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noraneko

2004年08月17日

メモその6「議論の作法」

愛・蔵太の気ままな日記さんの記事を拝見。こちらからもトラックバックを送ってみることにします。
未だに使いこなせていないので、うまくリンク出来ているかはこの時点では不明(汗)。
こちらの記事への感想きっかけに始まった議論は、こちらなどにも飛び火しました。考え方は違っても、詳細な知識をお持ちの方や史料を紹介しているサイトなどを教えてもらえたので、こちらとしてはプラスになる内容です。いくつか考えたことはありますが、まずは一つずつ述べていくことにします。

リンク先で今月分の記事を拝見させていただいた限りでは、「右っぽい」というくらいの共通点は有るかもしれないけど、完全な別物ににしか思えません。あのコメントをした方にとっては、「右」というのは何でも同じように見えるのだろうか……?(汗)もしかすると、別のコメントで触れた「直感型」の人だったのかもしれない。
「自分と同じだ」と直観的に理解して共感できるタイプの方は、素直にうらやましいと思います。ただし、過去の経験で得た情報が客観的なものとは限らないからこそ、「直感型」の人はこういう問題には弱い。
いちいち確認しないと気が済まない、「論理型」の人間(のつもり)としては、あえて指摘していきたいと思います。

「サイト運営でやらない方が良い事」の記事を拝見。僕はmixcaさんの意見に近いかもしれません。パソコン通信でシスオペをやっていた時代から、書き込みの削除は行いませんでした(ケンカ別れは有り)。自分にとって都合の悪い内容を削除しても、書いたという「物理的事実」までは消せないし、各会員がログとして残しているのに取り繕っても意味がない。商用ネットでも親切に諭していただいた事がありましたし、コミュニティに育てて貰えたことに感謝しています。
あの当時も、シスオペが独断で書き込みの削除、会員IDの抹消などをしていた小規模BBSは結構ありましたが、すぐに廃れていきました。
時代は変わりましたが、倫理的・経営的な面での法則はそう変わってはいないのかもしれません。

ただ、話題内容の一時史料を求める細かさ、議論の本筋を見極めずにあら探しをしてレッテル張りをする傾向は、かなり強くなっている。これはネット利用者の数が飛躍的に増大したことで、かつて「暗黙の了解」が通じた知識や共通観念というものが、薄くなったせいかもしれません。
古い世代としては、その辺りに一抹の寂しさを感じます。

議論とは「勝ち負け」でするものではなく、違う意見を持つ者達が言葉の定義をすりあわせていく「確認作業」だと考えています。間違いや失敗もあるだろうけれど、そこにばかり目を向けず、その先にあるものを探求したいものです。
自分への戒めも含めてね。

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Posted by noraneko at 00:40│Comments(9)一般/ネット
この記事へのコメント
野良猫さんの死ぬのはやつらさん所での発言は僕は存じていませんと言うことは先に書いておきます。

どちらでもいいんですが、僕自身は両方の要素を持っていますから^^;結論から言うと、お互いに相手の考えていることを正確に理解しようとする姿勢がない限り噛み合ないといっていいでしょう。

勝ち負けの論議にしたくなければ、分からないことは分からないと言えることは大切ですよ。相手が頭の中で考えていることが理解できない限り、論議は噛み合ないですから。だけど、論議になれていない人になればなるほど、相手の言葉を相手の考えることをふまえて理解するのではなくて、自分の都合の良いように考えて解釈していますね。そして、非難をする。この辺のことに対する理解している人はあまりいないと感じていますね。暗黙の了解という件ですが実はこれが一番危険です。でも、相手が批判をしてきた場合でも、その批判を検討することによって相手がとらえた意味を把握することは可能かな。

さらにいうと、暗黙の了解というものは、相手にしても第三者に対しても詭弁でだますというテクニックにもなりますので慎重さは必要です。これは、前提条件として暗黙にあるものが全ての条件で成り立つわけではないのに、あたかも全ての条件で成り立つように見せかけるようにできることからです。巧みにこれをやる人は確かにいるけど、条件を見極めたら全ては見分けられますね。
Posted by ゲスト at 2004年08月17日 01:35
野良猫さんの死ぬのはやつらさん所での発言。

はたから見てると不毛な水掛け論です。議論なら有益でしょうが水掛け論ならば不毛。そろそろ打ち止めにしたほうがよくないっすか?
Posted by ゲスト at 2004年08月17日 01:41
ゲスト発言を見て見に行ったけど、荒れに荒れまくってるね。あれじゃあ、水掛け論だわ。いろんなblogやはてなをみたけど、論議していて噛み合ないとよく、作法のことを書く人はいるけど。。。

あまり理解は得られないだろうなと思う。むしろ、苛立ちからの独りよがりと見られる傾向があるし、苛立ちは合わせ鏡のようなものなので、一旦クールになった方がいいでしょうね。
Posted by ゲスト at 2004年08月17日 01:53
> これはネット利用者の数が飛躍的に増大したことで、かつて「暗黙の了解」が通じた知識や共通観念というものが、薄くなったせいかもしれません。

> つまりは、自分達の主観的な感覚が普遍的なものである「はず」という前提がある。それは漠然として情緒的な面が色濃く影響しているから、共鳴する人間とは即座に分かり合えるが、そこまで共通する感覚がない場合は、意志の疎通が難しくなる。

一方では暗黙の了解が通じなくなったのを寂しいといい、一方では、自分の感覚は普遍的に通じるはずだという前提を批判していますね。矛盾していますよ。結局、あなた自身の主観「だけ」は受け入れられてしかるべきだと期待しているのだ、と、野良猫さんに共鳴しない人は解釈するでしょうね。それが、あのコピペ荒らし(念のため言っておきますと私はあのゲストはアホだと思っていますが)を誘発したのでは?


