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noraneko

2004年10月11日

メモ20「『国は燃える』とか」

Negative Storiesさんの記事を読んでの感想ほか日中関係など。
 前に本宮ひろしの「国は燃える」について書いたが、いろいろ動きがあったらしい。地方市議たちが集英社に対して抗議文を送ったとのこと。政治家は勝ち馬に乗るのが上手いなあとも思うが、こういう反応が票のプラスになると考えられる程度には、「戦争責任」に関るタブーは無くなってきたようだ。
 こういう抗議文が送られること自体は、そう珍しいものでもない。「ゴーマニズム宣言」が従軍慰安婦の話題に入った頃も、43の市民団体から抗議文と連載中止を求める要請が送られてきた。これは自分達の政治的主張に気に入らないものを消し去ろうという行為で、ファシズムそのものと言わざるを得ない。
 しかし、今回の抗議文を読む限りではそうした箇所は見られない。少なくとも見解が大きく分かれていること、参考にされた史料は捏造と判明したものであること、明らかに史実と異なる(捕虜の試し斬りなど)場面を描いたことなどへの疑問は、そう的を外れたものではない。

 作品の心理描写の手法としては理解するが、史実を扱う作品で意図的に(確信的と呼んでもいいが)国民党の軍服を着た兵士の写真を元に、日本兵が捕虜虐殺をしている描写をする姿勢には疑問を感じざるを得ない。
 かつて、中国の戦犯管理所に居た元日本兵が、嘘の虐殺証言をした事がばれた時、「私は中国でとても世話になった。日中友好のためなら、自分が嘘つきと呼ばれてもいい」という主旨のコメントをしていた。
 もしかすると、本宮ひろしにも似たような思いがあるのかもしれない。しかし、それは善意からの行為であったとしても、やはり嘘でしかない。私達はイデオロギーを排して正確に検証をする必要があると考えます。

 最終的に「国が燃える」という作品がどうなるとしても、感情論抜きで議論が出来る環境になる事を望みます。
 ……さて、では「感情論」のサンプルを検証することにします。

>あんなー!青少年の健全育成って、本宮ひろ志氏を求めてる層が誰かわか
>ってんの?社会の軋轢にもまれても不正に立ち向かう人に共感を寄せる、
>サラリーマンのお父さんたちなんだよ!!

 誰かがある時正しい行動をしていたとしても、別の時にミスをする事はあります。それを指摘する事に何の問題もありません。「弱者擁護」や「善意」を口にしていれば、批判されなくなるべきなのですか?

>おなじ集英社でも「なか●し」とか、他の出版社の「ちゃ●」
>(まだまし)「りぼ●」(差別階級制度賛美雑誌だ!)いっぺん読んで
>弾圧しとけ!!

 DOXさんがなんでそんな雑誌に詳しいのかは不明ですが、何の作品から「差別階級制度賛美雑誌」と判断したのか興味があります。童話の「シンデレラ」などもその範疇に入りそうですね(汗)。まあ、社交辞令にこうも反応する方が不思議なんですが。

>あのなーー!!漫画に史実求めてどうすんだ!!あんたら教科書で騒げば
>充分だろう!!漫画に史実の正確さ求めるあんたらのアタマが稚拙なんだ!!
>だったら、歴史を書いたものみんな弾圧しろよ!
>フィクションで想像で書かれた物なんか、いくらでもある!

「史実」を扱う物語で、捏造とされた史料を元に描いている点を指摘しているのであって、作品内容が不適切だから削除しろなどと要求している訳ではない。似た題材で、「−龍−(RON)」(村上もとか)があるが、こちらは日本兵による虐殺を見たと証言する子供を出しつつも、国民党の脱走兵が村を荒らす光景を描く事でバランスを保っている。
 どうやら、擁護派の人達は「作品の自由」と、自らの信じる「南京大虐殺」をごっちゃにしているようです。仮に、作品が単行本で訂正かただし書きをつける形になったとしたら、「南京大虐殺」が否定されるように思い込んでいるらしい。作品には関係なく「物理的事実」はあるのです。いわゆる「南京事件」を信じるなら、自信を持って正確な史料を提示すればいい。

>はーーー!!アタマ膿んでるなそれ、中国に行って言ってきてください!!
>中国系のみなさーーーん!ここに南京大虐殺はなかったって言ってる日本
>のエライさんがいますよー!!

 かつて、佐高信も「慰安婦がいなかったとソウルで叫んでみろ」と言いました。慰安婦は居ましたが、軍命令の強制連行ではありませんでした。物理的事実を調べていけば、先生に言いつける小学生のような振る舞いをせずとも解る事です。ちなみに、一般の中国人は政府の主張をほとんど信じていません。彼らをかろうじて繋ぎ止めているのが「反日教育」ですが、富裕層や海外に居る中国人は政治的な方便と割り切っています。
「虐殺」の定義すら合わない現状では、政治抜きで日中の知識人が議論することも難しい(実際に日本側の申し出は拒絶されている)。
 中国共産党としては、抗日映画のような「南京大虐殺」が無かったと判明しても「あった」事にして反日教育を続けるでしょう。中国にとって「南京」はそういう題材なのです。

>遺族遺族って名前だけ出して、ほんとはあんたら自分の権威を振りかざし
>て弾圧するのが楽しいだけでしょ。
>だったら、先の大戦で日本軍に殺された側の遺族の気持も考えろ。
>あんたらみたいのが俺の仕事(外国人就労者との折衝)の邪魔で、俺の国
>民としての誇りを傷つけてる。たとえ漫画に対する抗議であっても許され
>ない。

 それを逆に言えば、「中国の被害者」を盾にして感情的な発言を是とするのは楽しいですか?本物か確認もしないうちに、「人間の盾」とするのは正しい行為なのだろうか。自衛隊員だったなら、戦争とは国ごとに差し迫った事情と「正義」がある事は知っているのでは? あなた風に善悪二元論でいうならば、当事国全てが「悪」に過ぎない。あなたの仕事と今回の問題に関する因果関係はありません。あるとするなら、もう少し具体的にお願いします。

