2004年09月02日
メモ11「強制性とナショナリズム」
メモ10で取り上げた、nanayaさんの記事の続き。
前のアーティクルで長々と書かせていただきましたが、具体的な反論は無いようですね。こちらの主張に誤りがあるとすれば、具体的に指摘していただけると助かります。それとも、歴史教科書の話題はおしまいということで「強制性」に話題がスライドしているのでしょうか……?
歴史には連続性というものがあります。過去の経緯を正確に把握してこそ、現在の状況や今後とるべき立場や方針を考えることが出来る。これは国際外交の舞台に限らず、身近な仕事の分野でも同じ事が言える。前任者の意向や過去の方針を知らないまま、引き継ぎ担当者がその場の思いつきで行動していては、まともに仕事が進むはずがない。
ここまでは、そう反対する人も居ないと思うんですが……どうでしょうか?
僕が覚えている限り、「赤旗」などでは「別の国旗国歌を作ろう。今のは法律で認められたものではないから従う必要はない」という主旨を述べていたはずです。それで法制化してみれば、今度は「強制性」を口にする。前々から「日の丸・君が代」に反対していた人ならば、こういう経緯はちゃんと覚えているはずなのに、なぜ矛盾する理由で反対するのか不思議に思います。
ここ数ヶ月で興味を持った人ならば仕方がないが、反対している教職員の方々やそれに賛成する人達がこれを知らないとは考えにくい。
従軍慰安婦・強制連行の問題が、国内ではいつしか「強制性」にスライドされていった時と同じ状況が起きている。彼らは誰かに自分の考えを主張しているというのに、論理的一貫性というものを大事にしていないが、それは無責任というものではないだろうか。
「とにかく嫌いだから嫌い!」という感情的かつ個人的な理由ならそれでも構わないが、そういう「私」の感情をもって「公」の教育に反映させるのは勘弁してもらえないだろうか。知的怠慢と曖昧な「善意」は必ずしもよい結果を招かないことを、私たちは生活の中で知っているはずですから……。
僕は過去の「法律で定められてないから」という主張と法制化の両方に対して、気が滅入るものがある。
「先生に会ったら挨拶しよう、ゴミはゴミ箱に捨てよう」というレベルの、誰もが知っている「常識(この場合は国際慣習)」に対して、「校則で決まってないから」と言い逃れる小学生のように見えてならない。
それを校則に書き加える側にも幻滅する。反対する側に論理なく、推進する側も徹底的に論破することなしに強引に法制化した。ここに互いへの対話や信頼関係などはなく、独善性があるのみだ。右翼左翼ともに「根っこ」が同じと嫌われるのは、こういう一面に彼ら自身が自覚していないからだ。
>nanayaさん
「偏狭なナショナリズム」は日本の特産物ではありません。世界史を調べていけば、むしろ国家のエゴがぶつかり合う姿の方が語弊があるが「普通」という事が解る。仮に日本が低姿勢に徹し、中国朝鮮の要求を最大限受け入れ続ける限り、東アジアの秩序が保たれるというのならそれでもいいかもしれない。
しかし、戦後の東アジア情勢を振り返ればそういう訳でもなかった。
そして、「愛国心」を教える事はそれほど危険なのだろうか? 家族を愛し、愛校心があり、愛郷心がある。その最大限の枠が愛国心と考えているので、それほど人工的なものとは考えられないのです。
>そして、彼らがやっている「教育による国民の内面のコントロール」が一番効果的な事で、
>今の日本でもおこっています。その利益を受けるのが国家権力者とそこに擦り寄る人々です。
中韓は「反日」というお題目で国内を統一し、「物理的事実」からかけ離れた教科書を使っているが、日本はそれを真似する必要はない。日本は日本独自の歴史と立場を自覚できれば充分。民族が必要な時に団結する事と、思想統制は似て非なるもの。日本が団結して行動しては困る他国からは反対の声が上がるかもしれないが、それを気にする必要はない。多角的視野というものは、まず自分の立場を把握して自他の区別がつかない限り作れません。
「国際人」はあやふやで情緒的な人間がなれるものではない。
ナショナリズムを否定するとして、nanayaさんは日本人はどんなものを「核」にすればいいと考えてるのですか? 日本人だけはそうかんがえてはいけないのか、あるいは全ての民族がそれを捨て去るべきなのか……?
