2004年08月21日
メモその8「一般人と表現者」
僕自身の位置としては、highbiscusさんに近いのでしょう。ネットという「公」の場所にテキストを公開する以上、読んだ人々が各種の感想を持つ事は避けられない。そこに掲示板を置くということは、対話を求めると同時に、否定する意見の存在をも許容するという「覚悟」の表明でもある。機能にもよるが、コメント欄も従来のBBSに準じる存在と考えられます。
それを管理する際にも、ルールのさじ加減は管理人次第だが少なくとも「公平」である事が求められる。
元記事とは関係ない内容、あるいは特定の人物を誹謗するような記事を削除するのは許されるが、自らへ意見する内容の削除や、自らを肯定する内容だけを残すようなやり方は「私的」とされて問題となる。「公」と「私」のバランスが崩れた場所は嫌われる。現実世界で客に尊大だったり、店内特有のルールを押しつけすぎる食べ物屋が次々と潰れていくのも、似たような法則が働いているのだろう。
そのコミュニティが円滑に進むかどうか、雰囲気を崩そうとする存在をうまく排除するのも管理人の醍醐味と言える。だが、仮にそういう関り方を求めないのであれば、無理をせずにコメント欄や掲示板を閉鎖し、メール欄という形に切り替えるべきだろう。感想を送る熱意を持った人は、それでもきちんと送ってくれるだろうし、送られた意見を第三者が読むことによって生じる摩擦も無くなる。
現在の同人サークル、個人で作品を発表しているサイトなどは、こういう形で調整をしているようだ。
僕は明らかな書き込みミス以外の削除はしませんでした。それは、異論を不快だからと言って消したくないという面と、記録の連続性として人為的に手を加える事に抵抗感があったからです。自分に不都合な事を消したからといって自らが改善される訳ではなく、反省もあり得ない。歴史というネタを扱うせいもあったかもしれませんが、自らの過ちを安易に消し去ろうとする人間に、指摘などは出来ないと考えた面もあります。
ですが、今から考えてみれば、これは小規模ネットだから出来た芸当だったのでしょう。
商用ネットはアスキーネット、草の根は東京BBSを除けば小規模ネットばかりでしたから、現在の「悪貨が良貨を駆逐する」という現象には対応できないかもしれない。そういう一面は認めます。
kojidoiさんがご自分の好き嫌いで削除するのではなく、「場の維持」を目的とするのなら、それも一つの方針なのだと考えます。
さて、ここまでは「一般人」の運営するサイトとしての考え方です。ARTIFACTさんの記事を読んでいるうちに「表現者」という概念もあるのかも、と考えるようになりました。
芸能人や著名知識人などの場合、個人で全てのコメントに対処することは不可能です。そして、一般社会の良識を越えたところに「作品」というものがあるのも事実です。
善悪の彼岸を越えた境地を叫びたい――、そういう人達にとっては他者など眼中になく、全て「私」の発露でもいいんじゃないだろうか――? 自主規制みたいなものを越えて主張する事を許されるべきではないか。
才能のある一部の人間に限るなら、それでもいいんじゃないかと思います。
ただし、自分に否定的な評価を全て削除したり、自分の嫌いな相手を単純にバカアホ呼ばわりする事が「表現」と勘違いしている、自我の弱い人が「表現者」であろうとしても無理でしょうね(汗)。弱いプライドを守るために、攻撃的な文章を書いて満足しているうちは、決してそんな境地にたどり着けない。
結構勘違いしているサイトは多いようですね。自分と同じ意見=「仲間」という感じですり寄る手合いが、一番危ない(苦笑)。
「表現者」の域までは無理としても、強い「個」を持ちたいものです。
それを管理する際にも、ルールのさじ加減は管理人次第だが少なくとも「公平」である事が求められる。
元記事とは関係ない内容、あるいは特定の人物を誹謗するような記事を削除するのは許されるが、自らへ意見する内容の削除や、自らを肯定する内容だけを残すようなやり方は「私的」とされて問題となる。「公」と「私」のバランスが崩れた場所は嫌われる。現実世界で客に尊大だったり、店内特有のルールを押しつけすぎる食べ物屋が次々と潰れていくのも、似たような法則が働いているのだろう。
そのコミュニティが円滑に進むかどうか、雰囲気を崩そうとする存在をうまく排除するのも管理人の醍醐味と言える。だが、仮にそういう関り方を求めないのであれば、無理をせずにコメント欄や掲示板を閉鎖し、メール欄という形に切り替えるべきだろう。感想を送る熱意を持った人は、それでもきちんと送ってくれるだろうし、送られた意見を第三者が読むことによって生じる摩擦も無くなる。
現在の同人サークル、個人で作品を発表しているサイトなどは、こういう形で調整をしているようだ。
僕は明らかな書き込みミス以外の削除はしませんでした。それは、異論を不快だからと言って消したくないという面と、記録の連続性として人為的に手を加える事に抵抗感があったからです。自分に不都合な事を消したからといって自らが改善される訳ではなく、反省もあり得ない。歴史というネタを扱うせいもあったかもしれませんが、自らの過ちを安易に消し去ろうとする人間に、指摘などは出来ないと考えた面もあります。
ですが、今から考えてみれば、これは小規模ネットだから出来た芸当だったのでしょう。
商用ネットはアスキーネット、草の根は東京BBSを除けば小規模ネットばかりでしたから、現在の「悪貨が良貨を駆逐する」という現象には対応できないかもしれない。そういう一面は認めます。