>よく中国が先の大戦を言うのは政治利用、みたいに言うけど、あんたらは
>遺族会の票を利用するためにこういうことをするんだよね。
>だいたい、今の中国政府が犠牲になった中国国民やその遺族のことを考え
>ていたら、もっと日本政府に抗議するのが当たり前でね。今多少おとなし
>いのは、経済的に日本が切って切れないからで、逆だよね。政治的に利用
>されてるって意味が。文化・経済でこんなに交流が進んでなきゃ、もっと
>抗議の声は大きいはず。(外交努力より企業努力の成果だなや。)

 中国にとって「南京」は、対日カードとして有効だから使っているに過ぎない。国内を団結させ、日本を譲歩させるのに有効だから施設を作り「被害者」を訴えさせる。順番があべこべですが、国際政治の世界では少しでも自国を有利にするためならどんな事でもするのが普通なんです。
 中国は賠償を放棄した事になっていますが、旧満州や上海などに日本が残した膨大な資産を「敵産」として自分のものにしてます。日中平和条約を急いだのも、台湾の孤立化をはかる等の狙いが優先されたため。そもそも、国民優先なら大躍進政策の失敗などで大量の餓死者を出すはずもない。どこの国もそういう傾向はありますが、朝鮮と中国は「儒教」の影響で飛び抜けて「政治第一」なんです。

 プラザ合意による円高、それに乗じての日本国内の工場の誘致と技術移転。同時に日本の産業空洞化による弱体化……。今の不景気を招いた理由の一つもそんな所にある。文字通り、日本は自国を犠牲にして中国の経済発展に貢献した事になりますね(苦笑)。これも中国の外交的勝利の一つでしょう。
 日本は戦前の失敗を忘れて、また蓄えてきた資産や技術を大陸に放出している事が解らないようです。こういう責任追求こそ、日本政府に対してするべきなのですが……(汗)。

 それにしても、DOXさんは言いたいことを存分に言えて羨ましい。見習いたいものです。

追記:台湾の高砂義勇隊に関する石碑の義援金が予定額に達したらしい。ちょっとだけ2chに対する印象が変わったかもしれない。

トラックバック:
http://sapolog.com/u/2148/%c0%af%bc%a3/0000133986.trackback
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この記事へのコメント
http://www.tetsureki.com/home/labo/hyakke/naosuke-02.html

私はこの方の意見に賛成ですね。とくに最終段落で言及されている「陥穽」。野良猫さんも引っ掛からないように注意されたほうがよいでしょう(既に鎖が半分脚に絡まっているように見えますが)。
Posted by kojidoi at 2004年10月11日 07:02
今回、作者と集英社を擁護する方は、「作品の自由」と「南京大虐殺を否定するな」という視点から主張されているケースが多いようです。ゴー宣の連載中止圧力を覚えている者としては、前者の視点を持つ方ならそういう時にも圧力に反対して欲しかったと思います。
他の自主規制問題と比較してややこしいのは、「戦争責任」とからんでいる事で、「南京肯定=良心的日本人」、という感情的な意見が目立つことです。
少なくとも、南京事件への疑問を口にするには「右翼」、「軍国主義者」というレッテルを我慢しなければならない現状がある。「つくる会」が司馬史観に影響されているとしたら、一般層は東京裁判史観の影響下にあるとも言えるでしょうね。
 
面白いサイトを紹介していただいて嬉しく思います。史実とフィクションが別物という意見にも同感です。史料を疑うという、メディアリテラシーの姿勢にもうなずける。

現在、批判を受けている理由の1つは彼が「ねつ造」と判明している史料を元に、敢えて虐殺描写を行った点にもあります。
http://propellant.fc2web.com/
こちらの10/01の見解に自分も近い。

僕自身は作品そのものへの関心はあまりありません。タブー無き議論が出来る環境になってきたことを歓迎はしています。
Posted by 野良猫 at 2004年10月11日 20:36
「本宮氏が歴史を捏造」なんていっちゃっている点でアホ丸出しだと感じました。この方も、虚構と現実の区別がつかない類のようですね。
Posted by kojidoi at 2004年10月12日 01:07
と思ったら、この方、漫画家さんですか。ますます訳がわかりませんね。
Posted by kojidoi at 2004年10月12日 01:10
>ちょっとだけ2chに対する印象が変わったかもしれない。

この文、意味が分からなかったんですが、だれの印象が変わったかもしれないんですか?
Posted by ゲスト at 2004年10月12日 02:05
車輪さんはある程度の知識を持ち、演出のためでも自らの知識と異なる描写はしない方なのでしょう。それ自体は変なことではないし、「アホ丸出し」と言われる理由が今ひとつ分かりません。それは呟きであって、説明ではないと思います。そういう内容はchatかIRCなどの場でお願いします。

>自慰史観とか

ふむ、宮台真司などは「オヤジの慰撫史観」と述べていましたが、別の呼び方もあるみたいですね。
慰霊碑のために義捐金が送られるというのは美談です。それが2chで行われたとすれば、前の方のメモで「あまり行かない」と書いていた僕のような者でも、少し印象が変わる。それだけのことです。

基本的にどこの国も、歴史教科書には肯定的な事しか書かないものです。幼児が家族に肯定されて育つように、まず大まかなストーリーを把握して自信をつけてから細部や高度な内容に取り組んでいくもの。
「つくる会」の歴史教科書を「美化」と口にする人達は、自分がどのようにして意識を成長させてきたのか思い出してみればいい。小さな子供が居るならば、その子の前で殊更に自分の一番の欠点や悪所をさらして教え込むだろうか……? 普通はするまい。
このあたりを考えていくと、「つくる会」の教科書に反対する人は単に正確な知識が無いだけか、本当に子供の育成を願っているのではなく、自らを「善人」とアピールするための題材にしているに過ぎないのではないか、と考えてしまう。