彼に前者だとしたら、「そう思っていてほしい」という他国からの価値観の影響かと思います。
「つくる会」の議論をあちこち見てきましたが、非難はあっても批判がない。否定はあっても対案がない。ならば、一体どういう方針を持っているのか疑問が絶えません。
「眞相箱の呪縛」は、未だに日本人を強く縛っているようですね。
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歴史には連続性というものがあります。過去の経緯を正確に把握してこそ、現在の状況や今後とるべき立場や方針を考えることが出来る。これは国際外交の舞台に限らず、身近な仕事の分野でも同じ事が言える。前任者の意向や過去の方針を知らないまま、引き継ぎ担当者がその場の思いつきで行動していては、まともに仕事が進むはずがない。
ここまでは、そう反対する人も居ないと思うんですが……どうでしょうか?
僕が覚えている限り、「赤旗」などでは「別の国旗国歌を作ろう。今のは法律で認められたものではないから従う必要はない」という主旨を述べていたはずです。それで法制化してみれば、今度は「強制性」を口にする。前々から「日の丸・君が代」に反対していた人ならば、こういう経緯はちゃんと覚えているはずなのに、なぜ矛盾する理由で反対するのか不思議に思います。
ここ数ヶ月で興味を持った人ならば仕方がないが、反対している教職員の方々やそれに賛成する人達がこれを知らないとは考えにくい。
従軍慰安婦・強制連行の問題が、国内ではいつしか「強制性」にスライドされていった時と同じ状況が起きている。彼らは誰かに自分の考えを主張しているというのに、論理的一貫性というものを大事にしていないが、それは無責任というものではないだろうか。
「とにかく嫌いだから嫌い!」という感情的かつ個人的な理由ならそれでも構わないが、そういう「私」の感情をもって「公」の教育に反映させるのは勘弁してもらえないだろうか。知的怠慢と曖昧な「善意」は必ずしもよい結果を招かないことを、私たちは生活の中で知っているはずですから……。
僕は過去の「法律で定められてないから」という主張と法制化の両方に対して、気が滅入るものがある。
「先生に会ったら挨拶しよう、ゴミはゴミ箱に捨てよう」というレベルの、誰もが知っている「常識(この場合は国際慣習)」に対して、「校則で決まってないから」と言い逃れる小学生のように見えてならない。
それを校則に書き加える側にも幻滅する。反対する側に論理なく、推進する側も徹底的に論破することなしに強引に法制化した。ここに互いへの対話や信頼関係などはなく、独善性があるのみだ。右翼左翼ともに「根っこ」が同じと嫌われるのは、こういう一面に彼ら自身が自覚していないからだ。
>nanayaさん
「偏狭なナショナリズム」は日本の特産物ではありません。世界史を調べていけば、むしろ国家のエゴがぶつかり合う姿の方が語弊があるが「普通」という事が解る。仮に日本が低姿勢に徹し、中国朝鮮の要求を最大限受け入れ続ける限り、東アジアの秩序が保たれるというのならそれでもいいかもしれない。
しかし、戦後の東アジア情勢を振り返ればそういう訳でもなかった。
そして、「愛国心」を教える事はそれほど危険なのだろうか? 家族を愛し、愛校心があり、愛郷心がある。その最大限の枠が愛国心と考えているので、それほど人工的なものとは考えられないのです。
>そして、彼らがやっている「教育による国民の内面のコントロール」が一番効果的な事で、
>今の日本でもおこっています。その利益を受けるのが国家権力者とそこに擦り寄る人々です。
中韓は「反日」というお題目で国内を統一し、「物理的事実」からかけ離れた教科書を使っているが、日本はそれを真似する必要はない。日本は日本独自の歴史と立場を自覚できれば充分。民族が必要な時に団結する事と、思想統制は似て非なるもの。日本が団結して行動しては困る他国からは反対の声が上がるかもしれないが、それを気にする必要はない。多角的視野というものは、まず自分の立場を把握して自他の区別がつかない限り作れません。
「国際人」はあやふやで情緒的な人間がなれるものではない。
ナショナリズムを否定するとして、nanayaさんは日本人はどんなものを「核」にすればいいと考えてるのですか? 日本人だけはそうかんがえてはいけないのか、あるいは全ての民族がそれを捨て去るべきなのか……?
