2004年08月09日
メモその3「大東亜戦争とイラク戦争の共通点」
前アーティクルで「死ぬのはやつらだ」さんからご質問をいただいたので、こちらに掲載させていただきます。
>大東亜戦争とイラク戦争の共通点
かつてイラクは、イラン革命直後の混乱するイランと戦争し、クウェートを占領した。端から見れば「軍事国家」そのものだが、イラクの側からすれば何度も紛争を繰り返したイランと戦争し、イギリスの石油資源獲得のために分断されたクウェートを併合することは、彼らなりの正当性があったのだろう。
日本の場合も安全保障上の問題のために、日清・日露戦争という二度の戦争を戦い抜き、共産主義の防波堤として、ユーゴのクロアチア独立のように満州国を建国した。大ユーゴ主義者がクロアチアやコソボを攻撃したように、漢民族の側からすれば許し難いことだったろうが、安定した治安と経済発展によって、周辺からの人口流入も盛んだったことは当時の資料からも明らかになっている。
つまり、国家や民族の数だけ「正義」というものは存在するもので、単純な善悪二言論で裁くことは難しいのだ。
大東亜戦争の場合、米国は中国・満州の市場獲得と欧州戦線へ参加する大義名分を欲していた。
イラク戦争の場合は、石油資源の獲得と親米政権樹立によって中東を中南米のように勢力圏に置くことを狙っていた。彼らの国は単純な善悪二元論をスローガンに掲げつつ、国益を獲得しようとする手法を好む。そして、戦争そのものには勝つが、目的とした利益を得られなかった事の方が多い。
日本には勝ったものの、満州は中国が再併合してしまい、国民党が内戦に敗れた為に中国本土は共産化してしまった。さらには朝鮮半島で軍事的負担を強いられた上に、自分たちが韓国大統領に据えた李承晩は、竹島占領・在韓米軍の撤退など現実を無視した政策をとる有様だった。その結果、朝鮮戦争が起こる。ルーズベルト大統領は米国では人気が高いそうだが、国益を獲得する手腕はあまり巧みで無かったようだ。
大東亜戦争の場合は日本の占領統治に成功したが、イラク戦争ではそれすらも失敗してしまい、支那事変の旧日本軍のような泥沼にはまりこんでいる。
そこで気になるのは、現在の米国非難をする人々の中に「平和憲法死守」を訴える人々が居ること。
確認していくと、大日本帝国を打ち破り、憲法九条を与えてくれた米国に感謝の念があるとする。ならば、イラクの軍事政権を打倒した事も積極的に評価し、イラクも平和憲法を受け入れるべきだと主張するのが、論理的ではないだろうか。
あるいは、イラクの人々は抵抗せずに新体制を歓迎するべき、という意見にならないか? 前に議論した方は「平和憲法を諸外国へ輸出するべきだ」と語っていたが、これは絶好の機会に違いないはず。
こうでないとすると、どのようにして整合性がつくのか自分にはよく解らない。
かつて日本を焼け野原にし原子爆弾を投下した米国。そんな国が彼らの都合で与えた憲法を死守すべきと言うのは、米国と中国という大国の権威主義によりかかっているだけで、日本独自の立場から考える事を放棄しているように見えてならない。
他でも書いたことですが、「こうあるべき」と結論を固定化して行動する「政治的」な行動は、善意からのものであったとしても良い結果を残せません。物理的事実を元に検証しなければ、本当の意味での教訓にはなり得ない。ゆえに、捕虜殺害などの「証言」を引用する方々に根拠を求めているのです。
人間は間違った時に、それを認められるかが真価を決めると思います。非難を得意とする人達は、自分もまた過ちを犯す一人の人間に過ぎない事を、しばしば忘れるようですね。たくさん非難すればするほど、自分に矛先が向くのが恐ろしくて無謬主義に陥っていく面もあるのかもしれません。
これは僕も含めて、発言する人々が忘れてはいけない事ではないでしょうか。