リンク元のコメント欄を見ても、正確な検証などは語られず「あったものはあった」で完結してしまっているのが解る。誰も戦前派が少なくなるまで待っていたりなどしていない。5、6年前までこれらの話題がタブーであった事すら彼らは知らない。

知らないのは仕方が無いとしても、知ろうとしない事に絶望を感じる。
結局のところ、戦争責任や被害者の事などどうでもよく、共感出来る会話を求めているだけなのかもしれない。

ネット上でまで似たようなグループ作って結束するのって、面倒じゃないのかねぇ……。とほほ。
Posted by 野良猫 at 2004年10月12日 03:42
毎回参考にさせて頂いておりますROM者です。
ところで、野良猫さんの語り口は特徴があるなあ、とよく感じます。
例えば判りやすい部分を言えば、

1)「つくる会」の歴史教科書を「美化」と口にする人達は、自分がどのようにして意識を成長させてきたのか思い出してみればいい。小さな子供が居るならば、その子の前で殊更に自分の一番の欠点や悪所をさらして教え込むだろうか……? 普通はするまい。

2)このあたりを考えていくと、「つくる会」の教科書に反対する人は単に正確な知識が無いだけか、本当に子供の育成を願っているのではなく、自らを「善人」とアピールするための題材にしているに過ぎないのではないか、と考えてしまう。

(例のため、勝手に一文を区分けさせて頂きました)
1)部分では、子供にどうやって物事を教えるか、という事例を取り上げて、「殊更に自分の一番の欠点や悪所をさらして教え込むだろうか……? 普通はするまい。」と定義されたあと、
2)部分で、「本当に子供の育成を願っているのではなく、自らを「善人」とアピールするための題材にしているに過ぎないのではないか、と考えてしまう。」という結論に至るのは、話が飛びすぎ(というかつながっていない)のように思えるのです。
自らの欠点を殊更さらすような教育が、自らを「善人」とアピールためだと結論付けられるのには、そうだとするならばまだ検証が足らないのではないか、と。
(私にはこの段階では、1)と2)はまるで無関係のように思えました)。

野良猫さんの書込みは他のブログでもよく拝見しておりますが、そこで賛同が得られないのは主義主張以前に、論理的に飛躍し過ぎるために、理解してもらえないからじゃないかな、といつも思うのです。
結論を出すために論じなければならない部分がうまくつながっていない、というか。

折角の長文がいつも論ずるに値しない、と切り捨てられるのがもったいないな、とよく思っていましたので、関係ない話ですが書き込ませていただきました。
差出口、失礼いたしました。
Posted by ゲスト at 2004年10月12日 22:42
おやおや! 「史実とフィクションが別物という意見にも同感です。」と上のほうでおっしゃっているので、最低限の共通認識は得られたものと思っていましたが、まだまだ甘かったようですね。 

「捏造」という言葉がどんな文脈で使われる言葉なのか考えてみれば、私がアホと言い切った理由は明白だと思うんですがね。

テレビの「水戸黄門」で主人公たちは年中旅していますが、史実では黄門様自身はそれほど旅行したわけではない。あの番組は史実に反していますが、「捏造だ」と騒ぐ人は居ませんね。当然です。フィクションなんだから。捏造だからケシカランなどという論法は、敷衍するとフィクションの存在を全否定していることに他ならない。そんな言説を漫画家という立場で振り回すということは、自分の立場をも否定していることになるが、ご本人は全く矛盾に気付いている様子がない。だからアホだというのです。
Posted by kojidoi at 2004年10月13日 00:48
>自らの欠点を殊更さらすような教育が、自らを「善人」とアピールためだと結論付けられるの
>には、そうだとするならばまだ検証が足らないのではないか、と。

すみません。このあたり、何度か触れてきたことなのですっ飛ばしてしまいました。こういうケースで僕が疑問に感じるのは、ちゃんと自分なりに考えて結論を出した上で発言しているのかな? という事です。
たとえば、「つくる会」の教科書を「美化」と評価するためには、自分なりに教科書を読む→過去に学んだ記憶と比較する→「美化」だろうと結論付ける、という順序と段階がある。まだ一般に流通していなかった頃に「美化」と主張していた人は、どうやって検証したのだろうか?
今なら本屋で立ち読みも可能だが、伝聞情報に頼らず自分で確かめただろうか?
今回の一件でも、「南京大虐殺を無かったことにしようとしている」「出版の自由を脅かそうとしている」という意見がごっちゃに挙がっていて、作品としての評価や抗議運動そのものへの批評をしている所は少ない。

義憤や正義感をもとに発言するのは構わないけれど、どんな情報にも偏向のベクトルがあると分かっている時代。情報を発信する人に踊らされないようにするためには、メディアリテラシーが欠かせません。自らの欲しい傾向の情報にばかり目を向けていては、戦前の大本営を笑えないのです。

暗記物を除けば、教育の段階は大まかな全体像の把握から、徐々に細部や高度な内容へと進んでいくもの。、こういう認識に、反対意見を出す方はあまり居ないと思います。
しかし、実際には具体的な指摘なく、「美化」「こんな教科書は子供に読ませられない」という意見を見かけることが多い。これは今回の一件でもそう違いはない。南京事件は「あったものはあった」という説明だけで完結している。

こうなってくると、メディアリテラシーより情緒を重んじる方なのか、検証した上で自らのイデオロギーに逆らえず確信的に発言しているか、題材となっている話題の真偽はどうでもよく共感を求めているのか? 以上のようなタイプに分類ができてくる。
僕は「共感」のタイプが一番多いんじゃないかと考えています。「被害者を救済すべきです」「わたしも同じ意見です。日中友好のため、出版の自由のために戦いましょう」・・・こんな言葉を枕詞にすれば、「善意の第三者」という立場をアピールしつつ団結できる。
ですが、それは本当の「弱者」を見過ごしてしまう危険な姿勢ではないでしょうか。問題を解決するには、まず客観的な検証こそが重要なのではないだろうか・・・?

