2004年08月21日
メモその7「国際外交とマンション居住問題は似ている」
あちらでは軍備を「ガン治療」と例え、生命を守るためには痛みや副作用を覚悟しなければならない事もある、という主旨で説明しているようだ。
僕はこれをマンションの居住問題と比喩する事にする。
マンションでは各部屋の住人がそれぞれの価値観を持ち、生活をしている。しかし、ある時一人の住人が気がついた。水道料金が先月と比べて倍以上に跳ね上がり、ベランダにあるはずの鉢が無くなり、空き缶などのゴミを見かけるようになったのだ。
調べてみたところ、隣室の住人がベランダの水道を勝手に使って水まきをしたり、気に入った鉢を盗んだり、自室のゴミをこちらに放り込んでいる事が判明した。
ただちに抗議したが、そこの住人はシラを切りとおして埒があかない。しまいには、「お前は父の代に何をしたのか忘れたか。反省の念が足りない」と逆上する始末だった。確かに、彼の父は過去に隣室の住人と商売上の関係があり、多額の損失を出してしまった経緯があった。だが、だからといって現在このような仕打ちをしてよいという事になるのだろうか。
彼はついにマンションの管理組合に相談をする事にした。それによって、管理人をはじめとするメンバーが隣室へ注意を促したが、却ってエスカレートしていく有様だった。
そして、数日後。隣室の住人が自分の家族に暴力を振るった場面に遭遇し、彼はついに怒りを爆発させた。
「やるのなら、私が相手をしましょう。格闘技の心得もありますからご存分にどうぞ。ただし、黙ってやられるつもりはありませんよ」
彼の覚悟を決めた態度に、隣室の住人はひるんだが「お前は過去の反省の念が足りない。逆らおうと言うのか!」と、まだ態度を改めようとはしなかった。
彼はここで叩きのめす事も考えたが、敢えて別の方法をとることにした。
「例えあなたの言う通りだとしても、私達は今の暮らしを守らなければならない。だから、不当な力には実力をもって排除する。それが『悪』だというのなら、私がその責を負うとしよう。
……私はあなたの会社への資金援助と仕事の発注を停止する。友好関係を願って始めた取引だったが、これも仕方ありません」
彼の宣告に戦慄した隣室の住人は、何か言い返したそうな様子ではあったが踵を返して部屋へと戻っていった。
それ以降、隣室からの嫌がらせ行為はピタリと止んだ。彼は家族との暮らしを守り通したのだった。(終)
……こんな感じ。長いですね(苦笑)。今の日本国憲法では「他者の善意に期待する〜」という文面が入っているそうですが、現実の私達はそうしてばかりもいられない日々を送っている。
基本的に外交とは、自分達の利益を守り通すためにするものです。他者と利害関係にある場合、譲歩するだけではこちらに利益は得られない。そうした時、自分の能力で出来るありとあらゆる手段を用いて、家族や会社に利益をもたらさなければならない。
それには、総合的な「国力」。軍事力・経済力・人脈といったあらゆる力が必要となる。
個人レベルでも、身体が弱くお金もなく友達も居ない人間よりも、身心壮健でお金持ちで幅広い交友関係を持っている人間の方が、言葉に説得力もあり信頼を得られるのが事実。
これを「差別」と受け取る人もいるかもしれないが、あなたが商売などで組むとしたらどちらを優先させるだろうか? もちろん理念といった要素も重要だが、物理的な要素を無視する事は出来ない。
国レベルでの「軍事」とは、個人レベルでは格闘技を学んだり、家の防犯を強化したり、万が一の時は家族の盾となる覚悟する心を養う事にあたる。世の中は自分の思うような人間ばかりでもなく、一生のうちに不当な暴力に直面する可能性などない、と言い切れる人間など居ない。
そのための準備は一日では出来ない。長い年月をかけて作られていくものだ。もちろん、それで得た力で不当に誰かを傷つけてはならないし、誤解や疑心暗鬼の末に戦うような事があってもならない。だから、お互いにコミュニケーションを取る事で、お互いの意思疎通を欠かしてはならない。
各国の合同軍事演習などがこれに該当する。政治的な圧力として使われる場合もあるが、基本的にはお互いを理解し合うために開催されている。
個人レベルと国家では規模が異なるが、同じ人間が行動するものである以上、大きなズレはない。
このスレッドに書いている人達の多くは、暮らしの上でトラブルや交渉の経験が無いのだろうか?
