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noraneko

2004年10月20日

メモ21「対案を出さない人とか」

kojidoiさんからトラックバックを頂いたのでレス。
いろいろやり取りしてきた事への雑感なども少々。
 kojidoiさんからは度々トラックバックを送っていただき、それに返答するというやり取りが続いている。あちらの記事にある「技の分類」のようなものにあまり意味は無いと思うが、議論する相手のタイプは何種類かに分類できるかもしれない。
 kojidoiさんは「狙撃兵」タイプなんだろうなあ、と思う。基本的に議論というものは、違う意見をぶつける事で成立する。正と否がぶつかり合うことで「合」という新たな見解が生まれるからだ。ところが、狙撃兵タイプの場合は自らの立場や見解といった表明を極力避ける。「反対するなら対案を出せ」にもあるように、議論の正面に立って対案を出す事を嫌う傾向にある。
 その代わり「戦場」から離れたところから狙撃するのが、このタイプの強みだ。それが有効打となるとは限らないが、潜在的に同じ意見の人にとっては頼もしい「援軍」となる。同じタイプで連携し合う場合もあり、複数がサポートについた場所での議論は、いろいろ面倒な展開になりやすい。
 ……だが、一対一の場合はそれほどでもない。対処法はいくつもある。そんな所を踏まえてからレスをつける事にする。

>「国が燃える」について

 この問題は厳密に言えば「自主規制」であって、「南京事件」そのものではありません。南京事件の代理戦争のような様相を呈しているが、それ以上のものではない。
 今回の内容について否定的な人達は、日常的な情報戦の一環としてこれを警戒するか、史実を物語として取り扱う姿勢について問題にしている。車輪さんは前者であり、僕は後者に分類できる。まずは、政治的な主張を抜きにして調べ上げた「史実」という土台の上に、作者の「物語」が語られるのが、こういうジャンルの大前提となる。
「フィクション」と断りが入れてあったとしても、読者の多くはそれを主人公達の存在などに限った事とし、史実描写は現実に起きたものと解釈する。だからこそ、見解の分かれる史実上の事件を描く際は慎重にならねばならない。仮想戦記小説などの場合は、ifの名の下に全てを「物語」としているからこういう害は起きにくい。一種のファンタジーだと解っていればいいのだ。
 本当の事と創作の境目が微妙なものほど、プロパガンダ効果が強く発揮される。だからこそ、それを恐れる車輪さん達の発言も理解できるのです。

 作品休載までの流れを見てきた限りでは、作者は綿密な検証をした末に「南京」を描いたわけでは無かったようです。前のコメント欄で書いてきた推測は、本宮ひろ志に期待しすぎていたのかもしれません。先ほど見つけた検証サイトでは、百人斬りに否定的な見解がありながら、南京では据え物斬りを行った描写をしている。作者の歴史観に迷いがあったのではないでしょうか。こちらでは、前のコメントで触れたニセ写真についても紹介されています。

>百人斬りについて

>それならば、ここでの証言者が見たものを「見ていない」と主張している
>可能性も疑わねば公正でない。

 その可能性も極めて低い。敗戦で当時の日本軍が武装解除された当時、証言をする中国人が報復を受ける可能性がどの程度あり得るだろうか。現在の記録に残っている証言自体、東京裁判の証拠集めとして何度も調査した結果、やっと出てきた内容なのですよ。裁判経過に興味があるなら「ディベートから見た東京裁判」をどうぞ。
「死ぬのは」さんの所でも「百人斬りは可能!」というコピペが何度も貼られていましたね。
 他人の主張はさておき、kojidoiさんは百人斬りがあったものだとお考えですか? 新聞記事が証拠と見るか、あるいは最近主張されている据え物斬り説か。日本刀は本当に百人斬る事が可能か。一度に百人は無理でも数振りを取り替えながら行ったとするか。あるいは一ヶ月の戦闘行軍の合間に刀のメンテを行いつつ、少しずつ殺害数を累積させていったのか。軍が宣伝高揚報道に協力するために、追撃戦を停止させてまで(戦線全てに影響が出る)百人斬りに協力したのか。そうだとしたら、隣接部隊へのそういう通達か命令書は存在するのか。
 戦闘による戦果でなく、抵抗できない捕虜の殺害などを軍が後押しすれば、日清日露以来の捕虜尊重の評判が落ちると関係者が考えなかったのか……? 
 kojidoiさんは、僕のこういった疑問点を解消させてくれる見解をお持ちのはずです。