長くなってしまいましたが、こんな風に考えています。もっと短くまとめられないと駄目ですね。

>kojidoiさん

再度、「フィクションと史実は別物」とお答えしておきます。その上で車輪さんの見解にも頷けるものがあります。この問題は、描写された南京事件による「東京裁判史観」へも繋がっています。歴史認識に関わる宣伝戦という視点から見れば、車輪さんの見解にも一理あります。特別に賛成はしませんが「アホ丸出し」と考えずに理解できるのです。
作品論以外でフィクションと史実の差に口出しするくらいなら、別のblogで「行殺☆新撰組」を薦めたりしませんよ(笑)。
エロゲーに偏見を持たない方ならおすすめです。
http://www.liar.co.jp/fresh.html
Posted by ゲスト at 2004年10月13日 18:30
トラックバックなるものに初挑戦したのですが、中途半端になってしまったようで・・・(汗)
この漫画、連載休止になったようです。
Posted by ゲスト at 2004年10月13日 19:48
>すみません。このあたり、何度か触れてきたことなのですっ飛ばしてしまいました。こういうケースで僕が疑問に感じるのは、ちゃんと自分なりに考えて結論を出した上で発言しているのかな? という事です。

都合の悪いことは一文で済まして、後は全部言いたいことのほうに引っ張っていってますね。そういうのもあまり共感を呼ばないやり方だと思います。すみませんと言われても真摯さが感じられないから。
Posted by ゲスト at 2004年10月13日 21:19
12日に書込みをさせて頂きましたROM者です。レスを返して頂きましてありがとうございました。

野良猫さんの文章を拝見するに、ここまで長いものを書かれる以上頭の良い方なんだろうな、といつも感じています。
ただ、今回もやはり目に付いたのは、野良猫さんがご自分の頭の中で先に解答を算出してしまうため、論の中では読み手(というか私だけかな…?)を置いていってしまうという点です。
今回のお話を拝見しても、やはり「欠点をさらけだす教育」が「自分を善人だとアピールすること」であるという説明が探し出せなかったので…。

多分、論を語るに当たって着目点が多すぎて、この段落ではどの点について語っているのかが一見判りにくくなっているのが原因では、思いました。今回頂いたご説明の中にも、アンチ作る会から南京問題から、野良猫さんの推測も交えて2つ3つ4つと論点が混ざっていらっしゃったので。

私自身はblogで語るような知識もまだなく、他の方々のご意見や資料を読みあさっている日々です。
ROM者として図々しいお願いですが、野良猫さんの日記にも最後に参考文献みたいなリストがあるといいなー、と感じております。理解力をつけるため、是非とも新しい知識を仕入れていきたいのです。
(例えば、今回のレスの中で、
>それは本当の「弱者」を見過ごしてしまう危険な姿勢ではないでしょうか。
という部分がありましたが、この場合の「弱者」とはどの立場の方を指すのだろう、と今考えております。こんな時にヒントがあれば、もっと野良猫さんの言葉も理解ができるかなあ、と。)

またまた長い書込みになって申し訳ありません。素人のたわ言と読み流して下さいませ。
長文失礼いたしました。
Posted by ゲスト at 2004年10月13日 23:40
どうもこんにちは、通りすがりのものですが。
これ、フィクションって逃げ道を用意しておきながら
実際に存在している写真を日本軍のものに書き換えているのがどうも引っかかります。
(実物は写真の端に中国人男性がうつっておりますが、作中では消されてます)
フィクションでも史実扱うなら
便衣兵の存在や宣戦布告の時の爆撃地域限定も加味してればよかったのに。
偏ったこと書くから返って反動で反中みたいな人がでるんじゃないかなーと。
Posted by ゲスト at 2004年10月14日 17:13
>tacaQさん

はてなと北国では、うまくトラックバックが通らないのかもしれませんね。たぶん、別のBLOGでもこんな相性問題があるんでしょう。リンク自体は大丈夫そうなので、通らない場合はその旨をコメント欄で伝える事にします。
休載の件はZAKZAKの記事で知りました。該当の話を描くにあたり、ある程度の反論が寄せられることは覚悟しての上だろうと考えていたので、この早い対応に意外なものを感じています。かつて、「ゴー宣」が従軍慰安婦や南京事件を題材にした頃の、市民団体やマスコミの連載中止要求や批判は凄かった。しかし、小林よしのりは「数の圧力」に屈することなく持論を作品として主張しきった。異論は多かったが、彼の毅然とした態度はある程度認められ、タブーとされていた空気に風穴を開ける貢献も果たした。
「国が燃える」という作品も、連載が続けばそういう事が出来たのかもしれない。期間を置いて再開したとしても、以前ほどの勢いはもう見られないでしょう。残念なことだと思います。

作者はどのような展開にするつもりだったのだろうか。「国は加害者だったが、個人レベルでは真の友好のため努力した人も居た」とか「加害者なのだから報復を受けるのは当然だ」という解釈か……? ありきたりに「東京裁判を経て日本は民主国家になりました」で終わるのか。
連載が進んでいれば、満州国崩壊も語られたはず。その時、在外邦人達の受けた苦難をどう表現するのかも興味がありました。

「批判する意見に納得。しかし、作品の自由も理解している。圧力を受けた作品の展開が、読者としては楽しみ」。こんな考え方では、両陣営からすれば「敵」にしか見えないかもしれません(笑)。

>ゲストさん(上の方)

>都合の悪いことは一文で済まして、後は全部言いたいことのほうに引っ張っていってますね。

都合が悪いとはどこの事ですか? 説明はさせていただいたつもりですが不充分でしたか? 僕はこういう事件の際に必要なものは事実確認と検証であって、同じ意見の方と共感を交わし合う事ではないと考えています。
そういう会話は趣味の話題でするべきもので、こういう時には向かないものです。
こちらの見解に不満がありましたら、もう少し具体的にお願いします。

