのうち、いやぁー、あの日は悪かったとわびる日もきっと来るよ。野良猫さんの先が短いようなら、早急に宴席でも設けようか?
> 前にこちらでも書いたことなんですが、政治の話題はやっかいなもののようです。自分を厳しく律しつつも他人の主張への寛容と、自らの政治的主張にこだわり過ぎず、一度頭の中をゼロにして考えられる心理的余裕が無いと議論も成立しない。
ご存知の通り、前の俺は、逆らう者は皆殺し路線全開でした。政治(外交)の延長線上に軍事(戦争)があるって、平気で言ってくれる人を見つけて、うれしかったんだよ。それが、あなたや彼だよ。逆らう者は皆殺し路線推進の人がいてくれたんだ。俺は孤独だったんだ。逆らう者は皆殺し路線を公言してくれる人が少なくてね。今、逆らう者は皆殺し路線を総括しているよ。ゼロにしてるんだけどね。ベースに逆らう者は皆殺し路線が今でもあるんだろう・・・20年来信じてきたんだから、すぐに捨て去るのは無理だよ。
>「実社会でも政治の話題をもっとするべき」と主張する方々を見かけるけれど、彼らは自分の論理構成で足りない部分を補強していくのではなく、自らに同調するモノを増やす方向に邁進する。
これは政治運動の基本でしょう。政治運動自体を否定したいわけ?
>「政治」というものは一般人にとっては話題の一つ──言ってみれば「趣味」に過ぎないのだが、彼らはそれを他のものより高尚なものと規定している。こんなに素晴らしいものを理解できないはずがない、みんなで共感するべきだ。彼らはそう信じて普段の「生活の場」、職場や友人関係で「政治」を自由に語る。
俺には趣味の一環だよ。写真撮るのとバイク乗るのと馬主やるのと歌を歌うのとテレビゲームするのと同列にあるぜ。基本的に自分の中では有機的に結合しているけど?今度出るライブでは、赤いヘルメットに「蝦夷」と書いた被って出るぜ。俺の存在スタイルだもん。
> しかし、人間関係を重んじる場所では一定の反応を得られるかもしれないが、ネット上のようにしがらみのない空間では、そうしたやり方はしばしば破綻する。彼らは論理の盲点を突かれたり、情緒的な主張の欠陥を指摘され苦い思いを経験させられる。
俺は逆だけどね。情緒的な面を理論付けられる。しがらみのない世界の方が好きなことが言えることを知らないのかい?マイナーな立場ほど、こっそり同調してくれる人がいるんだぜ?キミにはそういう仲間も少ないのかな?幸せにニヒルになっていればいいんじゃないの?キミは幸せだね。
>本来なら、そこで足りない部分を再検証して「次」に臨めばいい。自分の主張の誤りを指摘されたからといって、その人の全存在が否定された訳でもないし、主張全てが間違っていたとは限らないのだから。だが、そういった事に彼らは堪えられないのかもしれない。ある者は沈黙し、数日後に同じ主張を繰り返す。またある者は中傷をもって返答とする。そんな姿勢に誠実さを感じ取ることは出来ない。
そうやって、自分を慰めても仕方あるまい?