護憲、護憲とそれほどこだわらず、現状と20〜30年くらいの中期的な目標を考えていけば、制度の整備や調整が欠かせない事は解るはずなのですが……。
ちなみに、「国家」が無くなった上で民主主義が存続しているとすれば、世界は多数派の民族が思うままに支配する時代になってしまうでしょう。人民日報が社説に「全球化」という言葉を述べていたが、米国を越えた中華ナショナリズムが世界を覆う事になるでしょう。ペマ・ギャルポが「悪の戦争論」という本で触れていた「第二のチベットが日本」という言葉も、そう現実味のない訳ではないのかもしれない。
関係ないですが、「赤旗日曜版」には魔法少女の漫画が連載されてます(汗)。その前は、声優の父親を持つ小学四年生の女の子のシリーズだったはず。コロコロコミックで「あまいぞ!男吾」を連載していたMoo念平さんが連載していた「宅配ビンちゃん」はリイド社から単行本が出ています。
――やぶうち優や水原賢治が連載してくれたら、次の選挙は共産党にいれます(笑)。
「水色時代・赤旗版」とか「恋が窪スケッチブック赤旗版」なんて面白そうじゃないですか。ふふふ。
「北国」では、このへんのネタを理解できる人は居ませんか。とほほ。
僕はこれをマンションの居住問題と比喩する事にする。
マンションでは各部屋の住人がそれぞれの価値観を持ち、生活をしている。しかし、ある時一人の住人が気がついた。水道料金が先月と比べて倍以上に跳ね上がり、ベランダにあるはずの鉢が無くなり、空き缶などのゴミを見かけるようになったのだ。
調べてみたところ、隣室の住人がベランダの水道を勝手に使って水まきをしたり、気に入った鉢を盗んだり、自室のゴミをこちらに放り込んでいる事が判明した。
ただちに抗議したが、そこの住人はシラを切りとおして埒があかない。しまいには、「お前は父の代に何をしたのか忘れたか。反省の念が足りない」と逆上する始末だった。確かに、彼の父は過去に隣室の住人と商売上の関係があり、多額の損失を出してしまった経緯があった。だが、だからといって現在このような仕打ちをしてよいという事になるのだろうか。
彼はついにマンションの管理組合に相談をする事にした。それによって、管理人をはじめとするメンバーが隣室へ注意を促したが、却ってエスカレートしていく有様だった。
そして、数日後。隣室の住人が自分の家族に暴力を振るった場面に遭遇し、彼はついに怒りを爆発させた。
「やるのなら、私が相手をしましょう。格闘技の心得もありますからご存分にどうぞ。ただし、黙ってやられるつもりはありませんよ」
彼の覚悟を決めた態度に、隣室の住人はひるんだが「お前は過去の反省の念が足りない。逆らおうと言うのか!」と、まだ態度を改めようとはしなかった。
彼はここで叩きのめす事も考えたが、敢えて別の方法をとることにした。
「例えあなたの言う通りだとしても、私達は今の暮らしを守らなければならない。だから、不当な力には実力をもって排除する。それが『悪』だというのなら、私がその責を負うとしよう。
……私はあなたの会社への資金援助と仕事の発注を停止する。友好関係を願って始めた取引だったが、これも仕方ありません」
彼の宣告に戦慄した隣室の住人は、何か言い返したそうな様子ではあったが踵を返して部屋へと戻っていった。
それ以降、隣室からの嫌がらせ行為はピタリと止んだ。彼は家族との暮らしを守り通したのだった。(終)
……こんな感じ。長いですね(苦笑)。今の日本国憲法では「他者の善意に期待する〜」という文面が入っているそうですが、現実の私達はそうしてばかりもいられない日々を送っている。
基本的に外交とは、自分達の利益を守り通すためにするものです。他者と利害関係にある場合、譲歩するだけではこちらに利益は得られない。そうした時、自分の能力で出来るありとあらゆる手段を用いて、家族や会社に利益をもたらさなければならない。
それには、総合的な「国力」。軍事力・経済力・人脈といったあらゆる力が必要となる。
個人レベルでも、身体が弱くお金もなく友達も居ない人間よりも、身心壮健でお金持ちで幅広い交友関係を持っている人間の方が、言葉に説得力もあり信頼を得られるのが事実。
これを「差別」と受け取る人もいるかもしれないが、あなたが商売などで組むとしたらどちらを優先させるだろうか? もちろん理念といった要素も重要だが、物理的な要素を無視する事は出来ない。
国レベルでの「軍事」とは、個人レベルでは格闘技を学んだり、家の防犯を強化したり、万が一の時は家族の盾となる覚悟する心を養う事にあたる。世の中は自分の思うような人間ばかりでもなく、一生のうちに不当な暴力に直面する可能性などない、と言い切れる人間など居ない。
そのための準備は一日では出来ない。長い年月をかけて作られていくものだ。もちろん、それで得た力で不当に誰かを傷つけてはならないし、誤解や疑心暗鬼の末に戦うような事があってもならない。だから、お互いにコミュニケーションを取る事で、お互いの意思疎通を欠かしてはならない。
各国の合同軍事演習などがこれに該当する。政治的な圧力として使われる場合もあるが、基本的にはお互いを理解し合うために開催されている。
個人レベルと国家では規模が異なるが、同じ人間が行動するものである以上、大きなズレはない。
このスレッドに書いている人達の多くは、暮らしの上でトラブルや交渉の経験が無いのだろうか?
護憲、護憲とそれほどこだわらず、現状と20〜30年くらいの中期的な目標を考えていけば、制度の整備や調整が欠かせない事は解るはずなのですが……。
ちなみに、「国家」が無くなった上で民主主義が存続しているとすれば、世界は多数派の民族が思うままに支配する時代になってしまうでしょう。人民日報が社説に「全球化」という言葉を述べていたが、米国を越えた中華ナショナリズムが世界を覆う事になるでしょう。ペマ・ギャルポが「悪の戦争論」という本で触れていた「第二のチベットが日本」という言葉も、そう現実味のない訳ではないのかもしれない。
関係ないですが、「赤旗日曜版」には魔法少女の漫画が連載されてます(汗)。その前は、声優の父親を持つ小学四年生の女の子のシリーズだったはず。コロコロコミックで「あまいぞ!男吾」を連載していたMoo念平さんが連載していた「宅配ビンちゃん」はリイド社から単行本が出ています。
――やぶうち優や水原賢治が連載してくれたら、次の選挙は共産党にいれます(笑)。
「水色時代・赤旗版」とか「恋が窪スケッチブック赤旗版」なんて面白そうじゃないですか。ふふふ。
「北国」では、このへんのネタを理解できる人は居ませんか。とほほ。
Posted by noraneko at 02:00│Comments(0)
│政治/戦争責任
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