2004年10月01日
メモ18「叫ぶ前にまず検証」
「国が燃える」というヤングジャンプ連載の漫画が物議を醸しているらしい。たまに「エルフェンリート」目当てで立ち読みした際、日本人の子供が中国人をいじめる描写があって気になっていたのだが、今回は格別だった。南京を攻略した第十軍が延々と中国人を殺戮し続ける描写は、本多勝一の「南京への道」で語られている通りの凄惨なものだった。抗議サイトの一部では内容を公開している所もあるので、立ち読みしそこねた方は捜してみるといいでしょう。
ストーリーの評価はさておき、南京事件そのものの描写としてはあまり精密なものではなかった。元にした証拠写真と言われるものは、小林よしのりの「戦争論」などでニセ写真と判定されたものばかり。蒋介石と唐生智が最高責任者としての責任を放棄して逃げた為、国民党軍は無秩序状態だった事。便衣兵は市街地から略奪を繰り返すだけでなく、避難民にも危害を加えていた事。そういった南京攻略への経緯については、全く触れていない。
また、当時の南京には日本の知識人や外国人ジャーナリストも多数派遣されていたが、漫画で表現されているような延々とした捕虜殺害などは誰も見ていない。このように時間をかけて分かり易い虐殺などをしていては、発覚しないはずがないのだ。
おそらく、作者はそんな事情を百も承知のうえで、主人公達の怒りを表現するためにそのような描写を行ったのだろう。作品に感情移入をさせようという、漫画家としての技術としては間違ったものではない。キャラクターの心理描写を生かすために、非難を受けにくい日本軍を悪役にするのは昔からよく見られる手法です。
しかし、歴史の知識を持った一般層が増えている現在では、そうしたやり方に安易さを感じて不満に思われる事も避けられない。
「南京事件」は政治的にも微妙な問題ですから、もっと慎重に扱ってほしかった。しかし、作者はリスクを覚悟した上で自分の納得する表現を選んだのでしょう。批判する場合は、作者の歴史認識や作品内容ではなく客観性を求める方向にしないと、「ちびくろサンボ」の二の舞になりかねません。いわゆる「南京大虐殺派」の方々も、南京事件の実際と作品は別物である事を忘れないでいただきたい。
運動で謝罪させたり連載を中断させたりしては、過去の市民団体が犯した過ちの繰り返しになります。実際のところ、一番効果的なのはアンケートハガキで感想を送り続けること。かつて、漫画家の士郎正宗さんが「編集部や漫画家にとって最も効果的なのはアンケートハガキ」とコラムで触れていた。
不買運動などよりも、定期的に買ってアンケートを送り続ける方が近道でしょう。
今はどんな題材でも政治に利用される時代です。そして、真偽に関係なく声の大きい者の主張が通る事は、昔から変わらない。「情報戦」「宣伝戦」というものは、今も世界中で繰り広げられています。「良心的日本人」になりたがる前に、自分に届いた情報を一つずつ検証する作業――メディアリテラシーの姿勢が求められています。
情報は差し引いて考えることが大事なのです。
>Doxさん
一般の中国人・韓国人の方々は彼らの国の歴史観を信じています。そして、その善悪二元論を元にした評価の共有を求めてくる。しかし、日本側にも「評価」いわゆる「歴史観」は有ります。国や民族の数だけ正義は存在する。客観的に当時の状況を調べていけば、日本側にもそれなりの立場や主張がある事が解ってくる。
フィンランドとロシアに共有出来る歴史観など存在しないように、歴史観は国家レベルで維持するもの。対立する立場の国家と、無理に共感できる性質のものではない。
普通の国は、戦争をした間柄でも価値観の共有は求めない。中国と朝鮮の姿勢こそが「冊封体制」の名残から来る特殊なものだと彼らは気づいていない。……というより、政府高官のレベルはそれを承知した上で対日外交で有利に交渉するために利用している。
もう少し極端に書けば、彼らにとって実際の真偽や学術的議論などは意味がない。少しでも勝ち取れるものは手にしようという、日本人では考えられないしたたかさが彼らにはある。
個人的な友誼と政治の世界は別物だと考えるべき。そして、彼らのしたたかさこそが、国際政治の舞台では「世界標準」なのが残念ながら実情。