 周囲の部隊まで協力させての大イベントだったとすれば、部隊記録や兵隊の日記などを含めた膨大な資料が存在するはずです。現在の刑事事件のように時系列を追って、具体的な殺害状況の把握すら可能でしょう。
 
 そろそろ、ご自身で考えた見解を語っては頂けませんか? それも「対案を出す必要はない。あったものはあったからだ!」と沈黙されてしまうのでしょうか。
 議論というのはお互いに意見を出し合わなくては進みません。指摘がしたいだけで傷つくのが嫌だとすれば、それも一つのやり方でしょうが、真似をしたいとは思わないですね。

 さて、「狙撃兵」は詰め寄られた時にどんな対応をされるのか楽しみです(^_^)。

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この記事へのコメント
いろんな事を進めるには対案を出すってのは重要なんだけど、論のアナのチェックも必要ですね。後者には、kojidoiさんのタイプは『使える』けど、前者には『使えない』というだけの話だよ。

基本的に、対案にしてもそうだけど、解決へ向かおうとするのに潰し合いをしようとする人ってのは、勝ちか負けかという2つの選択肢でしか考えていなかったりします。だけど、多くの問題は、双方納得というつまり、双方が勝ちという策もあったりします。その為には、後ろ向きな論争(批判合戦)じゃなくて、前向きな論争も必要なんですね。

確かに”反戦過激派”にとってkojidoiさんは心強い援軍ですね。
Posted by ゲスト at 2004年10月20日 09:48
死ぬのはさんもkojidoiさんも
攻撃するのは得意だけど、相手から攻撃されるのは苦手のようですね。
Posted by ゲスト at 2004年10月20日 14:11
議論のタイプ云々ではなく、単に土俵が違うだけだと思うのですが。
相手とは違う土俵に上がって、取り組みにもなっていないのに勝った負けたと言っている、そんな不毛さを感じます。

管理人さんやbetaさんは何故「勝ち負け」にこだわるのか、私にはそちらの方が不思議です。
Posted by ゲスト at 2004年10月20日 20:31
私もbeta_delphinusさんには再々そのように言っているのですが、ちっとも理解してくれないのです。ホントに不思議です。
Posted by kojidoi at 2004年10月20日 23:28
>beta_delphinusさん

 こんばんは。新天地の環境はしっくりしてますか?
 前向きな議論をするためには、お互いに意見を出しての確認作業が欠かせません。しかし、kojidoiさんからの意見が見られなかったので、問いかけをしてみたつもりです。仮に「百人斬り」の可能性が高いと考えるならば、その根拠をどこかのコピペや伝聞の情報ではなく、自分なりの意見にして書くこともできるはずです。
 それが出来ないとすると、説明できるだけの予備知識がないのか、自らの見解が否定される事を恐れていると解釈されても仕方がないのではないでしょうか。「斬る」なら「斬られる」覚悟が同時になければならない。
斬りたいだけなら、辻斬りと変わらないですからね。

 議論の「勝ち負け」がどこで決まるのかと考える時があります。仮に相手を徹底的に論破したとしても、当人がそれを認めない限りは応酬が終わることはない。僕はそういう事より「分析」自体が楽しいんです。新しい知識を得て再検証して、議論した人から得た情報を元にまた考える。この場所で誰かを啓蒙しようなんて気もないし、悪い人をやっつけて自分が「善意の人」と見られたい訳でもない。政治ネタで意見が合う人達と交流を深めてコネを作りたいとも思わない。
 読んだ人が自分自身について考える時、目印くらいになってればいいかな、くらいですね。

 自分でも少し厳しい書き方をしてるという自覚はありますが、それは他人に厳しくモノが言える方なら、それ相応の深い思慮と蓄積された知識があると期待しているからです。なかなか「前向きな論争」の実現は難しいようです。

>下のゲストさん

 こちらとしては、待っているのに土俵に上がってきてくれなかった心境です。「勝ち負け」というのはどうでも構わないのですが、この場合のkojidoiさんの土俵ってどんなモノなのか気になります。