彼に前者だとしたら、「そう思っていてほしい」という他国からの価値観の影響かと思います。
「つくる会」の議論をあちこち見てきましたが、非難はあっても批判がない。否定はあっても対案がない。ならば、一体どういう方針を持っているのか疑問が絶えません。
「眞相箱の呪縛」は、未だに日本人を強く縛っているようですね。
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Posted by noraneko at 00:07│Comments(6)
│政治/戦争責任
この記事へのコメント
ごめんなさい。
私は、理解力が低いので、あなたのいう事がよく分からないのです。
そんな私から見れば、こういう議論はレトリック遊びのようです。
ただ、ひとつ分かるのは「つくる会」が『あったことをない』というのは、我が国の歴史上の後ろめたい事実を解釈の仕方・評価の仕方によって恥じないものに変えることなのですね。私はそんな風にとってしまいました。
私は、あなたが言うように外国がどうとか言ってるつもりはなく、まして隣国のマネをしろなんて言ってません。
あなたこそ、もしかしたら私の言いたいことが分かっていらっしゃらないのかな?
私たちはそれぞれの出発点が違うようですね。世の中のどの立場にいる人たちに標準を当てるか、どの人たちの気持ちになって考えられるか、たぶんそこの所が違うんだと思います。
だとすれば、価値観の大きな変化は、自分の人生の中で180度の大転換とでも言うような出来事がない限り無理かもしれません。
私の言いたいことは、ほんと単純なことなんですけど・・・
私は、理解力が低いので、あなたのいう事がよく分からないのです。
そんな私から見れば、こういう議論はレトリック遊びのようです。
ただ、ひとつ分かるのは「つくる会」が『あったことをない』というのは、我が国の歴史上の後ろめたい事実を解釈の仕方・評価の仕方によって恥じないものに変えることなのですね。私はそんな風にとってしまいました。
私は、あなたが言うように外国がどうとか言ってるつもりはなく、まして隣国のマネをしろなんて言ってません。
あなたこそ、もしかしたら私の言いたいことが分かっていらっしゃらないのかな?
私たちはそれぞれの出発点が違うようですね。世の中のどの立場にいる人たちに標準を当てるか、どの人たちの気持ちになって考えられるか、たぶんそこの所が違うんだと思います。
だとすれば、価値観の大きな変化は、自分の人生の中で180度の大転換とでも言うような出来事がない限り無理かもしれません。
私の言いたいことは、ほんと単純なことなんですけど・・・
Posted by ゲスト at 2004年09月02日 20:27
大体、こういう話題では明確な批判は語られず、「歴史修正主義」「歪曲している」といった曖昧なイメージが終始繰り返されるものです。実態を自力で確認することなく、誰かが「これは悪」と感情的に主張すると頷いてしまう人達が居る。おそらく、nanayaさんは心根が優しい人なのでしょうね。
>ただ、ひとつ分かるのは「つくる会」が『あったことをない』というのは、我が国の歴史上の
>後ろめたい事実を解釈の仕方・評価の仕方によって恥じないものに変えることなのですね。
>私はそんな風にとってしまいました。
比喩がわかりにくいなら、もっと簡単にします。スリで捕まった犯人が、実は連続殺人犯だったとして裁判にかけられたとする。こういう時「あいつならやったに決まっている」と思いこむのは勝手ですが、実情を正確に把握しなくては冤罪になってしまう。
もちろん余罪を確認した上でのことですが、スリの犯人はスリの罪状だけで裁かれるべきです。噂やデマの類や冤罪からは守られなければならない。
そうした行動を「有ったことを無かったことにしている」というのが乱暴なのは解るはずです。
僕はそういう時、一見「被害者」の立場に立っている振りをして、反論してこない相手を叩いて喜ぶ手合いが嫌いです。「つくる会」非難(批判ではない)をしたがる人間にも、そういう率が高い。
無理には勧めませんが、「あったことをない」と主張しているのかどうか、第三者の感情的な主張を通さずにご自身で資料や書籍に目を通してみてください。
「中国の被害者を否定するなんて悪人だ」、「歴史の美化だ!」という感情的な反発を越えた先にある「物理的事実」を見ることが出来ます。
最後にもう一つ。金美齢さんという方が「日本とは、先に『弱者』と名乗った側が勝つ国だ」と語っています。「弱者・被害者保護」を否定はしません。しかし、その訴えが本物か見極める事も忘れてはいけないのです。
>ただ、ひとつ分かるのは「つくる会」が『あったことをない』というのは、我が国の歴史上の