>ゲストさん(下の方)

文章が長くなってしまうのは、それだけ蛇足が多いんだろうと思います。もっと文章の勉強をしないと駄目ですね。

>今回のお話を拝見しても、やはり「欠点をさらけだす教育」が「自分
>を善人だとアピールすること」であるという説明が探し出せなかったので…。

これも説明不足だったようです。教科書批判の意見には「子供にはこんな美化した教科書は見せられない」というものがある。しかし、そんな事を言う人だって自分の子供を育てる際に、わざわざ自分の人格上の欠点をアピールしたり、過去の汚点を話したりはしない。話すにしても、それを理解できるだけの年齢と信頼関係が備わってからのはず。
だから、そんな意見を出す人は自分で検証していない事が多い。自分で調べた結果に自信を持っていない限り、何かを「悪」と主張するのは大変リスクの要る行為です。少なくとも僕はそのように感じていますね。
ところが、リンク先のコメント欄などを読む限りでは「あったものはあった」で意見が完結してしまっている。
この状態でも参加者が自信を維持していられるのは、論理的な裏付けではなく「安心感」ではないでしょうか。この立場に属せば自分は絶対に非難されない、同じ意見を持った人達が数多くいるから大丈夫。そんな思いが連携して集団を作っているのではないか……? そんな風に考えています。
被害者救済・弱者擁護というお題目を唱えれば、それに正面切って批判する人間は数少ない。この現象を僕は「人間の盾」と呼んでいます。「盾」の効力に安心した人々が先鋭化していくと、被害者を捜すようになる。
インドネシアで市民団体が行った「慰安婦募集広告」や、韓国の反日団体が元慰安婦を無理に運動の旗印にしたケースも同様のものと言えます。

「弱者擁護」を目的としながらも、いつしか本当の「弱者」は運動に振り回されるようになってしまう訳ですね(苦笑)。似たようなケースは「薬害エイズ」の市民運動でもありました。

人間は誰だって弱いものです。いつだって自信満々とはいかないし迷うことだって稀ではない。だから、自分を護るための「お墨付き」のようなものが欲しくなる心理は解らないでもない。
ですが、「人間の盾」のような行為は最終的に誰も幸福にしないと思うのです。
そんなところが、左翼リベラル方面の方々と意見の合わない理由なのでしょう。

僕の場合、関連の知識はネットではなく書籍に頼ってきました。「のらねこの本棚」というコーナーなどで、参考になりそうな本は順次紹介していくつもりです。
長文の割に御納得いただけない内容かもしれませんが、参考になれば幸いです。

>Heaseさん

こんにちは。確かに今回の批判の焦点は「明らかにニセ写真と判明している史料などを意図的に利用している」です。この場合、作者は見解の分かれる問題と承知した上で、主人公の怒りに説得力を持たせる上で描写したのかが問題になる。これなら漫画家の手法としては一応理解できる。
ただし、現在までの展開を見る限りでは単に遮二無二「南京大虐殺」を描きたかっただけなのかな? とも思います。「あったものはあった」で思考停止してしまったのかもしれない。
予備知識が充分にあったのなら、蒋介石や唐生智が指揮権を放棄して敵前逃亡したこと、恐慌状態に陥った国民党兵士によって城内は暴行略奪が相次いでいた事も併記し、「この時の治安回復に要された戦闘が、終戦後『南京事件』と呼ばれるようになった」……というような注釈を付ける手もあったと思います。

村上もとかの「−龍−(RON)」などと比較した場合、大雑把過ぎたのでしょう。
本宮ひろ志に期待しすぎていたのかなぁ……。
Posted by 野良猫 at 2004年10月15日 01:04
抗議文本文において「フィクションと記載された『漫画』であっても許されない。」という一文が見受けられますが、これは「自分達の政治的主張に気に入らないものを消し去ろうという行為」とどう違うのでしょうか?
「許されない」以上彼らが実質上求めるのはこの部分の撤回であり、本宮氏の構想にこの部分が必要であるなら(そして週刊連載に不必要な描写など入れる余地は普通ありません)ここを削除するということはそれ以降の描写も不可能になるということであり、連載の中止を求めるのに等しい。
また、あなたのいう市民団体の主張が政治的であるから不可なのであれば、(確かに文面のレベルだけ見ればさすが政治家さんは上手ですが)同じ主張をしている議員連が政治的でないというのも不可解です。まして議員として署名するなんて、政治的以外の何物でもないと考えますが如何(せめて議員だって議員としてでなくあくまで市民団体の一員として活動すれば良かったのに)。
Posted by ESD at 2004年10月16日 03:48
>抗議文本文において「フィクションと記載された『漫画』であっても許されない。」という一文が
>見受けられますが

「ゴー宣」の場合は連載中止を求めるという文面でしたが、こちらの場合は直接連載の中止や表現内容の撤回を求めたものではありません。だとすれば、「差別論」の時のように抗議する団体の文面と二分割する方法、直接手を入れずに、単行本掲載時に該当する話の直後に作者と編集部、抗議団体の主張を載せるというやり方もあった。もし主張に自信があるならば、条件交渉に進むべきでした。
小学館や幻冬舎に出来たことが、なぜ集英社では出来ないのか不思議に思います。もしかすると、「マーダーライセンス牙」や「ケンイチ(題名失念)」の例もある事ですし、外部とのトラブルを嫌う体質なのかもしれません。これまでの展開を見ていると、作者と出版社の側に覚悟や準備が欠けていたようにも思います。

 現時点では、休載は残念なことではありますが、「南京事件」を語る上でのタブーが無くなってきたことは喜ばしいという考えです。6〜7年前くらいまでは、草の根ネット上ですら「戦争責任」について語れる雰囲気ではありませんでした。僕自身も朝日文庫で本多勝一の本を揃えて持っていました。
 あの当時に比べれば、保守とリベラル(自称)が意見を対等にぶつけられるだけ、健全な空気になりました。そして、個人レベルでも巨大なメディアに封殺されずに主張できる場もある。有り難いことだと思います。