前にnanayaさんの所でも書きましたが、日本が生き残っていく為には「学術的」な分析をした上で「政治的」にも積極的に否定していく必要かある。少なくとも、彼らと同レベルの理論武装をしない限り、苦戦は免れないでしょう。無防備な善意だけでは世の中を渡っていけないのは、個人国家ともに同じです。
戦前に関する本はたくさん出ていますから、内容傾向で好き嫌いせずに何冊も読むことをお薦めします。
さて、会社・民族・国家のイメージというものは、所属する人々の不断の努力で培われていくもの。欠陥車を出した三菱自動車の評価は地に堕ちた。しかし、三菱だっていい社員は居る、悪く言うのは差別だ! という意見はあまり聞かない。
それは、誰もがイメージを守るのは連帯責任だと解っているからだ。直接関係ない社員も含めて、彼ら自身が失った信頼を取り戻す努力をしなければならない。
……ならば、外国人犯罪者が全国を荒らしている昨今、イメージを改善する努力をするべきなのはどちらの側だろうか? 批判に対して「差別」とレッテルを貼るような行為こそ、本当の差別ではないか。
こうした行為を僕は「人間の盾」と呼ぶことにしている。ノルマンディー上陸作戦で、米軍が独軍捕虜を戦車に縛りつけて進撃したのとイメージが重なって見えるからだ。「弱者」を肉の壁にして進撃する光景は、言論世界でもしばしば見かける光景のようだ。
それが本当に「弱者」かどうかは、検証しない限り解らないのだが……。
自衛隊員という職業は、予断や偏見を持っていては出来ない職業だとばかり思っていたが、そうでもないのかもしれない。
>↑こちらで、虐殺はなかったからあったという証拠を出せ出せと仰る優秀な日本人の方々のコメントが読めます。
裁判でも検察側には「立証責任」があります。物的証拠も無しに証言だけで有罪になる、なるべきというのなら、日本は冤罪大国になってしまうでしょうね(汗)。現在「南京事件」について議論している方は、それらを前提の知識とした上で意見交換しています。
当時の政治的事情、裁判の経過、状況証拠、物的証拠……、それらの調査をせずに決めつけるのでは、単なる感情論と言われても仕方有りませんよ。
トラックバック一覧:
http://sapolog.com/u/2148/%c0%af%bc%a3/0000129718.trackback
ストーリーの評価はさておき、南京事件そのものの描写としてはあまり精密なものではなかった。元にした証拠写真と言われるものは、小林よしのりの「戦争論」などでニセ写真と判定されたものばかり。蒋介石と唐生智が最高責任者としての責任を放棄して逃げた為、国民党軍は無秩序状態だった事。便衣兵は市街地から略奪を繰り返すだけでなく、避難民にも危害を加えていた事。そういった南京攻略への経緯については、全く触れていない。
また、当時の南京には日本の知識人や外国人ジャーナリストも多数派遣されていたが、漫画で表現されているような延々とした捕虜殺害などは誰も見ていない。このように時間をかけて分かり易い虐殺などをしていては、発覚しないはずがないのだ。
おそらく、作者はそんな事情を百も承知のうえで、主人公達の怒りを表現するためにそのような描写を行ったのだろう。作品に感情移入をさせようという、漫画家としての技術としては間違ったものではない。キャラクターの心理描写を生かすために、非難を受けにくい日本軍を悪役にするのは昔からよく見られる手法です。
しかし、歴史の知識を持った一般層が増えている現在では、そうしたやり方に安易さを感じて不満に思われる事も避けられない。
「南京事件」は政治的にも微妙な問題ですから、もっと慎重に扱ってほしかった。しかし、作者はリスクを覚悟した上で自分の納得する表現を選んだのでしょう。批判する場合は、作者の歴史認識や作品内容ではなく客観性を求める方向にしないと、「ちびくろサンボ」の二の舞になりかねません。いわゆる「南京大虐殺派」の方々も、南京事件の実際と作品は別物である事を忘れないでいただきたい。
運動で謝罪させたり連載を中断させたりしては、過去の市民団体が犯した過ちの繰り返しになります。実際のところ、一番効果的なのはアンケートハガキで感想を送り続けること。かつて、漫画家の士郎正宗さんが「編集部や漫画家にとって最も効果的なのはアンケートハガキ」とコラムで触れていた。