>後ろめたい事実を解釈の仕方・評価の仕方によって恥じないものに変えることなのですね。
>私はそんな風にとってしまいました。
比喩がわかりにくいなら、もっと簡単にします。スリで捕まった犯人が、実は連続殺人犯だったとして裁判にかけられたとする。こういう時「あいつならやったに決まっている」と思いこむのは勝手ですが、実情を正確に把握しなくては冤罪になってしまう。
もちろん余罪を確認した上でのことですが、スリの犯人はスリの罪状だけで裁かれるべきです。噂やデマの類や冤罪からは守られなければならない。
そうした行動を「有ったことを無かったことにしている」というのが乱暴なのは解るはずです。
僕はそういう時、一見「被害者」の立場に立っている振りをして、反論してこない相手を叩いて喜ぶ手合いが嫌いです。「つくる会」非難(批判ではない)をしたがる人間にも、そういう率が高い。
無理には勧めませんが、「あったことをない」と主張しているのかどうか、第三者の感情的な主張を通さずにご自身で資料や書籍に目を通してみてください。
「中国の被害者を否定するなんて悪人だ」、「歴史の美化だ!」という感情的な反発を越えた先にある「物理的事実」を見ることが出来ます。
最後にもう一つ。金美齢さんという方が「日本とは、先に『弱者』と名乗った側が勝つ国だ」と語っています。「弱者・被害者保護」を否定はしません。しかし、その訴えが本物か見極める事も忘れてはいけないのです。
Posted by 野良猫 at 2004年09月03日 06:59
極右の台湾人でよく日本の保守派に都合の良い事をいう人だと記憶しますが・・・
まあ討論の中身はちと分からんのでネ
一応トラックバックしました。報告までに かきこです。
まあ討論の中身はちと分からんのでネ
一応トラックバックしました。報告までに かきこです。
Posted by ゲスト at 2004年09月03日 20:07
特別に保守派の味方という訳ではありません。尖閣諸島の領有権は台湾にあるとも主張していますから、日本側とはこうした意見で違いがある。
ただし、辛淑玉さんと違うのは好き嫌いで陣営を作らないで、個々の問題に対して論理的な対話が出来る事です。かつて、辛淑玉さんに対してそうたしなめたエピソードもある。
「親日」「反日」「右翼」「左翼」「反動保守」「革新リベラル」といった陣営分けはいろいろありますが、「個」を重視したり、戦争を拒絶する人々がしばしば「敵味方」という概念でモノをみたがる光景に皮肉なものを感じます。自己検証の無いグループというものは、しばしば独善性に陥っていく。
また、同じ意見=仲間と考えてしまうと、たしなめたり批判する事なく同化してしまう。
そのあたりの自省がない事を残念に思います。
ただし、辛淑玉さんと違うのは好き嫌いで陣営を作らないで、個々の問題に対して論理的な対話が出来る事です。かつて、辛淑玉さんに対してそうたしなめたエピソードもある。
「親日」「反日」「右翼」「左翼」「反動保守」「革新リベラル」といった陣営分けはいろいろありますが、「個」を重視したり、戦争を拒絶する人々がしばしば「敵味方」という概念でモノをみたがる光景に皮肉なものを感じます。自己検証の無いグループというものは、しばしば独善性に陥っていく。
また、同じ意見=仲間と考えてしまうと、たしなめたり批判する事なく同化してしまう。
そのあたりの自省がない事を残念に思います。
Posted by 野良猫 at 2004年09月06日 04:27
冗談じゃないよ お前さんの言動見てると右派の人間は「公正」
左派は「思想が固まってる」って話になってるぞ
金美齢さんが論理的????そう判断してる時点であんたの政治的中立性なんて疑わしいね
だいたいあんた得意のこういう資料あるってのも全部右翼系の連中の資料ばかりじゃないか。
自分に都合の良い資料は証拠価値ゼロなんだよ
まったく反対の事実をしめす資料に取り組んでこそ検証作業っていうんだ。
学校行きなおせ
左派は「思想が固まってる」って話になってるぞ
金美齢さんが論理的????そう判断してる時点であんたの政治的中立性なんて疑わしいね
だいたいあんた得意のこういう資料あるってのも全部右翼系の連中の資料ばかりじゃないか。
自分に都合の良い資料は証拠価値ゼロなんだよ
まったく反対の事実をしめす資料に取り組んでこそ検証作業っていうんだ。
学校行きなおせ
Posted by ゲスト at 2004年09月07日 12:05
熊谷@季刊『中帰連』編集部です。 裁判で争われている、「南京百人斬り競争」についての決定的な新資料が発見されました。簡単にこれまでの経緯を説明します。
1.日本軍が1937年に南京を攻める途上で、二人の日本軍将校が「百人斬り競争」、つまり、中国兵をどちらが先に100人斬るか競争していると、当時の東京日日新聞(今の毎日新聞)が報道しました。もちろん「美談」としてです。 当時は殺人競争が「美談」になった時代 だったのですね。