>kojidoiさん

 ご意見をお待ちしています。
Posted by 野良猫 at 2004年10月21日 00:05
それはともかく、歴史に関しては僕は以前自分のエントリーに書いたように、どちらの意見もあるだろうって程度でしか見ていないかな。どちらの意見も一方的に受け入れることはないんで。
Posted by ゲスト at 2004年10月21日 00:43
あ、新環境はかなりいろんな対応が可能なのでしっくりいってるけど、ちょっと諸事情で記事を書いていないですね。書きたい事はいろいろあるんだけどね。。。BSEにしても、メディアリテラシーにしてもね。
Posted by ゲスト at 2004年10月21日 00:49
管理人様、お疲れさまです。見ている側の反応にも目を通していただきましてありがとうございます。

とはいえ、土俵に上がってもらえなくても仕方ないのでは、と今回のコメント欄を拝見してやはり感じました。例えばbeta氏が「是非見てみたい」とおっしゃっても、そもそもkojidoi氏に応じる義務はないのですから。
もしどうしても戦いたい(?)のであれば、管理人様やbeta氏がkojidoi氏の土俵に上がるしかないと思います。

極論ですが、相手の土俵を「どんなモノか気になります」とおっしゃっているようでは、論議など成り立たなくて当然です。
どのようなものかも判らずに、一体何を話せるというのでしょうか。

やはり不思議だなあ、と思いました。
Posted by ゲスト at 2004年10月21日 01:47
青狐です。野良猫さんの「メモ20」にてコメントを入れた者です。

>軍が宣伝高揚報道に協力するために、追撃戦を停止させてまで(戦線全てに影響が出る)百人斬りに協力したのか。

協力の有無を質されているようですが、結論から言うと質問自体が不毛だと思います。

というのは百人斬りが追撃線を停止させる、という前提があまりに非現実的だからです。二人の所属は歩兵連隊で、600キロもの長距離侵攻です。まさか、戦闘と戦闘の間をノンストップで進軍していたとお考えなのでしょうか。局地戦の後には進軍を止め、最低一泊は野営し、体制を整ながら再進軍し、12日かけて600キロ先まで侵攻しています。
このような長距離の侵攻作戦においては、局地戦終了後の野営地点でのタスクとして、武器の整備や捕虜への「措置」やが行われるわけです。(殺害するなり、空間を用意し収容し食糧を与え監視するなり)。
たかだか200人規模の捕虜殺害措置は、野営地点でのタスクの範囲で行える規模にすぎず、進軍の遅延をもたらすとは思えません。ましてや、戦線全てに影響が出るという疑念は荒唐無稽の域にあると思います。したがって、そもそも軍の協力を必要とするような大それた事とは思えず、それゆえ質問自体が不毛と言わざるをえないのです。
Posted by ゲスト at 2004年10月21日 04:40
>もしどうしても戦いたい(?)のであれば、管理人様やbeta氏がkojidoi氏の
>土俵に上がるしかないと思います。

 こちらとしては、kojidoiさんの批判にお答えする為に記事をいくつか書いてきました。今回の自主規制問題、南京事件にしても漠然とほのめかすだけで、彼なりの主張が語られていません。「これは違う」と指摘する際に、「自分はこうだったと考えている」と自分なりの姿勢を明らかにすることは、とても大事な事ではないでしょうか。
 もしかしたら、「自分は批評家というスタンスなので、他所への批判や指摘はするけど、自分自身の意見などを明確に出す必要はない」という考え方なのかもしれませんが、それでしたら、こちらもきちんとお答えする必要がないように思います。

 あなたがkojidoiさんのスタンスを理解しているなら、こちらも誤解をしたくないのでどうかご説明をお願いします。

>青狐さん

>たかだか200人規模の捕虜殺害措置は、野営地点でのタスクの範囲で行える
>規模にすぎず、進軍の遅延をもたらすとは思えません。

 すると、百人斬りは何回かに分けられたものではなく、一度に二百名前後の人間が殺害されたものとお考えなのですか? 山歩きをした経験があるんですが、僕が早足で歩いて時速5キロ前後。平均で一日に50キロを歩くには、毎日10時間歩き続けなくてはならない。戦前の兵隊の足腰がいかに強くても、平均30キログラムの装備を背負い、殺害するための捕虜を連行しながら行軍する事が可能だろうか。もちろん戦闘しながら。
 新聞記事通りに彼らが敵陣に斬り込んだ訳でないと、青狐さんもお考えだとします。
 すると、上海から南京までの行軍で殺害が行われたと、時系列的に証明されなければならない。
 二百名の捕虜を連行するとしたら、それ相応の兵員を監視に付けなくてはならない。また、殺害時の目撃者も多数にのぼる上に死体の処理に人手も要る。また、捕虜殺害の現場などは確認されているのだろうか。