> おそらく、彼らの周囲にいる人達はそんな「弱さ」を知っているから、あえて反論や指摘はせずに軽く受け流しているのだろう。もしも、商売上の付き合いや仕事場で似たような話題を振られたら、僕だって「そうですね」と受け答えする。人間関係にヒビを入れる覚悟までして、政治討論をするメリットなどあるはずもない。
それが「他人の趣味に口出しをしない」というごく初歩的な処世術というものだ。
だからさぁ、お前、口出すなよ。俺の趣味でやっていることなんだから。匿名だから口出せるんだべ?恥を知れよ・・・この辺の無責任性がイヤだね。彼の逃げ口上もこんなのだったね(大笑)実名と住所公開してやれっての!クズはクズであり続けるんだね。
> 以前、歴史教科書問題を調べていた頃に「この本は日本の歴史を肯定している! 慰撫史観だ」という主張をよく見かけた。物理的事実に関する議論をさんざんやって彼らに通じなかったのだが、今になって考えれば「自己肯定」という部分に彼らは固執していたのかもしれない。
つまり、人間は誰だって「自己肯定」しなければ自我を保てないのだが、日本という国家や民族という共同体を否定し破壊することで「批判者」という立場を獲得し、コミュニティを得ていた者達にとって、あの本は「自己否定」する存在だったのだ。
論理性の欠陥からくる反論だったのではなく、心理的な反発心からくる行動だったのだとすれば、反対運動のヒステリックさについても納得できる。あの当時、自己否定を突きつけられて、自己の再検証と再構築が出来なかった弱い者達が過激な運動にはしった。だが、同じ政治思想のコミュニティーで固まるというのも、「国家」に依存する一般人とどれほど違うのだろうか。
お前、歳はいくつで、どんな自己否定ごっこしてきたんだ?おいおい、勝手な自己肯定論はやめてくれよ。国家に依存する一般人って何?一般人は国家に依存してるの?電波強いよ。
>自分なりの論理原則や心情を保ちつつ、他者の主張を柔軟に聞き入れる相対主義を持つことは出来るはずだ。PCのOSにアップデートがあるように、個人の脳内OSも変化していくのが自然ではないだろうか。
それは自然だよ。そのとおり。お前も実践しろって。相変わらず、結論や具体性がない文章を書くな。相対主義者の最悪の弱点なんだって!答えを出せないだろ?結局、何が言いたいの?何を目的に何を書いてるの?お前は、政府論調を無批判に流すNHKみたいな存在?望みは何?お前自身が言っているだろう?「心情を保ちつつ」って。お前の心情って何なんだよ?
>自分の「弱さ」と限界を知りつつも、そのなかで出来る事を考えていけば、あまりみっともない姿をさらさずに済むだろう。
他人に甘えたり頼ったりすることは恥ずかしいことだと思います。
自分の弱さと限界を知れって。それを乗り越えるために他人に甘えたり頼ったりしろって!恥ずかしくないって!「あまりみっともない姿」をさらしたくないとがんばってるお前が一番、みっともないっての!
Posted by ゲスト at 2004年12月13日 07:01
>やすさん
「見たいと欲する現実しか見えない」、あるいは「現実に背を向けて希望的観測にすがりつく」というのは、そんなに珍しいことではないのでしょう。歴史上でもそういう失敗はいくつも挙げられますからね。
こういう事は「自分だけは大丈夫」というものではないので、気をつけたいものです。
そういえば、旧gaiaxの人達はgooに移った人が多いみたいです。知ってる人は何人くらい残っているのかな……。
>kamakazuさん
うーん……「野望の王国」という漫画を見かけたら是非読んでみてください。きっと気に入ると思います。復刻版が出たばかりなので、まんが喫茶でも置いてあるはずです。僕は全巻揃えるくらい好きなんですけれどね。
僕は運動の渦中に身を置いて違うセクトと戦うのと、韓国や中国の反日ナショナリズムにどれほど差があるのか考えてしまいます。運動自体が目的でないのならば、簡単に周囲に流されないような「個」を持たなくてはならない。そして、判断を誤らないためには自力で知識を身につける必要もある。
必要なら、所属団体のなかで異論を口にする覚悟も要る。
何かをする前には準備が必要だと考えるので、kamakazuさんの行動原理がどういうものなのか理解が出来ないのです。
……一度聞きたかったのですが、「蝦夷革命」とは一体何を目的としているのですか? 具体的な目標と最終目的は何か。反体制・反権力を気取るのは結構ですが、具体的に説明していただけないでしょうか?
運動を止めろなどとは言いませんけど、あなたが何を目指しているのかに興味があります。一生「反体制・反権力」をスローガンにし続ける訳でもないでしょう?
いわゆる運動が楽しくて運動をしているのか。それとも、特定の目的の為だけに運動に身を投じているのか。その目的が叶ったら運動からは身を引くのか。
そのへんのところ、どうお考えなのですか?
>自分の弱さと限界を知れって。それを乗り越えるために他人に甘えたり頼ったり
>しろって!恥ずかしくないって!「あまりみっともない姿」をさらしたくない
>とがんばってるお前が一番、みっともないっての!
なるほど。そんなお考えだから、和やかな掲示板を荒らしてしまったりしたのですね。自らの感情を爆発させまくって周囲に迷惑をかける事が普通になっているのか。当人は気持ちいいかもしれませんが、周りの人達はたまりませんよね。
これって単に自制心が弱いだけの話ではないですか?