かつてイラクは、イラン革命直後の混乱するイランと戦争し、クウェートを占領した。端から見れば「軍事国家」そのものだが、イラクの側からすれば何度も紛争を繰り返したイランと戦争し、イギリスの石油資源獲得のために分断されたクウェートを併合することは、彼らなりの正当性があったのだろう。
日本の場合も安全保障上の問題のために、日清・日露戦争という二度の戦争を戦い抜き、共産主義の防波堤として、ユーゴのクロアチア独立のように満州国を建国した。大ユーゴ主義者がクロアチアやコソボを攻撃したように、漢民族の側からすれば許し難いことだったろうが、安定した治安と経済発展によって、周辺からの人口流入も盛んだったことは当時の資料からも明らかになっている。
つまり、国家や民族の数だけ「正義」というものは存在するもので、単純な善悪二言論で裁くことは難しいのだ。
大東亜戦争の場合、米国は中国・満州の市場獲得と欧州戦線へ参加する大義名分を欲していた。
イラク戦争の場合は、石油資源の獲得と親米政権樹立によって中東を中南米のように勢力圏に置くことを狙っていた。彼らの国は単純な善悪二元論をスローガンに掲げつつ、国益を獲得しようとする手法を好む。そして、戦争そのものには勝つが、目的とした利益を得られなかった事の方が多い。
日本には勝ったものの、満州は中国が再併合してしまい、国民党が内戦に敗れた為に中国本土は共産化してしまった。さらには朝鮮半島で軍事的負担を強いられた上に、自分たちが韓国大統領に据えた李承晩は、竹島占領・在韓米軍の撤退など現実を無視した政策をとる有様だった。その結果、朝鮮戦争が起こる。ルーズベルト大統領は米国では人気が高いそうだが、国益を獲得する手腕はあまり巧みで無かったようだ。
大東亜戦争の場合は日本の占領統治に成功したが、イラク戦争ではそれすらも失敗してしまい、支那事変の旧日本軍のような泥沼にはまりこんでいる。
そこで気になるのは、現在の米国非難をする人々の中に「平和憲法死守」を訴える人々が居ること。
確認していくと、大日本帝国を打ち破り、憲法九条を与えてくれた米国に感謝の念があるとする。ならば、イラクの軍事政権を打倒した事も積極的に評価し、イラクも平和憲法を受け入れるべきだと主張するのが、論理的ではないだろうか。
あるいは、イラクの人々は抵抗せずに新体制を歓迎するべき、という意見にならないか? 前に議論した方は「平和憲法を諸外国へ輸出するべきだ」と語っていたが、これは絶好の機会に違いないはず。
こうでないとすると、どのようにして整合性がつくのか自分にはよく解らない。
かつて日本を焼け野原にし原子爆弾を投下した米国。そんな国が彼らの都合で与えた憲法を死守すべきと言うのは、米国と中国という大国の権威主義によりかかっているだけで、日本独自の立場から考える事を放棄しているように見えてならない。
他でも書いたことですが、「こうあるべき」と結論を固定化して行動する「政治的」な行動は、善意からのものであったとしても良い結果を残せません。物理的事実を元に検証しなければ、本当の意味での教訓にはなり得ない。ゆえに、捕虜殺害などの「証言」を引用する方々に根拠を求めているのです。
人間は間違った時に、それを認められるかが真価を決めると思います。非難を得意とする人達は、自分もまた過ちを犯す一人の人間に過ぎない事を、しばしば忘れるようですね。たくさん非難すればするほど、自分に矛先が向くのが恐ろしくて無謬主義に陥っていく面もあるのかもしれません。
これは僕も含めて、発言する人々が忘れてはいけない事ではないでしょうか。
Posted by noraneko at 01:15│Comments(2)
│政治/戦争責任
この記事へのコメント
> 確認していくと、大日本帝国を打ち破り、憲法九条を与えてくれた米国に感謝の念があるとする。
>ならば、イラクの軍事政権を打倒した事も積極的に評価し、イラクも平和憲法を受け入れるべきだと主張するのが、論理的ではないだろうか。
と書かれてますけど米国に感謝の念があると仮定した上での結論ですから、仮定の域をでませんね。