「暗黙の了解」に頼りたいのか決別したいのか、スタンスをハッキリさせたほうが良いのではないでしょうか。
Posted by kojidoi at 2004年08月17日 02:43
 出先から書き込み中です。
 あちらでの一連の流れでは、論理過程が理解できないという困惑よりも異質感の方が勝っていたかもしれません。こちらとしては一つずつ確認を求めていっただけのつもりでしたが、その結論が自明の理という側にとって、それは許しがたいものだったのでしょう。

 本来、言葉を発するという事は怖いものです。自分の考えが間違っているかもしれないし、記録に残ってしまえば「汚点」となってしまうリスクだってある。今まで否定的に見ていた考え方が、ある時
視点を変えてみたら、驚くような説得力を持っている事に気づく場合だってある訳です。
 自分も他人も間違うもの。だから、必要以上に何かを断罪したりせずにある程度の「遠慮」しあう雰囲気が、昔はあったように思います。当事者間にそういう意識が無ければ、古参会員がそういう意識を持って調整していた。意見が違う相手でも一定の尊重を忘れない寛容さ、過ちがあってもそれを過度に追及しない穏やかさがあったのではないでしょうか。それが僕にとって「暗黙の了解」と言える
ものです。

 もちろん、僕が過去の思い出を理想化している部分もあるんでしょうが、今回のようなやりとりが現在のネットで一般的なものだとしたら、さすがに幻滅したくなるものがあります。参考になるものはありましたが、そこが残念といえば残念です。
 たぶん、僕に漠然とした期待や甘さというものがあったのだと思います。自分のそういう部分からは決別していかざるを得ないのでしょう。
 あの転載ゲストさんの場合、自分が読んだ内容が気に入らなかったのなら反論すればよかった。しかし、それを具体的に説明できなかったために「他力本願」に徹したのでしょう。自分が発言の責任を追及されるのが恐ろしかったのかもしれません。.

 そういう覚悟が出来ないなら、初めから発言しないほうがいい。この点では、暴論でも自分なりに言葉を発し続けている「死ぬのはやつらだ」さんの方がましだと思います。

 他の事に関しては、本編で触れるつもりです。
Posted by ゲスト at 2004年08月17日 19:23
ふむふむ。あなたの言ってる暗黙の了解は、ネチケットに関することのようですね。ネチケットに関しては、僕としてもいずれエントリーを書こうかなと思っています。暗にこの手の考え方に対して、批判的なエントリーが支持されていたようでしたから^^;

寛容さに関してですが、論争には必要ですね。相手を見抜こうとすればするほど、しっかり見なきゃいけないけど、寛容さを失ってしまうと、批判の為の批判と言った愚かな行為をおかしかねません。もっとも、締める時と緩める時の使い分けもいる時は存在しますが。。。
Posted by ゲスト at 2004年08月18日 17:08
こんにちわ。
ネットでの議論も現実世界での議論のどちらも難しいことにかわりはありませんよね。
コミュニケーションをとりつつ、お互いの思考をすり合わせていく作業。
権威や権力とは無関係にトピックスについて議論を深めていく作業は快感です。
しかし、その作業の目的とは一体なんなのでしょう。
それ目的こそが大事なのではないでしょうか?
世の中には聞く耳をもたない人もいっぱいいるし。
そもそも丁寧にご教授してくださる心優しい人
なんてそんなにいないかもしれない。
議論の目的を見失うとただ相手をなんとか論破することしか頭になくなります。
とはいえ、議論の手続きを怠られるとどうしよーもありませんけど
(主張の出典、引用先を明記しないとかね)
これは最低です。人の意見を我が物顔で言われても困りますね。
まぁ、ブログって人それぞれのとらえ方があるのでひとえに
一緒に議論して見識を深めましょうって思わない人がいるってのも確かですよ。
Posted by ゲスト at 2004年08月18日 20:45
 某所ではお世話になりました。

 さて・・・まぁ、言いたい事は人それぞれ、色々あると
思うからその内容そのものについては特に言及しない。
その上で気になった事が一つある。

 野良猫さん、何をしたいんだ?
何を求めているんだ?
何を目指しているんだ?

 別段おれみたいな名無しの読み手に
意味づけする必要も無い、ってのはわかる。
だけれど、どうも主張したい物の根っこというか、中心が
よくわからないんだ、おれには。

 そういうおれ自身そんな事考えて物書いたりするのは
まれだから、他人にとやかく言えた義理じゃないのも事実だ。
ただ、ちょっと気になってね。

 議論をしたいのか、主張をしたいのか、相手の意見を
ねじ伏せたいのか。

 自分がしたい事ってなんなのか、考えてみてもらった方が
良いんじゃねえか、なんて思った。

 基本的にいつものごとく駄文だな。
ま、そんな事考えるやつもいる程度に思っておいてくれ。

 個人的には野良猫さんのこの手の話とは全く無関係な
趣味の話とかが聞いてみたい気がするが、そんなのは
よけいなお世話だなすまん。
Posted by ゲスト at 2004年08月20日 03:18
論じるのはともかく、
なんか一部の人以外は論じる以前に、ただ罵ってるだけにしか見えない…、「おまえは○○もしらないのか」「おまえみたいなやつは…」

ちょっと…ね…
という訳で野良猫さんは、あーゆーのならないようにがんばってください。
Posted by ゲスト at 2004年08月21日 07:45
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