 単発の「証拠」などから「虐殺はあった」と主張するケースを見かけますが、刑事事件の検証のように当時の事情を解説した内容はあまり見かけたことがない。新聞記事では敵陣突入の戦果になっているのだから、当時の新聞記者だって捕虜をなで斬りにしたのでは、戦意高揚記事にならないのは解っていたはず。
 ……ならば、軍が殺害数競争なんてものに積極的に協力するのだろうか? 今の自衛隊以上に規則が細かかった旧陸軍で、そんな事が明るみに出れば軍法会議にかけられるのでは? そんな疑問が拭えないのです。

 青狐さんはこの辺りの経緯について、僕よりも詳しいようです。その辺りを教えていただけませんか?
Posted by 野良猫 at 2004年10月21日 08:36
結局『あんたの』南京虐殺に関する意見は具体的にどうなのよ?

自分のスタンス書いてみろ!

いつもどうりの、当たり障りのないことダラダラ書くなって。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2004年10月21日 11:39
まず、前回の私のコメントの論点を再確認すると、「軍の協力が必要か不要か」でした。

1>すると、百人斬りは何回かに分けられたものではなく、一度に二百名前後の人間が殺害されたものとお考えなのですか?

いいえ。実際何人を何回で殺害したのかはわかりません。
しかし、仮に百人斬りを1回で行っても、進軍を遅延させるような影響を与えるわけではなく、軍の「協力」など必要としないと述べたのです。

2>山歩きをした経験があるんですが、僕が早足で歩いて時速5キロ前後。平均で一日に50キロを歩くには、毎日10時間歩き続けなくてはならない。戦前の兵隊の足腰がいかに強くても、平均30キログラムの装備を背負い、殺害するための捕虜を連行しながら行軍する事が可能だろうか。もちろん戦闘しながら。

別に「捕虜を連行した後に殺害」と限定しておらず、「捕捉したその日のうちに殺害」の可能性を否定していないのに、このような問いかけをされること自体が不思議でなりません。

3>二百名の捕虜を連行するとしたら、それ相応の兵員を監視に付けなくてはならない。また、殺害時の目撃者も多数にのぼる上に死体の処理に人手も要る。

進軍の途中においては、死体は放置したまま次の地に進軍すればすればいいだけの話です。人手は不要でしょう。

捕虜を生かして連行すれば給養も必要、監視も必要ですが、殺害すればそれらのコスト投入を回避できます。その意味では、捕捉したその日に殺害したほうが「合理的」です。そうすれば給養コストや監視コストを軽減できます。
もう一つの選択としては捕虜に荷物を背負わせて行軍し、用済みになったところで殺害するというものです。つまり、捕虜を牛馬のように動力資源として活用することです。
この両者は実際に行われていたようで、第十一軍司令官岡村大将が中支方面軍(のち中支派遣軍)特務部長の原田中将らから聴取した内容に、以下の項目があります。
「一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
「一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
「註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。 」


>……ならば、軍が殺害数競争なんてものに積極的に協力するのだろうか? 

ですから、野良猫さんが勝手に「協力が必要」と大げさに考えているだけの話です。この程度の規模の捕虜殺害など野営地点でのタスクの一つにすぎず、軍の協力など不要だと前回申し上げたとおりです。
Posted by ゲスト at 2004年10月21日 20:07
さて、「協力の必要・不要」という論点からはみだした部分についてレスします。
まず、捕虜殺害の「可能性の有無」という論点について。

>今の自衛隊以上に規則が細かかった旧陸軍で、そんな事が明るみに出れば軍法会議にかけられるのでは? そんな疑問が拭えないのです。

あの、野良猫さんは「書籍を取り寄せて自分なりに検証」されたのですよね?
そもそも南京戦において、日本軍側に捕虜取り扱いについての明快な方針がありましたか?