 ……さて、それでは地方議員のとった行動が正当なものであっただろうか。これについては、差し引いてみても「おあいこ」でしょう。自主規制問題の時の解放同盟の圧力は今とは比較にならなかったし、社民党の辻元議員(もと国会議員)はSAPIOに直接抗議文を送っている。教科書採択の際には過激派によるビル放火未遂、脅迫電話、市民団体の教員委員への狙い撃ちと連日のデモ行進なども見られた。こうしてみると、「運動」というもの自体に強制的な圧力というものがあると思えてならない。
 大事なのはそれらの動きに参加した際、安易に同調することではなく、自分なりにも検証を重ねて「個」を保ち、所属団体が誤った行為をすれば指摘出来る勇気ではないかと考えています。

 clawさんの所でも同じ事を訊ねたのですが、あんまり参加者の方に答えていただけませんでした(苦笑)。今回の事件に憤慨し、「つくる会」の教科書に反対してきた人達の側から「そんな行為は良くない。ルールを守って主張すべきだ」という意見を聞いたことがありません。逆に「採択は阻止できたのだからよかったではないか」とも言わない。その辺りについて考えたくないのか、そこで自分なりの見解を述べて疎外される事を恐れているのかもしれません。これを反面教師として、保守の方には忌憚なく意見を言っていただきたいと思います。
 
 kojidoiさんの記事で貼られたトラックバックを一巡り。特別に意見を書くことなくトラックバック送信している場合、その意見に同調しているとみなしていいんだろうか……? Doxさん辺りは危惧した通りに「自主規制」と「南京事件」をごっちゃにしている。
 中国大使館に「御注進」するくらいなら、集英社に連載継続希望の署名を送る方が先。外国の権威に頼ろうというのでは、彼らからも「漢肝」としか見られないと思うのだが……。米国依存の次が中国依存では、お話になりませんからね。
Posted by 野良猫 at 2004年10月17日 03:58
タイトルは本文と一切関係ありません。

私はこの問題にはあんまり熱心に情報を集めているわけではないのでよく分かりませんが、上のコメントに書いたように「直接には書いていない」というのは何らエクスキューズにならないと思われます。
あなたはどうも企業という物を誤解しているように思えるのです。「国が燃える」は、集英社にとってはあくまで1商品です。掲載継続に掛けるコストに見合うだけの利益が得られないならば切るのも選択の内です。もちろん出版業なんだからもうちょっとそこはがんばって欲しかったとも思いますが、「覚悟や準備」だけで語るのは単純に過ぎるでしょう。SAPIOとヤンジャンではパイの大きさも違いますしね。

そして何より疑問なのが、今回の議員連の抗議は「タブーを無くす」どころか、「南京虐殺は無かった」と主張する事へのタブーにもう一つ「南京虐殺はあった」と主張することをもタブーにしようとしているということについてあなたが歓迎していることです。
Posted by ESD at 2004年10月17日 18:13
 まあ、世の中主義主張だけでは食べていけませんから、明らかに分の悪い勝負からは退くといった事が悪いとは思いません。ですが、主張することで飯を食う人達が衝突を避けてばかりというのも、少々おかしい気もします。抗議運動が発するプレッシャーはどうしても強く感じるものですが、そこを乗り越えない限り得られない何かもあるのではないでしょうか。部数が大きい雑誌なら、社会に対する責任もある。尚のこと読者が納得するような対応をするべきだったと思います。

 これは蛇足ですが、部数の多寡と抗議行為の正当性はあまり関係ありません。

「南京事件はあった」と考える方にとっては後退かもしれませんが、検証中で留保している方や僕のようにかなり疑わしいと考える者にとっては、「右翼・非道徳的(今もbarbaroidさんは好んで使う表現ですが)」とレッテル貼られて終わりとならなくなった分、有り難い事だと考えられるのです。
 ESDさんは「あったに決まっているのに無かったことにしようとしている。けしからん」とお考えかもしれませんが、こちらからは「どうして『あった』と考えるようになったの?」と問いかけたい。

 僕はネット上の情報に頼らず、書籍を取り寄せて自分なりに検証してきました。その結果、中国共産党の主張する「南京大虐殺」は無く、日本軍が南京平定時の敗残兵掃討中に民間人を誤射した可能性として「南京事件」はあり得るという考えに至りました。現在の米軍やEUの抗戦規定、戦時国際法に照らし合わせた場合、さほど大きな罪には問われないでしょう。指揮権を放り出した蒋介石や、その後命令を無視して一人で逃亡した軍司令官の唐生智などの責任も追及されるはずです。
 前の方のメモにも書いた、マッカーサーの「マニラ無差別砲爆撃」なども同様でしょう。
 では、なぜ当時彼らの責任が問われなかったかと言うと、それは戦勝国だったからに過ぎない。連合国としては、自らの正当性を主張するために日本が「悪」で無くてはならなかった。その為の題材が政治的に求められた結果「南京事件」という虚像が浮かび上がった……。

 僕が以前から「死ぬのは」さんのような所を拝見していて不思議だったのは、大東亜戦争は日本が悪、イラク戦争は米国が悪と訴えているけど、戦争当事国の双方を公平な視点で見る意見がほとんどない事。ある時は米国、ある時は中国によりかかって糾弾する。これでは「ポチ保守」とどれだけ違うのでしょうか。

 こういう話題についての議論は歓迎しますが、どこかのサイトから無断転載で延々とコピペした内容を貼り付けるのではなく、各々が自分で調べた知識でお話出来る環境を望みます。kojidoiさんのトラックバックを辿ると、そういう書き込みをよく見かけるんですよね……(汗)。
Posted by 野良猫 at 2004年10月17日 19:47
今回の事件の「物理的事実」としては、1.集英社に政治的な団体からの抗議があって「国が燃える」の連載が続けられない状況になった。また今後もこの問題に触れることがやりにくい状況を作り出した。2.「ゴーマニズム宣言」に対する市民団体の抗議によって「ゴーマニズム宣言」の発表を続ける事になんら制約はかからなかった。