四十歳を越した大人が甘えたり頼ってばかりというのも恥ずかしくないですか? むしろ、誰かを護る立場に立つ年齢ではないでしょうか。いつまでも、反権力の看板を背負った不良少年では居られないのですよ。たぶんね。
「見たいと欲する現実しか見えない」、あるいは「現実に背を向けて希望的観測にすがりつく」というのは、そんなに珍しいことではないのでしょう。歴史上でもそういう失敗はいくつも挙げられますからね。
こういう事は「自分だけは大丈夫」というものではないので、気をつけたいものです。
そういえば、旧gaiaxの人達はgooに移った人が多いみたいです。知ってる人は何人くらい残っているのかな……。
>kamakazuさん
うーん……「野望の王国」という漫画を見かけたら是非読んでみてください。きっと気に入ると思います。復刻版が出たばかりなので、まんが喫茶でも置いてあるはずです。僕は全巻揃えるくらい好きなんですけれどね。
僕は運動の渦中に身を置いて違うセクトと戦うのと、韓国や中国の反日ナショナリズムにどれほど差があるのか考えてしまいます。運動自体が目的でないのならば、簡単に周囲に流されないような「個」を持たなくてはならない。そして、判断を誤らないためには自力で知識を身につける必要もある。
必要なら、所属団体のなかで異論を口にする覚悟も要る。
何かをする前には準備が必要だと考えるので、kamakazuさんの行動原理がどういうものなのか理解が出来ないのです。
……一度聞きたかったのですが、「蝦夷革命」とは一体何を目的としているのですか? 具体的な目標と最終目的は何か。反体制・反権力を気取るのは結構ですが、具体的に説明していただけないでしょうか?
運動を止めろなどとは言いませんけど、あなたが何を目指しているのかに興味があります。一生「反体制・反権力」をスローガンにし続ける訳でもないでしょう?
いわゆる運動が楽しくて運動をしているのか。それとも、特定の目的の為だけに運動に身を投じているのか。その目的が叶ったら運動からは身を引くのか。
そのへんのところ、どうお考えなのですか?
>自分の弱さと限界を知れって。それを乗り越えるために他人に甘えたり頼ったり
>しろって!恥ずかしくないって!「あまりみっともない姿」をさらしたくない
>とがんばってるお前が一番、みっともないっての!
なるほど。そんなお考えだから、和やかな掲示板を荒らしてしまったりしたのですね。自らの感情を爆発させまくって周囲に迷惑をかける事が普通になっているのか。当人は気持ちいいかもしれませんが、周りの人達はたまりませんよね。
これって単に自制心が弱いだけの話ではないですか?
四十歳を越した大人が甘えたり頼ってばかりというのも恥ずかしくないですか? むしろ、誰かを護る立場に立つ年齢ではないでしょうか。いつまでも、反権力の看板を背負った不良少年では居られないのですよ。たぶんね。
Posted by 野良猫 at 2004年12月14日 01:20
> うーん……「野望の王国 」という漫画を見かけたら是非読んでみてください。きっと気に入ると思います。復刻版が出たばかりなので、まんが喫茶でも置いてあるはずです。僕は全巻揃えるくらい好きなんですけれどね。
絵柄が余り好きじゃないけど、見てみましょう(^^)今は暇だけが取り柄です
> 僕は運動の渦中に身を置いて違うセクトと戦うのと、韓国や中国の反日ナショナリズムにどれほど差があるのか考えてしまいます。
大差があると思います。当初の目的を達成したあとに微差が大きく取り上げられます。いや、微差をより大きくして取り上げてしまうが真実かもしれません。
>運動自体が目的でないのならば、簡単に周囲に流されないような「個」を持たなくてはならない。そして、判断を誤らないためには自力で知識を身につける必要もある。
必要なら、所属団体のなかで異論を口にする覚悟も要る。
ぎゃはは!当然するでしょう?野良猫さんは、”知識”というけれど、俺は知識で”闘った”ことはおそらく一度もないです。俺は感情と感覚で判断しますよ。知識が闘ったり歯向かったりしているんじゃない。
自分が手下をやった過激派の人(上層部は別にして)は、俺のこと、いやだったでしょうね。いちいち、反発したり、確認したりしましたから(笑)ふつう、そうするでしょ?しないのは、カルト教団ですよ。
>何かをする前には準備が必要だと考えるので、kamakazuさんの行動原理がどういうものなのか理解が出来ないのです。
あなた、彼のページのコメントで言い当ててくれたじゃないですか。この人(私)は一番弱い人の立場に立っているって。自分で言ってたでしょ?ただそれだけですよ。
> ……一度聞きたかったのですが、「蝦夷革命」とは一体何を目的としているのですか? 具体的な目標と最終目的は何か。反体制・反権力を気取るのは結構ですが、具体的に説明していただけないでしょうか?