不買運動などよりも、定期的に買ってアンケートを送り続ける方が近道でしょう。
今はどんな題材でも政治に利用される時代です。そして、真偽に関係なく声の大きい者の主張が通る事は、昔から変わらない。「情報戦」「宣伝戦」というものは、今も世界中で繰り広げられています。「良心的日本人」になりたがる前に、自分に届いた情報を一つずつ検証する作業――メディアリテラシーの姿勢が求められています。
情報は差し引いて考えることが大事なのです。
>Doxさん
一般の中国人・韓国人の方々は彼らの国の歴史観を信じています。そして、その善悪二元論を元にした評価の共有を求めてくる。しかし、日本側にも「評価」いわゆる「歴史観」は有ります。国や民族の数だけ正義は存在する。客観的に当時の状況を調べていけば、日本側にもそれなりの立場や主張がある事が解ってくる。
フィンランドとロシアに共有出来る歴史観など存在しないように、歴史観は国家レベルで維持するもの。対立する立場の国家と、無理に共感できる性質のものではない。
普通の国は、戦争をした間柄でも価値観の共有は求めない。中国と朝鮮の姿勢こそが「冊封体制」の名残から来る特殊なものだと彼らは気づいていない。……というより、政府高官のレベルはそれを承知した上で対日外交で有利に交渉するために利用している。
もう少し極端に書けば、彼らにとって実際の真偽や学術的議論などは意味がない。少しでも勝ち取れるものは手にしようという、日本人では考えられないしたたかさが彼らにはある。
個人的な友誼と政治の世界は別物だと考えるべき。そして、彼らのしたたかさこそが、国際政治の舞台では「世界標準」なのが残念ながら実情。
前にnanayaさんの所でも書きましたが、日本が生き残っていく為には「学術的」な分析をした上で「政治的」にも積極的に否定していく必要かある。少なくとも、彼らと同レベルの理論武装をしない限り、苦戦は免れないでしょう。無防備な善意だけでは世の中を渡っていけないのは、個人国家ともに同じです。
戦前に関する本はたくさん出ていますから、内容傾向で好き嫌いせずに何冊も読むことをお薦めします。
さて、会社・民族・国家のイメージというものは、所属する人々の不断の努力で培われていくもの。欠陥車を出した三菱自動車の評価は地に堕ちた。しかし、三菱だっていい社員は居る、悪く言うのは差別だ! という意見はあまり聞かない。
それは、誰もがイメージを守るのは連帯責任だと解っているからだ。直接関係ない社員も含めて、彼ら自身が失った信頼を取り戻す努力をしなければならない。
……ならば、外国人犯罪者が全国を荒らしている昨今、イメージを改善する努力をするべきなのはどちらの側だろうか? 批判に対して「差別」とレッテルを貼るような行為こそ、本当の差別ではないか。
こうした行為を僕は「人間の盾」と呼ぶことにしている。ノルマンディー上陸作戦で、米軍が独軍捕虜を戦車に縛りつけて進撃したのとイメージが重なって見えるからだ。「弱者」を肉の壁にして進撃する光景は、言論世界でもしばしば見かける光景のようだ。
それが本当に「弱者」かどうかは、検証しない限り解らないのだが……。
自衛隊員という職業は、予断や偏見を持っていては出来ない職業だとばかり思っていたが、そうでもないのかもしれない。
>↑こちらで、虐殺はなかったからあったという証拠を出せ出せと仰る優秀な日本人の方々のコメントが読めます。
裁判でも検察側には「立証責任」があります。物的証拠も無しに証言だけで有罪になる、なるべきというのなら、日本は冤罪大国になってしまうでしょうね(汗)。現在「南京事件」について議論している方は、それらを前提の知識とした上で意見交換しています。
当時の政治的事情、裁判の経過、状況証拠、物的証拠……、それらの調査をせずに決めつけるのでは、単なる感情論と言われても仕方有りませんよ。
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Posted by noraneko at 21:07│Comments(7)
│政治/戦争責任
この記事へのコメント
「国が燃える」での扱い程度で配慮が欲しいというのであれば、「新ゴーマニズム宣言」はもっと慎重にすべきなのではないでしょうか?