以上から、より言論弾圧的・ファシズム的であったのは前者だと言えるのに、それに対してあなたは「『南京事件はあった』と考える方にとっては後退かもしれませんが、検証中で留保している方や僕のようにかなり疑わしいと考える者にとっては(中略)有り難い事だと考えられるのです。」と、物理的事実よりもイデオロギーの判断を重視し、このエントリの冒頭部分のような主張を行っています。

それとも、この「物理的事実」という言葉を私は何か誤解していますでしょうか。
Posted by ESD at 2004年10月18日 13:59
「物理的事実」はひとつですが、「評価」は人によって分かれるものです。過去に「ゴー宣」が受けてきた圧力と比較して、「国が燃える」という作品がそれ以上の危機に瀕したとは考えにくい。前にも述べたように、一定の反論が寄せられることは予測できたはず。ペンという武器を持った人間の事を、無力な「被害者」のように見るのは少し違うように思います。
こういう作品を描きたいという信念よりも、「こういう内容を描いておけば良心的だろう」「あったものはあった。反論なんて大して来ない」というような、ある種の「甘え」があったのかもしれません。

シベリア抑留を題材に描く際に映画や写真を史料にするのと、見解が未だに分かれる「南京」という題材でニセ写真を意図的に書き換えて利用するのは別物です。ファンタジーならそれでも構わないが、「所詮フィクションですから」と言い訳にするくらいなら、最初から史実を舞台にするべきではないと思いますね。それでは仮想戦記ジャンルと変わらなくなってしまう。
だったら、「俺は南京大虐殺はあったと確信した上で、主人公たちの演出に必要不可欠だったから描いた。だから右翼連中の抗議などに屈せず、最後まで描きあげる!」と言ってくれた方が、まだマシだったでしょう。

これでも、かなり作者と作品に対して好意的に見ようとしているつもりなんですが、南京大虐殺を認めた上で「国が燃える」を応援しないとご納得いただけませんか?
Posted by ゲスト at 2004年10月18日 21:22
あなたの、「自分は公平ですよ」と言いながらその実偏っているという点を批判しているだけです。
私は一度だって「南京虐殺はあったんだ!」なんて書いてないでしょう?あなた流に言えばその件に関しては「保留」ですよ、私は。ただ、議員まで動いた圧力と市民団体の圧力とに差を感じないとか、前者が表現を弾圧することに成功したにもかかわらずむしろファシズムは後者だと言ったりとか、あなたの「評価」はご自分が思っておられるほど公正ではないのではないかと思われるのです。別に不公正を売りにしておられるならそれでもいいでしょうが、他人にまで公正さを求める方がそれでいいのかと。
また、あなたの言う「評価」が「物理的事実」と違うのであれば、被害者が数百人でも「これは南京事件ではない、南京虐殺だ」という主張も通ることになり、とてもではないが「物理的事実」の解明が論争を整理する決め手とはならないでしょう。

雑誌で見たとき(ちなみに目当ては「タフ」でした。最近イマイチだけど)に、何らかの市民団体とか右翼団体が抗議するかもとは思いましたが、まさか政治家の団体が出てくるなんて思いませんでしたよ。それは見込みが甘いとかではなく、「普通はあり得ない」と考えました。

あと、集英社が引いたのは、正当性の主張で「分が悪いから」というより(ひょっとするとそれもあるのかも知れませんが)、そこまでコストを投入して主張が通ったとしても誰も得をしないから、と考えるのが経済学の基本です。もし連載を続けることに成功したからといって読者が増えるよりも減る方が多いでしょうし、他の雑誌にまで不買運動が及んだりした日にはたまらないですよ(パイの大きさは主張の正しさと関係ありませんが、企業の判断には大いに関係があります)。正しさのために損失を出して株主を裏切ることはできないものです。もちろん、それでもやっぱり頑張って欲しいところだったとは思いますけどね。これだけ大きくケチのつけられたタイトルに、今更連載枠を用意してくれる雑誌もないでしょうし。
Posted by ESD at 2004年10月19日 00:30
はじめまして。
事件そのものへの認識の問題なのですが、
「中国共産党の言う「南京大虐殺」とは無く」
「日本軍が南京平定時の敗残兵掃討中に民間人を誤射した可能性として「南京事件」はありうるという考え」においては、捕虜の不当殺害や、強姦事件、さらには強姦後の殺害事件(これらはいずれも南京軍事法廷→中国共産党の見解に含まれていると思いますが)は「なかった」という認識なのでしょうか。
Posted by ゲスト at 2004年10月19日 03:08
それから、
>「南京」という題材でニセ写真を意図的に書き換えて利用するのは別物です
とありますが、これはどの写真のことでしょうか。
Posted by ゲスト at 2004年10月19日 03:13
>ESDさん

 自分が公平な人間だと名乗った事はないつもりです(苦笑)。特定の立場に肩入れしたり、期待や願望でモノを見ないようにしているつもりですが、それでも間違ったりする事はあるだろうし、偏向していると言われる場合だってあるでしょう。それは甘んじて受けます。

>また、あなたの言う「評価」が「物理的事実」と違うのであれば、被害者が数百人でも「これは
>南京事件ではない、南京虐殺だ」という主張も通ることになり、とてもではないが「物理的事実」
>の解明が論争を整理する決め手とはならないでしょう。

 その通りです。一つの「物理的事実」に対し複数の「評価」があるのが世の常。国家の歴史観がそれぞれ異なるのも、そんな理由にあります。ただし、南京事件の場合は物理的事実の検証の段階です。同時に言葉の定義を確認する必要もある。例えば「虐殺」という言葉の定義。