2.ところが日本の敗戦後、二人の将校は、この新聞記事が証拠となり、戦犯裁判で死刑にされてしまいます。二人は獄中で互いに責任をなすりつけあったりもしています。
3.1970年、ジャーナリストの本多勝一さんがこの殺人競争をルポ「中国の旅」でとりあげ、大きな反響を呼びます。
4.右側の方々からの「反論」がはじまりました。ニセユダヤ人として有名な山本七平さん、『南京のまぼろし』を書いた鈴木明さんなどがその代表格です。
5.しかし彼らの議論は次々と破綻していき、当の本人から「百人斬り競争は、捕虜の据えもの斬りだった」という告白を聞いた志々目証言などが出てくるに及んで、基本的にこの論争は終了しておりました。
6.ところが今年になってまたこの問題が蒸し返されました。「百人斬り競争はすべて新聞記者のデッチ上げであり、死者の名誉が毀損された」などとして、二人の将校の遺族が右翼の人びとの支援を得て、本多勝一さんや毎日新聞、朝日新聞などを訴えたのです。
7.ここからは、あの偉大な俚諺・「ヤブヘビ」を地でいく話となります。 まず出てきたのは、本人たちが自ら百人斬り競争を吹聴していたことを示す数々の新資料であります。 地元の人への手紙で、「敵も頑強でなかなか逃げずだから大毎(注:大阪毎日新聞)で御承知のように百人斬り競争なんてスポーツ的なことが出来たわけです」と本人が書いていたり、本人が「ニッコと笑いながら」、「三百七十四人の敵を斬りました袈裟がけ、唐竹割、突伏せなど真に痛快でした愛刀は無銘でもこの通り刃こぼれは余りありません」と言っていたり 。
8. 本人が自ら吹聴していたことを記事にしたからといって、どうしてそれが名誉毀損になるのでしょうか。誰にも理解できません 。
・・・しかし、これまでは「本人たちが百人(それ以上)斬ったと話していたことは間違いなく事実であるが、実際に斬ったかどうかはわからない」という段階でした。
今回発掘された資料では、この 「百人斬り競争」が実際に行なわれ、それも実際には農民の虐殺であったことが同じ部隊の部下の手によって証言されています 。二人の将校と同じ大隊に属していたM・G氏の手記、『私の支那事変』 (私家版)の43ページ以下であります。引用しましょう。
==【以下引用】======================
・・このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行事中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。
この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
「おいM(熊谷注:原文では実名)あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。 少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。
両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦闘中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。 (以下続きますが後略)
==【引用ここまで】======================
この資料は1.実際に両少尉の残虐行為を直接見ており、2.望月氏には虚偽の記述をする理由はまったくなく、極めて信憑性の高い資料です。
南京百人斬り競争は実際に行なわれ、被害者は無辜の人びとだったことが、この資料によって明らかになりました。
今年の敗戦記念日の『読売』社説↓とか
>中国の南京攻略戦で「百人斬り」競争をしたという、現実離れした疑いで死刑に >処せられた二人の「BC級戦犯」将校の例もある。遺族が昨年、二人の名誉を回 >復するための訴訟を東京地裁におこした。
週刊「新潮」(7.22)記事に出てくる、水間政憲さんという名の、すさまじい論理飛躍ぶり↓の「ジャーナリスト」とか
>「南京攻略では、武勲のあった兵士に金鵄勲章が授与されました。仮に戦闘行為で100人斬ったことが事実なら、最高の武勲として記録されているはずです。 >しかし実際には、記録を調べてみても2人とも受章していません。つまりそもそも100人斬りなどなかったということになるのです」
歴史の事実を否定することの滑稽さを示して余すところがありません。
そして、新資料はこれだけではありません。まだ他にもあります。 その全貌は明日9月6日の東京地裁で明らかになります。来たれ!