第7連隊は第16師団に所属していますが、その第16師団長の中島中将にしてからが、南京陥落当日に「高山剣士」なる人物と捕虜7名を試し斬りしている有様です(「中島日記」)。
「本日正午、高山剣士来着す。時恰(あたか)も捕虜7名あり。直ちに試斬を為さしむ。小生の刀もまたこの時彼をして試斬せしめ、頚(くび)二つを見込み斬りたり。」

刀の切れ味を試す目的で捕虜を殺害していますね。

ついでに中島日記には、南京陥落後大量に捕捉した7000人規模の捕虜に対し、「この7・8千人、これを片付くるは相当大なる壕を要し 」などと書かれています。要するに捕虜殺害後の死体の遺棄場所を思案しているわけです。まあ、どう読んでも捕虜殺害を企図していたとしか読めない文章です。

師団長がこういう方ですから、捕虜取り扱いに対する師団全体の意識の緩さは推して知るべしでしょう。
Posted by ゲスト at 2004年10月21日 20:26
日々のROM者の書込み、初めにご無礼申し上げます。
これらはあくまで見る側一個人の感想に過ぎません。どうぞこのまま読み流して下さいませ。

>あなたがkojidoiさんのスタンスを理解しているなら、こちらも誤解をしたくないのでどうかご説明をお願いします。

申し訳ありませんが上記文に対しては、「判っていないという自覚がある内は、kojidoi氏と論争したがるのはやめられた方がいい」としか私には言えません。これが大学のゼミならば、担当教官は「理解できるまで資料を読み直しなさい。論じるのはそれから」と生徒を注意して終了です。
判らないまま無理に行っても、お互い不毛な時間を生むだけでしょう。
何も難しいことではありません、ただそれだけです。

管理人様の文章には常々、多々の不思議が見受けられます。末尾ですが今回目についたものをざっとあげさせていただきます。

・相手の言いたいことが判らないのに論争をしたがる不思議
・自分のルールに相手が従わないことを非難する不思議
・根拠が仮定であるならが結論も仮定に過ぎないのに、何故か事実としていつの間にか扱っている不思議

・「土俵」を「スタンス」と勝手に置き換えている不思議(これは揚げ足取りの類いですね、申し訳ありません。しかし文章のニュアンスというものは繊細なのです。どんな細かい言葉でも引用は常に正確に)


もっともこれらの不思議もまた個性かもしれない、と見る側としては興味深く拝読させて頂いております。
とりあえずは、こんなところでしょうか。長文失礼いたしました。
Posted by ゲスト at 2004年10月21日 21:11
 ここまでの内容を整理していきましょう。青狐さんは「百人斬り」をあったものと考えている訳ですね。そして、実際の殺害数や累積させていく過程は不明だが、捕虜の即日処断と死体の放置などを行えばさほど負担なく行う事が出来るはず。……そうお考えなのですね? 

>「一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
>「一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
>「註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。 」

 この辺りの記述は、何という本に書かれていたものですか? こちらでも取り寄せたいので題名と出版社を教えて頂けませんか。
 引用部分だけでは何ともいえませんが、唐生智が逃亡した国民党軍はパニックに陥り、陥落寸前の数日間は守るべき南京市民に暴行略奪をはたらいている。これが結果的に日本軍の占領を歓迎する空気に繋がっていくのですが、その事ではないでしょうか。
 捕虜に荷物運びをさせたりはしていたようです。「1937南京攻略戦の真実(東中野修道)」に収録された兵士の手記にもそんな話が書かれている。それを読む限りでは、物資徴発の際には必ず証明書を残し、機材を運ばせた人夫たちにもきちんと食事を作っている、そんな生真面目さしか伝わってこない。本当の実像は一体どのあたりにあるのでしょうね。

 上記の本には第六師団の将兵達の手記がたくさん収録されています。青狐さんの紹介する中島中将が指揮していたのは第十六師団なのですが、師団長が違うだけで極端に違うものだろうか? また、紹介されている「中島日記」にしても、どんな人物を「試し斬り」したのか。そして、「壕」という表現が捕虜収容施設の意味でなく、本当に捕虜を埋めるための穴なのか? もう少し日記の前後を読んでみたいところです。

「百人斬り」「南京事件」ともに、戦後の南京で行われた裁判で関係者は死刑になっているのですが、それが厳密な検証のもとで行われた裁判だったのか疑問です。先にも述べたように、戦勝国側にとって南京事件(南京大虐殺)は「あるべきもの。無いはずがないもの」という政治的な事情も加味すると、現在のように客観性が保たれた状態で再審していたら、違う結果になっていたのではないかと考えます。