中国共産党「軍命令及び暴徒と化した日本軍兵士による、35万人もの大量の民間人殺害」
リベラル日本人「数の問題ではない。30万人でなく数百人、仮に一人でも誤射・殺害があれば虐殺」
野良猫「虐殺とは、意図的に無抵抗の民間人などを殺害するもの。戦闘時の死者や戦時国際法に違反した逃亡兵の処断などは含まない。偶発的な事故もこうは呼ばない。個々について検証の必要はあるが、『南京事件』と呼ぶべきで南京大虐殺という呼称はそぐわない」

 まずは、この辺りから確認していかなければ議論が進まない。また、こういう時に「人が死んだことに変わりがないのに否定しようと言うのか!」という類の反論に意味はありません。
 こういう一つずつの積み重ねがなければ、いつまでたっても議論は終わりません。今はそういうお話の出来る場所が少なくなった事を残念に思います。

 さて、今回の一件を単発で見れば「政治家が動いて大変!」となるかもしれないが、辻元議員(元議員)がSAPIOに抗議した件のように、そんなに特殊な事例でもありません。不買運動なども、それに呼応してくれる一般層が居なければ効果を発揮しないし、そこまでする意図があったかどうかも解らない。
 僕は反論する意義はあったと認めるものの、休載になった事で彼らを「被害者」と思う層を作ってしまったのは失敗だったという考えです。語弊のある言い方ですが「被害者」になりたがり、名乗りたがり、擁護したがるという人達がいる。前述の「人間の盾」です。
 そういう人達にあまり議論や検証は通じないし、彼らの動きによって問題がややこしくなり、連載の再開が遠のくような事になっては本末転倒。

 集英社があっさり退いた事はトラブル予防の為だったかもしれないが、逆に面倒になる可能性も否定できないと考えています。

>青狐さん

 はじめまして。前の方で少し書きましたが、「南京事件」は発覚して裁かれたというよりは、連合国側の「あるべきもの。無くてはならないもの」という政治的な事情が影響しています。東京裁判で「マニラ無差別砲爆撃」や原爆の責任追及が却下されたように、連合国側には負い目がいくつもあった。膨大な戦費と戦死者を出した戦勝国にとっては、この戦争は正義の戦争だったという大義名分が求められていた。
 その題材として取り上げられたのが「南京事件」だったのです。
 東京裁判でも「避難が進み20万人しか居ない人口で30万人虐殺が可能か」という疑問が提示され、強姦などの証言は39件にのぼったが、伝聞情報ばかりで直接見た者は居ない。わずかに一件の目撃情報は、占領間もない南京で、日本兵の誰何を振り切って逃走した中国人が射殺されたというもの。これも「虐殺」とは言い難い。
 例の「百人斬り」の場合も、砲兵の隊長や大隊副官が単身陣地に斬り込んだという新聞記事が証拠物件として死刑になった。捕虜を縛り付けてなで斬りにしたというのは、ごく最近になって左翼リベラル層から出た反論に過ぎません。

 そういう当時の状況を、差し引いて考えるべきと思います。

 手元にYJが無い(立ち読みだったため)、具体的な指摘は出来ないのですが、揚子江に流れ着いた死体写真は「戦争論2」、日本兵が女性の下着を脱がせている写真などは「プロバガンダ戦『南京事件』(松尾一郎)」などで検証されています。連載時には他にも多くの写真を元にした描写がありましたが、有名なものばかりでニセ写真と判明しているものばかりです。ネット書店で取り寄せも出来ますので、興味があるならば読んでみてください。
 東京裁判については「ディベートから見た東京裁判(北岡俊明)」が詳しいです。

 検証サイトは左右含めてたくさんありますが、まずは書籍を自分で確認する事をお薦めします。
Posted by 野良猫 at 2004年10月19日 09:41
いくつも論点があるのですが、今日はひとつだけ。
>。 例の「百人斬り」の場合も、砲兵の隊長や大隊副官が単身陣地に斬り込んだという新聞記事が証拠物件として死刑になった。捕虜を縛り付けてなで斬りにしたというのは、ごく最近になって左翼リベラル層から出た反論に過ぎません。

どのような「書籍を取り寄せて自分なりに検証して」これらたのかは存じませんが、その2名の罪名が「捕虜・非戦闘員の屠殺(殺害)」であることは、中公新書「南京事件」ですら掲載されているような事実です。ごく最近どころか、1948年からずっと捕虜・非戦闘員殺害行為の有無が論点であり続けています。
(補;ちなみに検察側資料・公判記録が未公表ですが、この罪名の証拠として「新聞記事」以外の証拠・自白が存在した可能性も否定できません。)
Posted by bluefox0014 at 2004年10月20日 04:41
若干の捕捉です。

>その2名の罪名が「捕虜・非戦闘員の屠殺(殺害)」であることは

「死刑判決における罪名」です。

>1948年からずっと

死刑判決の出た1948年の時点から、という意味です。

>証拠として「新聞記事」以外の証拠・自白が存在した可能性も否定できません

「法務省には起訴状に対する申弁書、最終弁論、覆審請求書、上訴申弁書等も収蔵されているのですが、法務省はこれらの資料の公開を拒否しています。」(洞富雄『南京大虐殺 -- まぼろし化工作批判』)ため、不明の部分があるわけです。

いろいろ表現が拙いところがあって、申し訳ありません。
Posted by bluefox0014 at 2004年10月20日 05:42
連載は再開されたようですが、第四部は思い切り省略して終戦間際からスタートしたようですね。
ほぼ予想していた範囲内のストーリー展開。あとは主人公のシベリア抑留と東京裁判に関する描写がどうなるのか。
単に「中国を侵略した日本は世界から報いを受けました。みんな反省して刑場の露と消えました。そして平和国家日本があるのです」で終わりなのか、そこに「だが、現場に居た人々は理想を信じていたのだ」と付け加えるのか……?

一読者(立ち読みですが)として、結末まで見守るつもりです。
Posted by 野良猫 at 2004年12月26日 09:24
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メモ20「『国は燃える』とか」
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