2005年07月20日
メモ55「差別と区別と自己防衛」
若隠居さんの記事を読んでの感想を若干。
■ 理論と実際について
あちらの記事に載ったリンク先によると、兵庫県尼崎市のアパートで韓国人が賃貸を断られた件につき、差別だとして裁判に訴える動きがあるらしい。
それに対して、若隠居さんは「差別である」と批判し、コメント欄では大家さん側に理解を示す人たちの反論も行われて、長い議論が続いている。「差別か区別か」という議論は昔から見かけるものであって、今更珍しいものではない。自分もあまり目新しいことは書けませんが、それなりに考えてみようかと思います。
物事には「理論」と「実際」というものがある。これは「理想」と「現実」と言い替えてもいいかもしれない。「差別はよくない」とは世界普遍で実践されるべき理論であり、理想でもある。
しかし、現実には理想に含まれていない様々な事情が横たわっているもので、私たちは理論と実際のどちらを優先させるか、時々選択を迫られている。「憲法9条」を信じながらも「自衛隊」という保険や備えを欠かすことは出来ずにいるし、身近な例で言えば「排ガス規制・自家用車の制限」を認めながらも、買い物や家族を医者の定期検診に連れて行く時などには、車は手放せない存在だ。
私たちは「理論」の重要性を認めながらも「実際」に対処しながら日々を暮らしている。どちらか片方だけを信奉してしまうと、現実性を無視したかつての左翼イデオロギーや、公共性を無視したエゴイストと化してしまう事を、私たちは無意識のうちに理解している。
だからこそ、現実問題への対処に悩むのは宿命といえるのかもしれない。
……そうしたバランス感覚がある事を「前提条件」とした上で、以降は続けていく。
(そう、ここの文章は長いんです)。
■「現実」は「理想」よりも優先されるべきなのか
ここまでは、以前にも書いた事のおさらい。「差別」とは、何らかの理由で低い評価をつけられている状態を差す。これが不当な理由なら「偏見」とも言われる。しかし、銭湯や遊園地の器具、外国人公務員の採用問題などのように、合理的な理由がある場合は「区別」と表現される。
もしも「女湯に男が入れないのは差別だ!」と主張する男性がいても、誰も相手にはされない。こうした個人の私欲は、銭湯の経営者や多くの利用客が望む「秩序」の前には、制限を受けざるを得ない。
極端な例ではあるが、私たちの社会は優先順位の高い内容から実現されているという事だ。どうしても欲求を実現させたいなら、それに見合う場所を男性は探せばいい。
それでは、この「柱ピンク事件」は果たして「偏見」なのだろうか? 結論から言えば、勝手に前の賃貸者がピンク色に室内を塗り立てたのが本当ならば、管理側が自衛策として、同じ分類の人達に対して警戒感を持つことは誰にも否定できない。
ここでのポイントは、大家さんの経験になる。もしも前述の理由が嘘であり、同種の賃貸トラブルなどを経験していないなら、「在日朝鮮人(韓国人)」への不当な評価だから「差別」となる。
人間は誰であっても、ある種の分類によって評価に影響を受けている。性別、学歴、資格、家系、勤める会社などの関係性が第一印象を決定づけていく。だから、所属するブランドのイメージが悪い場合は、それなりのペナルティーを受ける。それは所属する他の人間や先人達の行いが原因であり、個人が悪いとは言えない。
だが、ブランドイメージを保持するのは所属する人間全ての責務であって、外部の人間に「マイナスイメージを全て帳消しにしろ」と要求する権利などは無い。そうした負の蓄積は、長い年月をかけて信用を取り戻していくしか回復の道はない。
仮に「帳消し」にする法律を作ったとしても、それで現実に生きる私たちが持つ「評価」が変わるわけでもない。
この場合、賃貸を断られた人間は裁判に訴える前に、同胞が蓄積した負のイメージを嘆くのが順番としては先ではないだろうか。そのうえで「どうしても借りたいのです」と条件交渉に臨むのが筋としては通っているはずだ。
おそらくは、一般の日本人や他国の外国人ならばそのように行動するのではないか。
なるべく好意的に見ようと努力しているのだが、彼らは「私欲」を通すために、普段は改善する気もないブランドイメージを利用して「差別問題」とすり替えている。
私たちは「差別」はいけないと理解しつつも、彼らの「公共性の欠如」についてもっと指摘するべきではないだろうか? なにやら、彼らは「〜してくれるべき。与えられるべき」という誤解をしているらしい。
対等な「友人」として、「外国人」である彼らを扱うべきと考える方ほど、こういう指摘をするべきではないかと考えるのです。