あと、被告側の立証責任というのは金科玉条ではなくなっているんですよ。被告側が資金や技術などの問題で立証するのが困難であるなどいくつかの条件の下で、因果関係が推測できる程度の立証があれば反証側が完全に否定できない限り因果関係が認められる、とね。この話にそれが適用できるかどうかは知りませんが、知っておいて無駄ではないと思います。どうも証言以外のすべての証拠が信用できない、というわけでも無いみたいですから。
あと、被告側の立証責任というのは金科玉条ではなくなっているんですよ。被告側が資金や技術などの問題で立証するのが困難であるなどいくつかの条件の下で、因果関係が推測できる程度の立証があれば反証側が完全に否定できない限り因果関係が認められる、とね。この話にそれが適用できるかどうかは知りませんが、知っておいて無駄ではないと思います。どうも証言以外のすべての証拠が信用できない、というわけでも無いみたいですから。
Posted by ESD at 2004年10月02日 22:17
「ゴーマニズム宣言」の場合、「旧ゴー宣」の頃から間違っていた時には作者が謝罪コメントを書いています。また、後からそういう内容を描ける連載方式でもある。
しかし、「国は燃える」のようなストーリー物では、作者が後から修正しようとしても簡単にはいきません。描写の矛盾を訂正するのに、延々を手をいれる羽目になりかねない。また、ストーリーの流れが死んでしまう事にもなりかねない。作品そのものと政治的な部分の両面で心配になるのです。
被害者救済を優先させるため、そういう「おまけ」が必要な時があるのは解ります。ただし、それはあくまで「おまけ」であって、自称「被害者」に関して検証をする事は大前提ですね。
声の大きい「被害者」に気を取られてしまい本当の「弱者」に気づかない場合だってあるかもしれない。
薬害エイズの運動が変質していった事や、愛読書だった本多勝一の著書が次々と論破されていった過程を思い出すと、「政治」がからむ問題はどうもおかしな事になりやすい。
純粋な共感な正義感は、頭の良い人間に利用されやすいようです。
そういうやり方を否定はしませんが、きちんとした検証こそが互いに禍根を残さない方法だと考えます。
しかし、「国は燃える」のようなストーリー物では、作者が後から修正しようとしても簡単にはいきません。描写の矛盾を訂正するのに、延々を手をいれる羽目になりかねない。また、ストーリーの流れが死んでしまう事にもなりかねない。作品そのものと政治的な部分の両面で心配になるのです。
被害者救済を優先させるため、そういう「おまけ」が必要な時があるのは解ります。ただし、それはあくまで「おまけ」であって、自称「被害者」に関して検証をする事は大前提ですね。
声の大きい「被害者」に気を取られてしまい本当の「弱者」に気づかない場合だってあるかもしれない。
薬害エイズの運動が変質していった事や、愛読書だった本多勝一の著書が次々と論破されていった過程を思い出すと、「政治」がからむ問題はどうもおかしな事になりやすい。
純粋な共感な正義感は、頭の良い人間に利用されやすいようです。
そういうやり方を否定はしませんが、きちんとした検証こそが互いに禍根を残さない方法だと考えます。
Posted by 野良猫 at 2004年10月03日 21:59
国や民族の数だけ「正義」や「世界観」があるというが、それならこの漫画が支持しているところの世界観も認めなければ不公平です。
漫画はたとえ歴史ものといってもフィクションの世界なのだから、あなたがことあるごとに振りかざす「物理的事実」とは無関係なもののはずですね。
それとも、日本人1億二千万の世界観はひとつに統一されていなければならないというのがあなたの考え方ですか? であればそれは全体主義というものです。到底看過し得ない考え方ですね。
漫画はたとえ歴史ものといってもフィクションの世界なのだから、あなたがことあるごとに振りかざす「物理的事実」とは無関係なもののはずですね。
それとも、日本人1億二千万の世界観はひとつに統一されていなければならないというのがあなたの考え方ですか? であればそれは全体主義というものです。到底看過し得ない考え方ですね。
Posted by kojidoi at 2004年10月04日 01:30
>小林よしのりの「戦争論」などでニセ写真と判定されたものばかり。
>延々とした捕虜殺害などは誰も見ていない。このように時間をかけて分かり易い虐殺などをしていては、発覚しないはずがないのだ。