>ゲストさん

>これが大学のゼミならば、担当教官は「理解できるまで資料を読み直しなさい。
>論じるのはそれから」と生徒を注意して終了です。

 それは自分の感覚によほど自信がないと出来ない比喩ですね(笑)。直感とか共感といったものに縁遠いもので、なかなか把握できません。kojidoiさんの最近のエントリーは「野良猫は矛盾」と繰り返すばかりで、指摘に応じる形で記事を書いた側としては、ちょっと困惑している状況です。
 別に僕が間違ってても構わないんですが、「間違い」だとするならば何が正しいのか、あるいはマシな考え方なのか。そういう説明を語らなければ、説得力も相互理解もあり得ないのではないでしょうか。

>・相手の言いたいことが判らないのに論争をしたがる不思議
>・自分のルールに相手が従わないことを非難する不思議
>・根拠が仮定であるならが結論も仮定に過ぎないのに、何故か事実として
>いつの間にか扱っている不思議

 解らないから知りたくなる。勝ち負けの論争がしたいのではなく、新しい事を知りたいから質問するのです。相手の真意を把握するためにいくつか仮説を立てて確認を求める。肯定・否定・部分肯定・部分否定、回答の拒否、いずれかの反応をしていただけないと理解のしようがありません。
 一瞬で直感的に理解する事が出来ないから、こういう手順を踏んでいるのです。手間がかかるので、あなたのような方が羨ましいと思う時もあります。

 ここの記事で間違った事があれば、読者の方はそれを避けるように注意するでしょう。だとすれば、ほんの少しは誰かのお役に立てているのかもしれません。それで充分なのです。
Posted by 野良猫 at 2004年10月22日 00:44
私はそのお手伝いをしているだけです。
Posted by kojidoi at 2004年10月22日 01:44
多少気になっている点なんだけど、野良猫さん狙い撃ちというのが多いけど、思想的な背景が見え隠れしていますね。

もし、内容の正確性というなら、どちらの立場の人にも刃になることもあるし、援助になることもある。その力が平等に働くのが論理的なチェック機能だったりするんです。ただ、kojidoiさんの場合は、タイトルに非公正と書かれているので、立場が書かれている分良心的だと思っていますよ。

その反面、非公正な論理っていうのは、読者の誤解は生むものです。一部の方向に対して盲目にさせて一部の方向に対して、厳しい眼に向けさせる力があるわけですのでね。ただ、特にkojidoiさんに関しては腹黒さは感じないし、正義感から来ているんだろうなとは思うんですけどね。
Posted by ゲスト at 2004年10月22日 08:27
俺の尻ばかり追いかけてるね。^^; そんなに俺の事好きなのか 笑 あまりしつこいと僕にも考えはありますので。。。

そろそろ、眼をさました方がいいよ。おれも、あなたの怨念と相手にするほど暇じゃないんでね。
Posted by ゲスト at 2004年10月22日 08:34
『敵前逃亡 他人に恫喝 憮然な態度』
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2004年10月22日 15:36
死ぬのはさんて以外に保守的なんですね。
少し驚きました。
Posted by ゲスト at 2004年10月22日 18:44
きーぼーどがこわれたので、ここだけ。
にゅうりょくふのうなので、こぴぺだけでかいてみまsいた。
あとは別のPCから。

>ここまでの内容を整理していきましょう。青狐さんは「百人斬り」をあったものと考えている訳ですね。

いいえ。野良猫さんは聡明な方だから、ここまでの青狐の指摘が「可能・不可能」という論点にかかわるものであることはおわかりのはずだとはおもいますが。
青狐は「有・無」についてはひとことも述べていないので、上のような問いかけは的はずれに思います。

>そして、実際の殺害数や累積させていく過程は不明だが、捕虜の即日処断と死体の放置などを行えばさほど負担なく行う事が出来るはず。……そうお考えなのですね? 

これは可能・不可能の問題ですね。そのとおりです。
Posted by ゲスト at 2004年10月24日 22:06
>青狐さん

>青狐は「有・無」についてはひとことも述べていないので、上のような問いかけは
>的はずれに思います。

まだ推測か保留という段階ならそれでもいいのですが、ある程度自分なりの結論がありましたら提示してください。一つずつ確認しながら進めていきましょう。

「中島日記」が記載されている本の件も、よろしくお願いします。
Posted by 野良猫 at 2004年10月25日 01:03
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