ちなみに、大家さん側のリスクについて少し追記しておきます。契約条項を細かくしても、店子が「汚す」という第一撃を防ぐ効果はさほど期待できません。契約上に記載したリフォーム費用などを必ず払う保証もなく、たまった家賃代などを請求する場合も、法的には駐車場の料金までは取れないケースがほとんど。
大家さんが法曹関係者で、問題のありそうな希望者でも敢えて受け入れる度量の持ち主であり、さらにトラブルになった場合に対処できる時間もある人でない限り、若隠居さんの要求する条件は満たせないでしょう。
……アパートの大家さんは、店子には「強者」にあたりますが、社会的な意味では必ずしも「強者」とは限りません。ですから、個々のケースを慎重に見極める必要があると思います。
かつて、小樽の銭湯が「外国人お断り」として朝日新聞に取り上げられました。あれの原因も、ロシア人船員達が湯舟をバスタブにしたり、他の利用客の荷物に手を出したのが発端だった。
錦の御旗を振りかざして、何かを糾弾することはとても簡単です。ですが、それによって「実際」が蝕まれては何にもならないのではないでしょうか。
あちらの記事に載ったリンク先によると、兵庫県尼崎市のアパートで韓国人が賃貸を断られた件につき、差別だとして裁判に訴える動きがあるらしい。
それに対して、若隠居さんは「差別である」と批判し、コメント欄では大家さん側に理解を示す人たちの反論も行われて、長い議論が続いている。「差別か区別か」という議論は昔から見かけるものであって、今更珍しいものではない。自分もあまり目新しいことは書けませんが、それなりに考えてみようかと思います。
物事には「理論」と「実際」というものがある。これは「理想」と「現実」と言い替えてもいいかもしれない。「差別はよくない」とは世界普遍で実践されるべき理論であり、理想でもある。
しかし、現実には理想に含まれていない様々な事情が横たわっているもので、私たちは理論と実際のどちらを優先させるか、時々選択を迫られている。「憲法9条」を信じながらも「自衛隊」という保険や備えを欠かすことは出来ずにいるし、身近な例で言えば「排ガス規制・自家用車の制限」を認めながらも、買い物や家族を医者の定期検診に連れて行く時などには、車は手放せない存在だ。
私たちは「理論」の重要性を認めながらも「実際」に対処しながら日々を暮らしている。どちらか片方だけを信奉してしまうと、現実性を無視したかつての左翼イデオロギーや、公共性を無視したエゴイストと化してしまう事を、私たちは無意識のうちに理解している。
だからこそ、現実問題への対処に悩むのは宿命といえるのかもしれない。
……そうしたバランス感覚がある事を「前提条件」とした上で、以降は続けていく。
(そう、ここの文章は長いんです)。
■「現実」は「理想」よりも優先されるべきなのか
ここまでは、以前にも書いた事のおさらい。「差別」とは、何らかの理由で低い評価をつけられている状態を差す。これが不当な理由なら「偏見」とも言われる。しかし、銭湯や遊園地の器具、外国人公務員の採用問題などのように、合理的な理由がある場合は「区別」と表現される。
もしも「女湯に男が入れないのは差別だ!」と主張する男性がいても、誰も相手にはされない。こうした個人の私欲は、銭湯の経営者や多くの利用客が望む「秩序」の前には、制限を受けざるを得ない。
極端な例ではあるが、私たちの社会は優先順位の高い内容から実現されているという事だ。どうしても欲求を実現させたいなら、それに見合う場所を男性は探せばいい。
それでは、この「柱ピンク事件」は果たして「偏見」なのだろうか? 結論から言えば、勝手に前の賃貸者がピンク色に室内を塗り立てたのが本当ならば、管理側が自衛策として、同じ分類の人達に対して警戒感を持つことは誰にも否定できない。
ここでのポイントは、大家さんの経験になる。もしも前述の理由が嘘であり、同種の賃貸トラブルなどを経験していないなら、「在日朝鮮人(韓国人)」への不当な評価だから「差別」となる。
人間は誰であっても、ある種の分類によって評価に影響を受けている。性別、学歴、資格、家系、勤める会社などの関係性が第一印象を決定づけていく。だから、所属するブランドのイメージが悪い場合は、それなりのペナルティーを受ける。それは所属する他の人間や先人達の行いが原因であり、個人が悪いとは言えない。
だが、ブランドイメージを保持するのは所属する人間全ての責務であって、外部の人間に「マイナスイメージを全て帳消しにしろ」と要求する権利などは無い。そうした負の蓄積は、長い年月をかけて信用を取り戻していくしか回復の道はない。
仮に「帳消し」にする法律を作ったとしても、それで現実に生きる私たちが持つ「評価」が変わるわけでもない。
この場合、賃貸を断られた人間は裁判に訴える前に、同胞が蓄積した負のイメージを嘆くのが順番としては先ではないだろうか。そのうえで「どうしても借りたいのです」と条件交渉に臨むのが筋としては通っているはずだ。