このへんの文章が全てを物語ってるんじゃないですか?随分とそっち方面には甘いお考えで。
野良猫氏は「日本人なんだから、中国のプロパガンダに負けずに南京大虐殺を否定しよう」とハッキリおっしゃったらいいんじゃないですか?そのほうが分かりやすいし。野良猫さんは文章が丁寧な分、中立的に物事を見据えてると勘違いされがちだと思うので。それは貴方にとっても重荷でしょう。
>延々とした捕虜殺害などは誰も見ていない。このように時間をかけて分かり易い虐殺などをしていては、発覚しないはずがないのだ。
このへんの文章が全てを物語ってるんじゃないですか?随分とそっち方面には甘いお考えで。
野良猫氏は「日本人なんだから、中国のプロパガンダに負けずに南京大虐殺を否定しよう」とハッキリおっしゃったらいいんじゃないですか?そのほうが分かりやすいし。野良猫さんは文章が丁寧な分、中立的に物事を見据えてると勘違いされがちだと思うので。それは貴方にとっても重荷でしょう。
Posted by ゲスト at 2004年10月04日 01:51
まとめレスです。
作品の演出方法としては理解するけれど、史実を舞台にする物語で見解の分かれる問題をあのように描くのが正しいのか? という疑問があります。かつて「花の慶次」の朝鮮半島編が沖縄編に差し替えられていたケースもありますし、集英社には朝鮮・中国に関する描写の偏向や自主規制があるのでは、とも思います。
そろそろ、単純に日本を「悪」と扱って「良心的」とする行為をやめようじゃないか。批判運動を行う人達は、そういう疑問を口にし難い現状への不満が、原動力になっているのでしょう。
現状は「東京裁判史観」の影響下から脱していく過程の一つだろうと解釈しています。
批判している人達は、一つの歴史観を強要している訳ではありません。安易に誰かを「悪」として、自らを「良心的日本人」とする行為自体に嫌気が差しているのです。週刊誌の漫画はそれ自体が強力なプロパガンダ効果もありますから、批判を浴びる結果にも繋がったのでしょう。
ただ、ネット上で批判を展開するよりも、アンケートで意見を伝えた方が効果は高い。「歯車党日記」という雑誌編集のサイトでも、そういう趣旨のコメントが残されています。
>このへんの文章が全てを物語ってるんじゃないですか?随分とそっち方面には甘いお考えで。
「そっち方面」とは、どんな内容なのですか? 南京関係の本なら、藤原彰や笠原十九司などもちゃんと読んでいますよ(立ち読み含む)。「のらねこの本棚」に手元にあるものは順次紹介していくつもりです。
たくさん読めばいい訳でもないが、それでも「国が燃える」の描写は荒っぽいものでした。死体を描写するだけで普通の人は驚いてしまいますから説得力が強い。「死ぬのは」さんが自らのサイトで写真を多用するのも、そういう効果を知っているからなのでしょうね。
「国が燃える」のような虐殺は無く、元になった資料も誤っているというのが、現時点での僕の考えです。便衣兵の掃討時に偶発的な誤射、個人レベルでの略奪などの可能性はありますが、中国側の主張する「南京大虐殺」は無い。ただし、これは僕なりに調べた結果のものであって、誰かに同意を求めるつもりはありません。
国籍に関係なく、全ての人はメディアリテラシーを忘れてはいけません。まず正確な物理的事実の把握する事こそが、行動の方針を決定する重要な鍵になります。
僕が中立的でないと思うかはあなたの自由です。別のコメントで書いたように、僕の書く内容は「海上のブイ」です。それをどう判断するかは、読み手の方々に委ねられています。
作品の演出方法としては理解するけれど、史実を舞台にする物語で見解の分かれる問題をあのように描くのが正しいのか? という疑問があります。かつて「花の慶次」の朝鮮半島編が沖縄編に差し替えられていたケースもありますし、集英社には朝鮮・中国に関する描写の偏向や自主規制があるのでは、とも思います。
そろそろ、単純に日本を「悪」と扱って「良心的」とする行為をやめようじゃないか。批判運動を行う人達は、そういう疑問を口にし難い現状への不満が、原動力になっているのでしょう。
現状は「東京裁判史観」の影響下から脱していく過程の一つだろうと解釈しています。
批判している人達は、一つの歴史観を強要している訳ではありません。安易に誰かを「悪」として、自らを「良心的日本人」とする行為自体に嫌気が差しているのです。週刊誌の漫画はそれ自体が強力なプロパガンダ効果もありますから、批判を浴びる結果にも繋がったのでしょう。
