メモ68「南京と議論について」

noraneko

2006年07月08日 08:54

 メモ67の続きです。
「翻訳」が長くなりすぎたので回答はこちらに載せました。
■ 議論の姿勢について

 議論をする際には、自らの「ポジション」について触れなければならないというのは、既に何度も説明させていただきました。別に「南京」という話題に限らず、議論とは「本当は何が正しいのか・何をするべきなのか」という探求心からするものだと考えている。
 だから、議論に参加するなら「お前はどんなデータを持っているか。どういう風に考えてるのか?」という問いは避けられない。そこをきちんとする気がないのなら、無理に参加しても他人にとって迷惑でしかありません。

「翻訳」してみた限りでは、自分なりに事件の全体像を語る気もないらしい。また、どちらの学者が信頼できると考えてるか、というような「立場」を問われる質問にも「同じ知識人並みに調べないと判断できない」と回答を避けている。
 こういう状態で自分の主張を他人に受け入れて貰おう、という方に無理がありますね。
 ご自分の考えに自信を持っていたり、異論を持つ人達を悪く考えるのは構わないんですが、まずApemanさんが他者に受け入れて貰えるだけの前提条件を整えているか、よくお考えになったらどうでしょうか。

 ADON-Kさんの件にしても、史料の名称や内容に誤解があったのならその場できちんと説明すれば済むこと。これも否定論者だからどうこうという話ではない。説明する側がひとつずつ定義を詰めていけばいいだけの話です。それが議論に参加していて、青狐さんと意見の近いApemanさんがするべき事なのです。

 もしも、そういう事をやりたくないのでしたら、最初から議論に関らない方がいいでしょう。誰も無理には薦めていないのですから。

■「数の論理」とか(記事に載せられたコメントについて)

 死者に対して本当に真摯に向き合う意志があるのなら、どのような歴史的経緯があったか・実態はどうなのかを知る必要があります。少なくとも「南京」と「ホロコースト」を一緒にするような発言は死者への冒涜です。「民族浄化」と「戦争犯罪」の違いもつかないようでは、勝手に代弁される被害者たちが気の毒になる。
 なぜなら、それぞれの「死」を一緒くたにすることなく、どんな理由で殺されたのかを調べようとしない限り、本当の意味での追悼や歴史の教訓とはならないと考えるからです。

 同様に「南京事件」で犠牲者の数が問題とされるのも、そうした実情を把握するために必要な検証だからです。現時点では「ホロコースト」の検証に関心はありませんが、興味を持つ時がきたら漠然としたタブーなどに関係なく、自分なりの持論を作り上げるでしょう。それの目的がドイツの正当化などではなく、正確に知ることこそなのは言うまでもありません。前述の理由も含まれています。

 この手の議論でみられる「とにかくあった事にしておこう」「否定や疑問を抱いてはならない」というような意見は愚の骨頂です。ですが、こうした考え方を他人に要求する気はありません。

■ 歴史上の裁判基準とか(記事に載せられたコメントについて)

 裁判の基準とはいっても、現実に裁判をしている訳ではないのだから判断はその人次第です。検察側のポジションを選ぶ人ならば『歴史の真実』に足る証拠をきちんと揃えて読者に判断を委ねればいい。充分だと思う人が「有罪」と判断し、足りなければ「推定無罪」とする。それだけのことです。
 自信作が書けたとしても持論が受け入れられるとは限りませんが、それが世の中というもの。基本的に個人の考えというものは、自分で検証していった末に少しずつ変わっていくものであって、他人がどうこう出来るものでもない。

 仮に「南京否定派」の完全勝利を示すような新資料か発掘されて「肯定派」の学者が全て持論の誤りを認めたとする。そして、そういう主張の本がベストセラーになったとする。
 だからといって、すぐに今までの持論を忘れ去って「否定派」に鞍替えする事は出来ないでしょう。
 それは、個人が獲得してきた「知識」と、世の中に溢れる「情報」が別物だからです。そこが解ってくれば、正しいはずの持論に他人が同調してくれない……というような不満も感じなくなります。

 また「歴史修正主義者」は正確なデータを執拗に求めています。結論を押しつけるのではなく、一緒に史料探求する事を楽しむような姿勢でないと、一緒に議論をするのは難しいかもしれません。
 むしろ、手間を考えればわざわざ挑む必要すらないと思います。

■ 水俣病とその他について

 ……と、ここまで書いてみたが、hokusyuさんらのコメントは今回の話題とは直接関係ありませんね。
 Apemanさんが彼らと同意見だったとしてもそれだけの話です。意見を保留するかどうかも、ご自分で納得いくように決めればいい。
 ちなみに、水俣病と「南京」は全く違う話です。
「被害者を救え!」と口にするのは簡単ですが、実務上の問題を無視してはいけないと思います。

 ここまで「翻訳」して返事を書かせていただきましたが、面倒な表現を書き直してみると話題が拡散していくばかりで、あまり実のある話ではなかったと思います。

 また機会があればそのうちに。
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