おそらくは、一般の日本人や他国の外国人ならばそのように行動するのではないか。
なるべく好意的に見ようと努力しているのだが、彼らは「私欲」を通すために、普段は改善する気もないブランドイメージを利用して「差別問題」とすり替えている。
私たちは「差別」はいけないと理解しつつも、彼らの「公共性の欠如」についてもっと指摘するべきではないだろうか? なにやら、彼らは「〜してくれるべき。与えられるべき」という誤解をしているらしい。
対等な「友人」として、「外国人」である彼らを扱うべきと考える方ほど、こういう指摘をするべきではないかと考えるのです。
ちなみに、大家さん側のリスクについて少し追記しておきます。契約条項を細かくしても、店子が「汚す」という第一撃を防ぐ効果はさほど期待できません。契約上に記載したリフォーム費用などを必ず払う保証もなく、たまった家賃代などを請求する場合も、法的には駐車場の料金までは取れないケースがほとんど。
大家さんが法曹関係者で、問題のありそうな希望者でも敢えて受け入れる度量の持ち主であり、さらにトラブルになった場合に対処できる時間もある人でない限り、若隠居さんの要求する条件は満たせないでしょう。
……アパートの大家さんは、店子には「強者」にあたりますが、社会的な意味では必ずしも「強者」とは限りません。ですから、個々のケースを慎重に見極める必要があると思います。
かつて、小樽の銭湯が「外国人お断り」として朝日新聞に取り上げられました。あれの原因も、ロシア人船員達が湯舟をバスタブにしたり、他の利用客の荷物に手を出したのが発端だった。
錦の御旗を振りかざして、何かを糾弾することはとても簡単です。ですが、それによって「実際」が蝕まれては何にもならないのではないでしょうか。
102:地方の医療問題
95:中国人との関わり方
メモ81「ジャーナリストの傲慢さ」
メモ79「マスコミ報道にある負の連鎖」
メモ73「議論と今後のいろいろについて」
メモ72「煙さんと南京と議論について」
95:中国人との関わり方
メモ81「ジャーナリストの傲慢さ」
メモ79「マスコミ報道にある負の連鎖」
メモ73「議論と今後のいろいろについて」
メモ72「煙さんと南京と議論について」
Posted by noraneko at 23:49│Comments(5)
│一般/議論
この記事へのコメント
このケースの場合、訴えられたら大家の負けです。勝ち目はありません。
・・・それで終わる議論ですよ。
・・・それで終わる議論ですよ。
Posted by ゲスト at 2005年07月22日 00:05
お久しぶりです>JSFさん。若隠居さんは記事を全て削除されてしまったようで、残念に思います。
「理論」を主張する方には「実際」、つまり大家さんの行動を批判するのであれば、自分が同じ立場だと想像してもらいたい。「被害者」に共感するのも大事ですが、契約トラブルになれば管理側だってそうなりかねないのです。以前、九州で身元引受人になった日本人が中国人留学生に殺害された事件がありました。そうした「現実」も頭の隅にでも留めておいてほしい。
……とはいえ、あそこまでコメント欄が膨れあがるような話題だったとは考えられません(最後に観たときは200前後でした)。ブログ管理者だって普通の人間なのですから、時にはミスや失言だってするかもしれない。そこをあまり細かく追求しない「情け」みたいな部分も必要なんじゃないだろうか。気持ちを書くだけでは「感想」に過ぎませんし、「反論」をやるなら冷静に指摘した上でベターな案を出すべきです。
そういう雰囲気が整わない状況なら、無理に管理人が応答する必要もないと思います。別に無限責任を負っているわけではありませんからね。
ネットに関わる姿勢は人それぞれでしょうが、他人に共感や同意というものを期待しすぎてしまうと、あまり良いことはないようです。今回もそうした一例だったのではないかと思います。
「理論」を主張する方には「実際」、つまり大家さんの行動を批判するのであれば、自分が同じ立場だと想像してもらいたい。「被害者」に共感するのも大事ですが、契約トラブルになれば管理側だってそうなりかねないのです。以前、九州で身元引受人になった日本人が中国人留学生に殺害された事件がありました。そうした「現実」も頭の隅にでも留めておいてほしい。
……とはいえ、あそこまでコメント欄が膨れあがるような話題だったとは考えられません(最後に観たときは200前後でした)。ブログ管理者だって普通の人間なのですから、時にはミスや失言だってするかもしれない。そこをあまり細かく追求しない「情け」みたいな部分も必要なんじゃないだろうか。気持ちを書くだけでは「感想」に過ぎませんし、「反論」をやるなら冷静に指摘した上でベターな案を出すべきです。