すくなくとも、平和憲法は良いものだから守るべきだと言ってるだけで、与えたのが誰だとかは関係ないと思いますよ
>ならば、イラクの軍事政権を打倒した事も積極的に評価し、イラクも平和憲法を受け入れるべきだと主張するのが、論理的ではないだろうか。
と書かれてますけど米国に感謝の念があると仮定した上での結論ですから、仮定の域をでませんね。
すくなくとも、平和憲法は良いものだから守るべきだと言ってるだけで、与えたのが誰だとかは関係ないと思いますよ
Posted by ゲスト at 2004年12月03日 11:47
>すくなくとも、平和憲法は良いものだから守るべきだと言ってるだけで、
>与えたのが誰だとかは関係ないと思いますよ
「平和憲法はいい。いいものはいいから変える必要はない」と語る人達が、どのようにしてその結論に至ったのか。そこが未だによく解りません。ですから、いろいろと仮定をして考えてみています。実際にいろいろと質問をしていくと、怒られてしまうケースが多いんですよ(苦笑)。
平和憲法が良いモノだとする。この場合の「良いモノ」とは、理想が素晴らしい、日本の平和を保ってきた、米国が軍国主義を打倒してくれた証だから……という理由が比較的多い。
戦争で自分の国を焦土にした国が与えたモノだとしても、その歴史的経緯を無視して「いいものはいい」と喜べるとしたら、米国がフセイン政権を打倒して親米政権を樹立した事も、イラク人は感謝するべきなのだろうか? と疑問が出てきてしまう。
だとすると、前にも書いたように「平和憲法」と同質の内容を米国が彼らに与えたとしたら、歓迎しないとおかしいのではないだろうか。「日本は軍国主義国家だったから米国が打倒して解放したのだ」という主張は「イラクは大量破壊兵器を隠していたのだ」という米国側の発言とダブって映るのです。
だから、「平和憲法はいいもの」という言い分は、自分なりに検討した結論ではなく、米国側の主張を丸飲みしているだけのように思えてなりません。
イラク戦争の米国を批判しつつ平和憲法死守というのは、矛盾しているのではないでしょうか。
このへんの過程を説明してくれているサイトがないかなあ、と探しています。
>与えたのが誰だとかは関係ないと思いますよ
「平和憲法はいい。いいものはいいから変える必要はない」と語る人達が、どのようにしてその結論に至ったのか。そこが未だによく解りません。ですから、いろいろと仮定をして考えてみています。実際にいろいろと質問をしていくと、怒られてしまうケースが多いんですよ(苦笑)。
平和憲法が良いモノだとする。この場合の「良いモノ」とは、理想が素晴らしい、日本の平和を保ってきた、米国が軍国主義を打倒してくれた証だから……という理由が比較的多い。
戦争で自分の国を焦土にした国が与えたモノだとしても、その歴史的経緯を無視して「いいものはいい」と喜べるとしたら、米国がフセイン政権を打倒して親米政権を樹立した事も、イラク人は感謝するべきなのだろうか? と疑問が出てきてしまう。
だとすると、前にも書いたように「平和憲法」と同質の内容を米国が彼らに与えたとしたら、歓迎しないとおかしいのではないだろうか。「日本は軍国主義国家だったから米国が打倒して解放したのだ」という主張は「イラクは大量破壊兵器を隠していたのだ」という米国側の発言とダブって映るのです。
だから、「平和憲法はいいもの」という言い分は、自分なりに検討した結論ではなく、米国側の主張を丸飲みしているだけのように思えてなりません。
イラク戦争の米国を批判しつつ平和憲法死守というのは、矛盾しているのではないでしょうか。
このへんの過程を説明してくれているサイトがないかなあ、と探しています。
Posted by 野良猫 at 2004年12月04日 00:35
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