運動を止めろなどとは言いませんけど、あなたが何を目指しているのかに興味があります。一生「反体制・反権力」をスローガンにし続ける訳でもないでしょう?
いわゆる運動が楽しくて運動をしているのか。それとも、特定の目的の為だけに運動に身を投じているのか。その目的が叶ったら運動からは身を引くのか。
そのへんのところ、どうお考えなのですか?
蝦夷革命の問題の立て方は、日本人のメンタリティとしての課題です。別に反体制を気取っているつもりもありません。結果、そうなっているだけです。今後どうするかという課題は、今後が俺に命じてくれると思います。トロツキー主義者の間で育まれたせいか、一段落したら、次のステップに向かって歩めと永久革命論(笑)が突きつけられると思います。頭がよくないので、次は事態や情勢が進む中でしか、目標も中間的到達点も出てこないと思っています。そういう意味でも、俺は絶えず変わり続けていくんでしょう。命が尽きるまで、終わりはありません。残念ながら、トロツキスト的な生き方(って、あるんかいな?)って、そうなおかなと思っています。
> なるほど。そんなお考えだから、和やかな掲示板を荒らしてしまったりしたのですね。自らの感情を爆発させまくって周囲に迷惑をかける事が普通になっているのか。当人は気持ちいいかもしれませんが、周りの人達はたまりませんよね。
ここ、本当にごめんな。野良猫さんって、すごく秩序的な人だと思うの。アラシの一種だと思われても仕方ないかもね。悪意はないんだkどね。
>これって単に自制心が弱いだけの話ではないですか?
そうです、その通りです。私に自制心なんてありませんよ。自制心がある人間が、身体がきついからって、公務員をやめませんよ(激爆)やめる気がないのにやめるって言うヤツとは違います。
>四十歳を越した大人が甘えたり頼ってばかりというのも恥ずかしくないですか? むしろ、誰かを護る立場に立つ年齢ではないでしょうか。いつまでも、反権力の看板を背負った不良少年では居られないのですよ。たぶんね。
守ってますよ。お決まりの家族とか子供とか彼女じゃないものを守るためにやってますよ。ちなみに国益でもないですよ。字が違うか・・・護るな。この字なら、護るものがありすぎて、個人的な幸福の追求ができないってのが、俺の立場。理解できないと思います。具体的なものと具体的なものを超えた総体がある。生き続けていく限り、知ってしまって、感じてしまった限り、逃れることなく、この道を歩むでしょう。
俺は、家庭生活も結婚も拒否している。幸い、それでもいいと言う女もいるので、家庭や子供をもうけることもあるかもしれないけど、基本的にこのまま生きていくでしょう。それがより正しいと思っているからです。
野良猫さん、まともな人間なので、好きだよ。コピペや盲信はやめて、この線で話そう。ファイアーエンブレムの子づくり話も歓迎です(^^)俺の存在自体がある種の社会病理みたいなもんなので、サンプルにしていただいてけっこうだ。俺のブログのヨタ記事も見てやってね。総体として、すべてが俺ですから。
絵柄が余り好きじゃないけど、見てみましょう(^^)今は暇だけが取り柄です
> 僕は運動の渦中に身を置いて違うセクトと戦うのと、韓国や中国の反日ナショナリズムにどれほど差があるのか考えてしまいます。
大差があると思います。当初の目的を達成したあとに微差が大きく取り上げられます。いや、微差をより大きくして取り上げてしまうが真実かもしれません。
>運動自体が目的でないのならば、簡単に周囲に流されないような「個」を持たなくてはならない。そして、判断を誤らないためには自力で知識を身につける必要もある。
必要なら、所属団体のなかで異論を口にする覚悟も要る。
ぎゃはは!当然するでしょう?野良猫さんは、”知識”というけれど、俺は知識で”闘った”ことはおそらく一度もないです。俺は感情と感覚で判断しますよ。知識が闘ったり歯向かったりしているんじゃない。
自分が手下をやった過激派の人(上層部は別にして)は、俺のこと、いやだったでしょうね。いちいち、反発したり、確認したりしましたから(笑)ふつう、そうするでしょ?しないのは、カルト教団ですよ。
>何かをする前には準備が必要だと考えるので、kamakazuさんの行動原理がどういうものなのか理解が出来ないのです。
あなた、彼のページのコメントで言い当ててくれたじゃないですか。この人(私)は一番弱い人の立場に立っているって。自分で言ってたでしょ?ただそれだけですよ。
> ……一度聞きたかったのですが、「蝦夷革命」とは一体何を目的としているのですか? 具体的な目標と最終目的は何か。反体制・反権力を気取るのは結構ですが、具体的に説明していただけないでしょうか?
