メモ48「君が代の季節」
明日からは卒業式のシーズン。受験生にとっては悲喜こもごもの行事だが、左翼の人達にとっても同様らしい。「君が代」があるからだ。
久しぶりに君が代問題について少し。
・「君が代反対」の謎。
この時期になると、一部新聞やTVニュースで「君が代反対」という人達の活動を耳にする。
「強制を阻止する」「軍国主義の復活をさせてはならない」「歌わない自由を認めるべき」。そんな主張を聞くのが、この時期恒例の行事となってきた感もある。最近は行事を妨害してでも持論を通そうとする手合いも居るようなので、彼らにとってはよほど切迫感がある状況なのだろう。
だが、
メモ2で触れたように、君が代を歌いたくない理由を分かりやすく説く者はきわめて少ない。もう少し正確に言うならば、反対する側に統一された見解というものが皆無なのが問題だ。
校歌斉唱は良くても国歌斉唱がダメなのか。国旗・国歌を尊重するのは国際儀礼となっているが、それ自体を否定するのか。日本だけは否定しなければならないとすれば、その理由はなにか。卒業式に限らず国歌斉唱の機会はあるが、全て否定するべきと言う事か。ならば、サッカーの国際試合のような場合はどうするべきなのか。
それとも、「君が代反対」という姿勢はあくまで個人レベルの自由に限ったものであって、他人が歌うのを止める気はないということなのか……?
いわゆる「日教組」の人達や「市民団体」は、「歌わない自由」を掲げて歌いたい人の自由を阻害している。そして歌わない事を他者にも強制しようとしているのだ。なんとなく歌わされるのがイヤというレベルの人は、こういう姿勢とは共闘出来ないはず。
だから、個人レベルの自由を選択したい方が「基本的には歌うべきもの」という国際慣習を理解したうえで、消極的に拒否する事は構わないと思う。だが、その行事で立場上歌うべきならば、そちらを優先させるのがいっぱしの大人だろう。
最初から「歌わない」ではなく、全てを知った上で周囲に迷惑のかからない形で自らの主義を貫く。書いてみると普通の事なのだが、自制心に欠ける一部の人達が大勢に迷惑をかける。少数意見を多数派に受け入れて貰うには、相応の誠実さと違う主張をも許容する精神が必要なのだが、それが解らないからこそ彼らはいつまでも少数派なのだろう。
mumurさんさんが紹介しているのは一種のジョークと解釈しているんですが、中学や高校当時の自分だったなら、周囲に誘われたら一緒にやっていたかもしれないなあ、と思います(汗)。やっぱり、思想位置が定まっていない子供に「歌うな」と教え込むのは「刷り込み」ですね。
「俺は嫌いだけど、お前達はそういう機会の時はちゃんと歌うんだぞ」と教えてくれた恩師(左翼)の言葉は有り難かったと、今更ながら実感しています。
やはり、現在目立っているのはあくまで「反日左翼」であって、昔ながらの社会常識をわきまえていた「左翼」とは別物なのでしょう。前者とは実社会・ネット上ともに議論は不可能なので、無理に接触する必要はないと思います。
時間と気力は限られているのですから、建設的な方向に活動したいですからね。
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