ただ、ネット上で批判を展開するよりも、アンケートで意見を伝えた方が効果は高い。「歯車党日記」という雑誌編集のサイトでも、そういう趣旨のコメントが残されています。
>このへんの文章が全てを物語ってるんじゃないですか?随分とそっち方面には甘いお考えで。
「そっち方面」とは、どんな内容なのですか? 南京関係の本なら、藤原彰や笠原十九司などもちゃんと読んでいますよ(立ち読み含む)。「のらねこの本棚」に手元にあるものは順次紹介していくつもりです。
たくさん読めばいい訳でもないが、それでも「国が燃える」の描写は荒っぽいものでした。死体を描写するだけで普通の人は驚いてしまいますから説得力が強い。「死ぬのは」さんが自らのサイトで写真を多用するのも、そういう効果を知っているからなのでしょうね。
「国が燃える」のような虐殺は無く、元になった資料も誤っているというのが、現時点での僕の考えです。便衣兵の掃討時に偶発的な誤射、個人レベルでの略奪などの可能性はありますが、中国側の主張する「南京大虐殺」は無い。ただし、これは僕なりに調べた結果のものであって、誰かに同意を求めるつもりはありません。
国籍に関係なく、全ての人はメディアリテラシーを忘れてはいけません。まず正確な物理的事実の把握する事こそが、行動の方針を決定する重要な鍵になります。
僕が中立的でないと思うかはあなたの自由です。別のコメントで書いたように、僕の書く内容は「海上のブイ」です。それをどう判断するかは、読み手の方々に委ねられています。
Posted by 野良猫 at 2004年10月04日 10:25
>南京を攻略した第十軍
南京に侵攻したのは「中支那方面軍」です。松井大将は同方面軍の総司令官です。同軍の主力は6師団から成る「上海派遣軍」で、「第十軍」からは3師団が同方面軍に組み込まれていますが、。なお、「国が燃える」にも、第十軍という記述はありません。
このあたりは基本的な事項なので、修正されることをおすすめします。
南京に侵攻したのは「中支那方面軍」です。松井大将は同方面軍の総司令官です。同軍の主力は6師団から成る「上海派遣軍」で、「第十軍」からは3師団が同方面軍に組み込まれていますが、。なお、「国が燃える」にも、第十軍という記述はありません。
このあたりは基本的な事項なので、修正されることをおすすめします。
Posted by ゲスト at 2004年10月19日 04:02
>また、当時の南京には日本の知識人や外国人ジャーナリストも多数派遣されていたが、漫画で表現されているような延々とした捕虜殺害などは誰も見ていない
「見ていない」と判断するのは早計でしょう。
例えば大宅壮一は「サンデー毎日臨時増刊1966年10月20日号」で「入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね」と述べています。具体的に言及されてはいませんが、大宅が大量の殺害現場を見た可能性はいまのところ否定できません。
それに、中国のいうところの「大量殺害」地点はすべて「城外」です。城壁から2キロ以上離れたものを含まれます。夜間、従軍記者を城外への外出を制限・禁止にすれば、少なくとも「見る」ことは不可能になります。
だから、記者が「見ていない」こと自体は、殺害の不在を証明する論拠にはほとんど「使えない」ように思います。
「見ていない」と判断するのは早計でしょう。
例えば大宅壮一は「サンデー毎日臨時増刊1966年10月20日号」で「入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね」と述べています。具体的に言及されてはいませんが、大宅が大量の殺害現場を見た可能性はいまのところ否定できません。
それに、中国のいうところの「大量殺害」地点はすべて「城外」です。城壁から2キロ以上離れたものを含まれます。夜間、従軍記者を城外への外出を制限・禁止にすれば、少なくとも「見る」ことは不可能になります。
だから、記者が「見ていない」こと自体は、殺害の不在を証明する論拠にはほとんど「使えない」ように思います。
Posted by ゲスト at 2004年10月19日 04:30
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