kojidoiさんがご自分の好き嫌いで削除するのではなく、「場の維持」を目的とするのなら、それも一つの方針なのだと考えます。
さて、ここまでは「一般人」の運営するサイトとしての考え方です。ARTIFACTさんの記事を読んでいるうちに「表現者」という概念もあるのかも、と考えるようになりました。
芸能人や著名知識人などの場合、個人で全てのコメントに対処することは不可能です。そして、一般社会の良識を越えたところに「作品」というものがあるのも事実です。
善悪の彼岸を越えた境地を叫びたい――、そういう人達にとっては他者など眼中になく、全て「私」の発露でもいいんじゃないだろうか――? 自主規制みたいなものを越えて主張する事を許されるべきではないか。
才能のある一部の人間に限るなら、それでもいいんじゃないかと思います。
ただし、自分に否定的な評価を全て削除したり、自分の嫌いな相手を単純にバカアホ呼ばわりする事が「表現」と勘違いしている、自我の弱い人が「表現者」であろうとしても無理でしょうね(汗)。弱いプライドを守るために、攻撃的な文章を書いて満足しているうちは、決してそんな境地にたどり着けない。
結構勘違いしているサイトは多いようですね。自分と同じ意見=「仲間」という感じですり寄る手合いが、一番危ない(苦笑)。
「表現者」の域までは無理としても、強い「個」を持ちたいものです。
Posted by noraneko at 04:05│Comments(3)
│一般/ネット
この記事へのコメント
通りすがりながらコメントさせていただきます。
コメント欄がある以上、否定的な意見も流れ込んでくるのは当然で、少し嫌なものを見たくらいでバカアホ呼ばわりでは話にならないかなと思います。
別のブログでも少し書いたのですが、否定的なコメントがイヤなら、賛同するコメントのみ受け付ける旨を明記しておくか、コメント機能のないWeblogを使えばよいのにと思います。
もっともそんなところは誰も寄りつかないか、同じ思考のコメンテーターのたまり場になって、面白くもなんともありませんが。
せっかくWeblogという面白いものができたのに、それを他者の攻撃に使ってちっちゃなプライドを満足させる道具にしか使えないのであれば、それは悲しいことですね。
嫌いな相手をバカアホ呼ばわりすることが「表現」ではないこと、普通に考えれば当然ですが思考が硬直している人たちに理解させるの本当に難しい。(あくまで一般論ですよ。)
コメント欄がある以上、否定的な意見も流れ込んでくるのは当然で、少し嫌なものを見たくらいでバカアホ呼ばわりでは話にならないかなと思います。
別のブログでも少し書いたのですが、否定的なコメントがイヤなら、賛同するコメントのみ受け付ける旨を明記しておくか、コメント機能のないWeblogを使えばよいのにと思います。
もっともそんなところは誰も寄りつかないか、同じ思考のコメンテーターのたまり場になって、面白くもなんともありませんが。
せっかくWeblogという面白いものができたのに、それを他者の攻撃に使ってちっちゃなプライドを満足させる道具にしか使えないのであれば、それは悲しいことですね。
嫌いな相手をバカアホ呼ばわりすることが「表現」ではないこと、普通に考えれば当然ですが思考が硬直している人たちに理解させるの本当に難しい。(あくまで一般論ですよ。)
Posted by ゲスト at 2004年08月21日 07:32
「異論を排除する」というのと「場を維持するためにコメントを間引く」というのは、実はぜんぜん異質な作業なんですよねえ。るいママさんのような意見を持つ人は、この辺の区別がつけられていないような印象をもちます。
Posted by kojidoi at 2004年08月21日 21:05
>「異論を排除する」というのと「場を維持するためにコメントを間引く」と
>いうのは、実はぜんぜん異質な作業なんですよねえ。るいママさんのような
>意見を持つ人は、この辺の区別がつけられていないような印象をもちます。
これは管理人が考えるべき事ですね。公平に振る舞っているつもりでも、利用者からすれば「好きな人の書き込みが消された! 横暴だ!」と感じてしまうことはあります。それは仕方のない事でしょう。
実際に、ごちゃまぜに解釈してコミュニティを形成している管理人も居るようです。
公的な場所が「私」に浸食されてきている……。
るいママさんが管理人の作業の意味を理解する事と、「私的」なサイトの問題は別物。
人のふり見て我が振り直せ。自分がそうならないように戒めるくらいしかないんですけどね。
>いうのは、実はぜんぜん異質な作業なんですよねえ。るいママさんのような
>意見を持つ人は、この辺の区別がつけられていないような印象をもちます。
これは管理人が考えるべき事ですね。公平に振る舞っているつもりでも、利用者からすれば「好きな人の書き込みが消された! 横暴だ!」と感じてしまうことはあります。それは仕方のない事でしょう。
実際に、ごちゃまぜに解釈してコミュニティを形成している管理人も居るようです。
公的な場所が「私」に浸食されてきている……。
るいママさんが管理人の作業の意味を理解する事と、「私的」なサイトの問題は別物。
人のふり見て我が振り直せ。自分がそうならないように戒めるくらいしかないんですけどね。
Posted by 野良猫 at 2004年08月22日 02:02
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