そういう雰囲気が整わない状況なら、無理に管理人が応答する必要もないと思います。別に無限責任を負っているわけではありませんからね。
ネットに関わる姿勢は人それぞれでしょうが、他人に共感や同意というものを期待しすぎてしまうと、あまり良いことはないようです。今回もそうした一例だったのではないかと思います。
Posted by 野良猫 at 2005年07月22日 00:59
>若隠居さんは記事を全て削除されてしまったようで、残念に思います。
よかったですね、資料がなくなって、これからが野良猫さんの独壇場ですね。どうぞ空理空論を展開してください。笑ってみてますから。
>ブログ管理者だって普通の人間なのですから、時にはミスや失言だってするかもしれない。そこをあまり細かく追求しない「情け」みたいな部分も必要なんじゃないだろうか。
なるほど、投稿者に倫理をもとめますか。原因はブログというやり方の欠陥でしょう。それを補う、管理者(野良猫さんと違って)の努力がないということでしょ。
>ネットに関わる姿勢は人それぞれでしょうが、他人に共感や同意というものを期待しすぎてしまうと、あまり良いことはないようです。今回もそうした一例だったのではないかと思います。
締めくくりが、上の引用と矛盾しませんかね。
よかったですね、資料がなくなって、これからが野良猫さんの独壇場ですね。どうぞ空理空論を展開してください。笑ってみてますから。
>ブログ管理者だって普通の人間なのですから、時にはミスや失言だってするかもしれない。そこをあまり細かく追求しない「情け」みたいな部分も必要なんじゃないだろうか。
なるほど、投稿者に倫理をもとめますか。原因はブログというやり方の欠陥でしょう。それを補う、管理者(野良猫さんと違って)の努力がないということでしょ。
>ネットに関わる姿勢は人それぞれでしょうが、他人に共感や同意というものを期待しすぎてしまうと、あまり良いことはないようです。今回もそうした一例だったのではないかと思います。
締めくくりが、上の引用と矛盾しませんかね。
Posted by ゲスト at 2005年07月30日 13:23
俺はブログやサイトに書いていることが必ずしも真実ではない、個人情報秘匿のためのスピンとしていることをあらかじめ公言 しているのだが bydox
■トルティーヤ死亡説
もう死んじまったんじゃないの?あの蛆虫。
死ぬのはやつらだ (2005-01-16 23:32:15)
■死ぬのはさん、どもですー
死んじゃったならいいけど、どっかで「振り込め詐欺」とかマルチ商法とかやって他人様に迷惑をかけていないか心配です
(^―^)
トルティーヤさん以外の自民党工作員の方はまだここいらでウヨウヨしてますですよー。あはは。(コメント欄はクリックしないと見れないからあんまり意味ないんだけどな〜。)
DoX (2005-01-17 01:31:10)
結局「自分が社会の中でどう見られるか」を十分に認識できていないお子様がやってんでしょうかね。
KEN-NYE (2005-07-13 17:13:48)
赤の他人の、ぜんぜん関係のない人物のブログに貼り付けたり、スピン情報から推察したことを「わかったこと」とまたまた得意げに書いているのを見て、ものの哀れというものを感じてしまった。
■トルティーヤ死亡説
もう死んじまったんじゃないの?あの蛆虫。
死ぬのはやつらだ (2005-01-16 23:32:15)
■死ぬのはさん、どもですー
死んじゃったならいいけど、どっかで「振り込め詐欺」とかマルチ商法とかやって他人様に迷惑をかけていないか心配です
(^―^)
トルティーヤさん以外の自民党工作員の方はまだここいらでウヨウヨしてますですよー。あはは。(コメント欄はクリックしないと見れないからあんまり意味ないんだけどな〜。)
DoX (2005-01-17 01:31:10)
結局「自分が社会の中でどう見られるか」を十分に認識できていないお子様がやってんでしょうかね。
KEN-NYE (2005-07-13 17:13:48)
赤の他人の、ぜんぜん関係のない人物のブログに貼り付けたり、スピン情報から推察したことを「わかったこと」とまたまた得意げに書いているのを見て、ものの哀れというものを感じてしまった。
Posted by ゲスト at 2005年08月01日 21:30
マジで気持ち悪いよー
ほら、こんなの書くのが現実にいるんですよ。ものすごいでしょ(笑
ほら、こんなの書くのが現実にいるんですよ。ものすごいでしょ(笑
Posted by ゲスト at 2005年08月01日 22:08
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