#裁判の詳細、傍聴の方法については「事実.com」を参照。 http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/jijitu/
kumaアットマークoffice.email.ne.jp 熊谷 伸一郎 拝
熊之巣 http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/
『自然と人間』 http://www.n-and-h.co.jp/
季刊『中帰連』 http://www.tyuukiren.org
戦後責任.com http://www.sengo-sekinin.com/
1.日本軍が1937年に南京を攻める途上で、二人の日本軍将校が「百人斬り競争」、つまり、中国兵をどちらが先に100人斬るか競争していると、当時の東京日日新聞(今の毎日新聞)が報道しました。もちろん「美談」としてです。 当時は殺人競争が「美談」になった時代 だったのですね。
2.ところが日本の敗戦後、二人の将校は、この新聞記事が証拠となり、戦犯裁判で死刑にされてしまいます。二人は獄中で互いに責任をなすりつけあったりもしています。
3.1970年、ジャーナリストの本多勝一さんがこの殺人競争をルポ「中国の旅」でとりあげ、大きな反響を呼びます。
4.右側の方々からの「反論」がはじまりました。ニセユダヤ人として有名な山本七平さん、『南京のまぼろし』を書いた鈴木明さんなどがその代表格です。
5.しかし彼らの議論は次々と破綻していき、当の本人から「百人斬り競争は、捕虜の据えもの斬りだった」という告白を聞いた志々目証言などが出てくるに及んで、基本的にこの論争は終了しておりました。
6.ところが今年になってまたこの問題が蒸し返されました。「百人斬り競争はすべて新聞記者のデッチ上げであり、死者の名誉が毀損された」などとして、二人の将校の遺族が右翼の人びとの支援を得て、本多勝一さんや毎日新聞、朝日新聞などを訴えたのです。
7.ここからは、あの偉大な俚諺・「ヤブヘビ」を地でいく話となります。 まず出てきたのは、本人たちが自ら百人斬り競争を吹聴していたことを示す数々の新資料であります。 地元の人への手紙で、「敵も頑強でなかなか逃げずだから大毎(注:大阪毎日新聞)で御承知のように百人斬り競争なんてスポーツ的なことが出来たわけです」と本人が書いていたり、本人が「ニッコと笑いながら」、「三百七十四人の敵を斬りました袈裟がけ、唐竹割、突伏せなど真に痛快でした愛刀は無銘でもこの通り刃こぼれは余りありません」と言っていたり 。
8. 本人が自ら吹聴していたことを記事にしたからといって、どうしてそれが名誉毀損になるのでしょうか。誰にも理解できません 。
・・・しかし、これまでは「本人たちが百人(それ以上)斬ったと話していたことは間違いなく事実であるが、実際に斬ったかどうかはわからない」という段階でした。
今回発掘された資料では、この 「百人斬り競争」が実際に行なわれ、それも実際には農民の虐殺であったことが同じ部隊の部下の手によって証言されています 。二人の将校と同じ大隊に属していたM・G氏の手記、『私の支那事変』 (私家版)の43ページ以下であります。引用しましょう。
==【以下引用】======================
・・このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行事中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。
この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
「おいM(熊谷注:原文では実名)あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。 少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。
両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦闘中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。 (以下続きますが後略)
==【引用ここまで】======================
この資料は1.実際に両少尉の残虐行為を直接見ており、2.望月氏には虚偽の記述をする理由はまったくなく、極めて信憑性の高い資料です。
南京百人斬り競争は実際に行なわれ、被害者は無辜の人びとだったことが、この資料によって明らかになりました。
今年の敗戦記念日の『読売』社説↓とか
>中国の南京攻略戦で「百人斬り」競争をしたという、現実離れした疑いで死刑に >処せられた二人の「BC級戦犯」将校の例もある。遺族が昨年、二人の名誉を回 >復するための訴訟を東京地裁におこした。
週刊「新潮」(7.22)記事に出てくる、水間政憲さんという名の、すさまじい論理飛躍ぶり↓の「ジャーナリスト」とか
>「南京攻略では、武勲のあった兵士に金鵄勲章が授与されました。仮に戦闘行為で100人斬ったことが事実なら、最高の武勲として記録されているはずです。 >しかし実際には、記録を調べてみても2人とも受章していません。つまりそもそも100人斬りなどなかったということになるのです」
歴史の事実を否定することの滑稽さを示して余すところがありません。
そして、新資料はこれだけではありません。まだ他にもあります。 その全貌は明日9月6日の東京地裁で明らかになります。来たれ!
#裁判の詳細、傍聴の方法については「事実.com」を参照。 http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/jijitu/
kumaアットマークoffice.email.ne.jp 熊谷 伸一郎 拝
熊之巣 http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/
『自然と人間』 http://www.n-and-h.co.jp/
季刊『中帰連』 http://www.tyuukiren.org
戦後責任.com http://www.sengo-sekinin.com/
Posted by ゲスト at 2004年09月07日 12:07
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