運動を止めろなどとは言いませんけど、あなたが何を目指しているのかに興味があります。一生「反体制・反権力」をスローガンにし続ける訳でもないでしょう?
いわゆる運動が楽しくて運動をしているのか。それとも、特定の目的の為だけに運動に身を投じているのか。その目的が叶ったら運動からは身を引くのか。
そのへんのところ、どうお考えなのですか?
蝦夷革命の問題の立て方は、日本人のメンタリティとしての課題です。別に反体制を気取っているつもりもありません。結果、そうなっているだけです。今後どうするかという課題は、今後が俺に命じてくれると思います。トロツキー主義者の間で育まれたせいか、一段落したら、次のステップに向かって歩めと永久革命論(笑)が突きつけられると思います。頭がよくないので、次は事態や情勢が進む中でしか、目標も中間的到達点も出てこないと思っています。そういう意味でも、俺は絶えず変わり続けていくんでしょう。命が尽きるまで、終わりはありません。残念ながら、トロツキスト的な生き方(って、あるんかいな?)って、そうなおかなと思っています。
> なるほど。そんなお考えだから、和やかな掲示板を荒らしてしまったりしたのですね。自らの感情を爆発させまくって周囲に迷惑をかける事が普通になっているのか。当人は気持ちいいかもしれませんが、周りの人達はたまりませんよね。
ここ、本当にごめんな。野良猫さんって、すごく秩序的な人だと思うの。アラシの一種だと思われても仕方ないかもね。悪意はないんだkどね。
>これって単に自制心が弱いだけの話ではないですか?
そうです、その通りです。私に自制心なんてありませんよ。自制心がある人間が、身体がきついからって、公務員をやめませんよ(激爆)やめる気がないのにやめるって言うヤツとは違います。
>四十歳を越した大人が甘えたり頼ってばかりというのも恥ずかしくないですか? むしろ、誰かを護る立場に立つ年齢ではないでしょうか。いつまでも、反権力の看板を背負った不良少年では居られないのですよ。たぶんね。
守ってますよ。お決まりの家族とか子供とか彼女じゃないものを守るためにやってますよ。ちなみに国益でもないですよ。字が違うか・・・護るな。この字なら、護るものがありすぎて、個人的な幸福の追求ができないってのが、俺の立場。理解できないと思います。具体的なものと具体的なものを超えた総体がある。生き続けていく限り、知ってしまって、感じてしまった限り、逃れることなく、この道を歩むでしょう。
俺は、家庭生活も結婚も拒否している。幸い、それでもいいと言う女もいるので、家庭や子供をもうけることもあるかもしれないけど、基本的にこのまま生きていくでしょう。それがより正しいと思っているからです。
野良猫さん、まともな人間なので、好きだよ。コピペや盲信はやめて、この線で話そう。ファイアーエンブレムの子づくり話も歓迎です(^^)俺の存在自体がある種の社会病理みたいなもんなので、サンプルにしていただいてけっこうだ。俺のブログのヨタ記事も見てやってね。総体として、すべてが俺ですから。
Posted by ゲスト at 2004年12月14日 05:22
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